気球に乗って(前編)2020年08月06日 19時38分19秒

この時期にふさわしい、素敵な本を見つけました。


■Gebhard A. Guyer(写真・解説)
 『Im Ballon über die Jungfrau nach Italien』
 Vereinigte Verlagsanstalten Gustav Braunbeck & Gutenbergdruckerei(Berlin)、1908


何と言っても、タイトルがいいですね。
『気球に乗って。ユングフラウを越えてイタリアへ』―
夢を誘う、涼しげな感じがあります。
本書は、文字通り気球によってアルプス越えをした冒険飛行の記録です。

本の表情も魅力的で、凝った空圧し模様や、


立体感のある「窓」に写真を貼り込んだ、実にぜいたくな造本。


内容は後で見ることにしますが、写真印刷がこれまた見事で、テーマといい、内容といい、当時としてはかなり破格な本だと思います(これは著者グイヤーが、下記のような事情から、相当お金を出したんじゃないでしょうか)。

この冒険に参加したのは、ユングフラウ鉄道支配人で、写真術に長けたゲプハルト・グイヤー(Gebhard A. Guyer、1880-1960)、有名な登山家で気球乗りのビクトール・ド・ボークレア(Victor de Beauclair、1874-1929)、スイスの著述家コンラート・ファルケ(Konrad Falke、1880-1942)、さらにグイヤーの婚約者であるマリー・レーベンベルク嬢(Marie Löbenberg、1878-1959)の総勢4名。

驚くべきは、この冒険がゲプハルトとマリーの婚約旅行を兼ねていたという事実で、なんと破天荒なカップルでしょうか。

(ボークレアとグイヤーの肖像。本書より)

彼らが気球「コニャック号」に乗ってアルプス越えをしたのは、1906年6月29日から30日にかけての2日間です。

彼らが見下ろした、峩々たる山並みと白雲の群れ。
その壮大な光景を、我々もさっそく一緒に見てみましょう。

(この項つづく)

余滴2020年08月06日 21時17分51秒

一昨日の8月4日は九州豪雨1か月で、「鎮魂」の文字が紙面に載っていました。
そして今日は8月6日。今日も鎮魂の二文字を重ねて目にしました。

1か月と75年の差は大きいです。
でも、痛恨の思いを抱く人にとって、そこには何ほどの違いもないでしょう。

   ★

ふと、「では、間の8月5日はどうなんだろう?」と思って、8月5日の出来事をネットに教えてもらうと、「1945年 前橋・高崎空襲」というのが目につきました。さらに、そこからリンクをたどっていくと、1945年8月に限っても、毎日どこかで空襲が続いていたことを知ります。私は毎年8月6日や9日になると、判でついたように戦争の惨禍を思い起こしますが、その連想の陰に隠れている死者の群れにふと出会って、身のすくむ思いでした。

以下、ウィキペディアの「日本本土空襲」の項から、死者数のみ転記します。

8月1日 水戸空襲 死者242人。
8月1日 八王子空襲 死者445人。
8月1日 長岡空襲 死者1486人。
8月2日 富山大空襲 死者2737人。
8月5日 前橋・高崎空襲 死傷者1323人(死者のみの数は不掲載)。
8月5-6日 今治空襲 死者454人。
(8月6日 広島原爆)
8月7日 豊川空襲 死者2477人。
8月8日 福山大空襲 死者354人。
8月8日 八幡大空襲 死者2952人。
(8月9日 長崎原爆)
8月9日 大湊空襲 死者129名。
8月9日 釜石艦砲射撃 少なくとも死者301人。
8月11日 久留米空襲 死者約210人。
8月11日 加治木空襲 死者26人。
8月12日 阿久根空襲 死者14名。
8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
8月14-15日 熊谷空襲 死傷者687人。
8月14-15日 小田原空襲 死者30-50人。
8月14-15日 土崎空襲 死者250人超。

この人たちはいったい何のために亡くなったんだろう…と思います。
すでに戦況は確定していたのに、日本に白旗を下ろさせないために、ただそれだけのために死なざるを得なかったのか? 痛切に不条理な死だと感じます。8月15日が近づくにつれ、その不条理の度はいっそう強まります。その非人道性を、アメリカは決して正当化できないでしょう。

もちろん、アメリカの非人道性を糾弾したとたん、その刃は我が日本にも向くことになります。後知恵と言われるかもしれませんが、終戦の決断を遅らせたことは、やはり蒙昧だったと思います。そして、日本がどれほど国の内外で無茶をし、それを人道の物差しで測ったら、どんな数字が読み取れることか。

とはいえ、被害者だから加害責任を免れるわけでもないし、加害者だから被害を訴えられないわけでもありません。両者は二つながらに追求されるべきことです。

   ★

上にあげた死者の数(一部概数を含む)は、広島と長崎を除き14,875人。
7月以前も空襲は連日のように続き、沖縄では地上戦があり、死者はまさに累々。
その向こうには、戦死、戦病死した兵士たちの群れ。
その脇を埋め尽くす、無残な死を遂げた異国の人々。
さらに死を免れても、心と体に癒えることのない傷を負った人々の顔、顔、顔。

   ★

戦争を避けるために武器をとれと言う人もいるし、武器を捨てろという人もいます。
どちらの主張をなすにしろ、今も続く戦争と紛争で傷つく人々のことを、リアリティをもって想像しないと、すべての議論はウソになると思います。

   ★

何はともあれ、今宵は鎮魂の思いを凝らします。