困民、義民 ― 2019年07月15日 06時30分26秒
呑気なことを書いている間に、選挙の投票日が近づきました。今度の日曜日です。
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しかし、消費税というのは現代の「年貢」ですね。
貧乏だろうが何だろうが、お構いなしに取り立てる様は、時代劇の百姓苛めの場面と何も変わりません。まさに苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)。
現政権が進めているのは、法人税や所得税の累進性を減らして、その欠を消費税で埋めることですから、そこに現出するのは、「貧乏人が金持ちを支える社会」以外の何物でもありません。理念でいえば、近代の税というのは、昔の年貢とは全然違う性格のもののはずですが、こうなると昔の年貢といったい何がどう違うというのか。
まあ消費税の場合、一回ごとに動く額が小さいし、お役人が直接取り立てに来るわけでもないので目立ちませんが、庶民にとっては、日々ヤスリで身を削られる責め苦に等しいです。このヤスリが、さらに鉋(かんな)になれば、体力の弱い人から失血死するのは理の当然。
そうやって庶民から温かい血を絞るだけ絞って、「マクロ経済なんとかで、今後は年金も減らすから、今からせいぜい貯蓄と投資に励めよ」と、お上はしれっと言うわけです。もはや何をかいわんや…という感じです。
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民が困窮すれば、義民・義士が起つのが世の常。
日本でも、はりつけ覚悟で一揆を企てた人が大勢いるわけで、そのうねりは時に「大一揆」と呼ばれる大規模なものとなりました。さらには幕臣でありながら、義憤に駆られて兵を挙げた大塩平八郎のような人もいます。そして明治に入ってからは、秩父をはじめとする各地の「困民党」の面々。
まあ、今の世に鍬(くわ)や鎌を手にして騒乱を起こす必要もないのですが、世上を見るに、民をないがしろにするのも大概にせよ…という気分は抑えがたく、義民・義士を求める心には切なるものがあります。
私はそういう人を見極めて、一票を投じるつもりです。
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