ライクロフト氏の書斎にて2018年06月26日 06時32分16秒

ライクロフト氏の件はいったんあれで終わりですが、氏がせっせと植物観察を続けている間、氏が手元に置いていた参考書はどんなものだろうか? …という疑問が浮かんだので、番外編として書いておきます。

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もちろん正確なことは分かりません。
19世紀末に限っても、イギリス国内で流通した一般向け植物図鑑は、相当な数に上るでしょうし、そもそもライクロフト氏は創作上の人物なのですから、無理に「正確」を期しても、さして意味はありません。

でも、作者ジョージ・ギッシング(1855-1903)が手元に置いた植物図鑑は何か?という問いなら、大いに意味があります。ギッシングの蔵書目録が分かれば、あるいは他の著作の中で、具体的な植物図鑑に彼が言及していれば、この点は明らかになるはずです。しかし、これまたネット検索した限りではよく分かりませんでした。

ただ、検索の過程で興味深く思ったのは、彼の父親 Thomas Waller Gissing (1829-1870)は、薬剤師にしてアマチュア植物学者であり、息子であるジョージは、幼時から父トーマスの薫陶を十二分に受けて育ったという事実です。
(父トーマスには、『ウェイクフィールド近郊のシダ類とその近縁種 (The Ferns and Fern Allies of Wakefield and its Neighbourhood)』(1862)や、『ウェイクフィールド近郊の植物誌資料集 (Materials for a Flora of Wakefield and its Neighbourhood)』(1867)といった、本格的な著作もありました。→参照リンク

となると、ギッシングの植物趣味はまさに筋金入りで、ライクロフト氏の人物造形には、そうした下地がしっかり生かされていると推測できます。

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ここまで「図鑑」「図鑑」と気楽に書いて、ふと不安になったので、『私記』の原文を確認しておきます。文中、図鑑らしきものへの言及は、以下の2か所に登場します。

<春 第3章>
「私は植物学者ではない。しかし植物採集には昔から興味を覚えている。未知の植物にぶっつかり、参考書の助けをかりて名前を確かめ、次ぎの機会に道端でひょっこり咲いているのをみつけて名前をあげて呼びかける、などということは嬉しい限りである。」
「I am no botanist, but I have long pleasure in herb-gathering. I love to come upon a plant which is unknown to me, identify it with the help of my book, to greet it by name when next it shines beside my path.」

<春 第9章>
「歩きながら多くの草木を摘んだが、明日にも参考書を買って、その名前を確かめようと考え、独りで悦にいっている私であった。」
「As I walked I gathered a quantity of plants, promising myself to buy a book on the morrow and identify them all.」

邦訳では、いずれも「参考書」となっており、原著では“reference”とか何とか、それらしい表現がされているのかと思ったら、いずれも単に「book」と書かれているだけでした。となると、これが本当に「図鑑」かどうかはっきりしないのですが、常識的に考えて図鑑ということにしておきましょう。

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少年時代のギッシングが、父親の書斎で眺めた可能性のある本として、例えば手元にこんな図鑑があります。


■John E. Sowerby(絵)、C. Pierpoint Johnson(文)
 British Wild Flowers
 John E. Sowerby(London(Lambeth))、1860.

ジョン・E・ソワービー(1825-1870)は、博物学者の家柄に生まれた人で、自身は植物画家であると同時に、植物図鑑の版元でもありました。

(巻頭口絵)

この本は、大部な学術書では全然なくて、一般向けの小型便覧といった性格の本ですが、それだけに散歩のお供にはふさわしい一冊です。19世紀末にリアルタイムで出た図鑑なら、おそらく図版は多色石版のはずですが、1860年に出たこの本は、まだ古風な銅版手彩色。昔気質のライクロフト氏には、その方が似合いの気がしますし、氏は古典を愛したので、やっぱりその書斎には、クロス装よりも、古雅な革装の図鑑があってほしい…というのは、私の勝手な願望です。

ライクロフト氏が一時、熱心に取り組んだヤナギタンポポ属(Hawkweed/Hieracium)については、全部で19種が掲載されています。



(部分拡大。図版655はHieracium sylvacticum、656はHieracium maculatum)

一つひとつの図はごく小さいですが、全図版に彩色を施し、往時の植物趣味の雅味を知るに足ります。

(愛らしいスミレ属)

(目と舌を刺激するキイチゴ属)

英国紳士のひそみに倣って、こんな図鑑(もちろん日本の)を携え、野原をてくてく歩き回りたいですが、どうもイメージ先行の企画倒れで終わっているのが残念。やろうと思えば、今日からでもできることですが、ものぐさな性格は簡単には直らないですね。

コメント

_ ながの ― 2018年07月04日 21時13分46秒

先日はロングトムの公開有無は事前問い合わせ推奨とのこと、補足していただきありがとうございました。まだ行けていないので、訪ねる際は確認したいと思います。

今回ご紹介されていた文章の「when next it shines beside my path」のところ、appearsとかじゃなくてshinesというあたりに、文字通り植物愛のきらめきを感じてじーんとしました。素敵ですねえ。

_ 玉青 ― 2018年07月06日 07時00分51秒

これはこまやかなコメントをありがとうございます。
コメントを拝読するまで特に意識していませんでしたが、たしかにこの「shines」の一語、とても美しい表現ですね。路傍の花々に寄せるライクロフト氏の思いがあふれているようです。日本語に置き換えるのはなかなか困難ですが、仮に古文なら「道のかたへに重ねてさやかなる折しもあれば…」とでもしたいところです。

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