心のなかの神戸へ2023年06月11日 17時58分43秒

京都での足穂イベントに無事参加できることになり、今からワクワクです。
そして同時に、6人の作家によるオマージュ展「TARUHO《地上とは思い出ならずや》」が、神戸で開催中であることを知りました。


■稲垣足穂オマージュ展「TARUHO《地上とは思い出ならずや》」
○会期: 2023年6月4日〜25日 13:00〜18:00(休館日:水木)
○会場: ギャラリーロイユ
     (兵庫県神戸市中央区北長狭通3-2-10 キダビル2階)
○出品作家
 内林武史、大月雄二郎、桑原弘明、建石修志、鳩山郁子、まりの・るうにい
○料金: 無料

実に錚々たる顔ぶれですね。
京都に行くついでに、何とかハシゴ出来ないかと一瞬思いましたが、やっぱり無理っぽいので、こちらは涙を飲みます。

   ★

しかし神戸はやっぱりいいです。
今、本棚に1冊の美しい画集があります。


■『画集・神戸百景~川西英が愛した風景』
 (発行)シーズ・プランニング、(発売)星雲社、2008


港を望む異人館の並ぶ神戸。


海洋気象台とモダン寺(本願寺神戸別院)がそびえる神戸。

版画家の川西 英(1894-1965)が描く神戸は、どこまでも明るく、屈託がありません。タルホチックな、いつも夕暮れと夜の闇に沈んでいる不思議な神戸もいいのですが、こうした子どもの笑顔が似合う神戸もまた好いです。いずれにしても、神戸はいつだってハイカラで、人々の夢を誘う町です。


画集の隅に載っているのは、戦前の神戸で発行されたメダル。
円い画面の中に海があり、カモメが飛び、街並みが続き、その向こうに六甲の山がそびえています。直径35ミリという小さな「窓」の向こうに、広々とした世界が広がっていることの不思議。


このメダルは皇紀2595年、すなわち1935年(昭和10)に「みなとの祭」体育会が開かれた折の記念メダルです。「みなとの祭」は、現在の「みなとまつり」ではなしに、系譜的には「神戸まつり」に連なるもので、その前身のひとつ。第1回は1933年に開催されました。


こちらも「みなとの祭」にちなむ、戦前~戦後のエフェメラ。下のバス記念乗車券は、川西英さんのデザインっぽいですが、違うかもしれません。

   ★

上の品々は、ちょうど10年前、長野まゆみさんの『天体議会』の舞台を神戸に見立てて、いろいろ考察していた頃(それは中途半端な試みに終わりましたが)、「第3章 変わり玉」で描かれる「開港式典」の雰囲気を偲ぶために入手したものです。

 「翌日は開港式の当日で、街の中にはいつもと違うざわめきが溢れた。学校は休みになり、満艦飾の汽船が次々と入港して埠頭を賑わした。昨日来の雨は気象台の予報どおりに明け方にはやみ、おかげで碧天(あおぞら)は透徹(すきとお)るような菫色をして目に沁みた。」

 「式典の晴れがましい雰囲気に煽られてか、誰しもが常より昂ぶって喋る結果として、銅貨はめまぐるしい喧騒に包まれ、人波に押し流されて歩いていた。しまいに渦を巻く人々のうねりからはじき飛ばされ、埠頭に建つ真四角な積出倉庫の壁にもたれて、ざわめきに身をゆだねていた。」

 「毎年、劇場(テアトル)では開港式典の行事として演奏会などが催され、学校からも音楽部の生徒たちが参加することになっていた。なかでも鷹彦の独唱(ソプラノ)の入る合唱曲はかなりの聴きものだ。銅貨や水蓮も、毎年欠かさず入場券(チケ)を買っており、今年も早々と席を確保していたのだ。」

主人公たちの目に映った、明るい喧騒に満ちたカラフルな港の光景。
そして音楽会ではなく体育会ですが、作中のムードをこんな乗車券(チケ)やメダルに託して偲んでみようと思ったことを、今こうして10年ぶりに思い出しました。

コメント

_ ofugutan ― 2023年06月12日 00時52分17秒

何の因果か、巡り巡って神戸の大学に進学し、神戸に5年ほど住んでまして。足穂の作品を思い浮かべながら街を散策してました。

そして、『天体議会』ですが、舞台のモデルは神戸でしょって思ってました!山手や海やメトロなど…同シリーズの『三日月少年漂流記』で夜中に主人公が博物館に忍び込むシーンがあって。

神戸のポートランドにある海洋博物館が、作中みたいな鯨の骨格標本が飾ってあるような博物館と期待したものの、カワサキのマリン系の乗り物中心でちょっとがっかりしました(ジェットスキーのシミュレーションとか楽しみましたが)。

10年以上たって、東京のインターメディアテクに行って、「あ、この博物館がイメージ通り」と思いました。

_ S.U ― 2023年06月12日 13時37分24秒

足穂の作品は、今も時々(定期的に?)読み返しています。
足穂は、神戸のことは晩年になっても書いています。青春時代に通った学校のあった土地は、天才でも凡人でも同様の独特の郷愁に満ちた晴れやかさというものがあるようです。

 ところで、ちょっと茶々的なコメントで申し訳ありませんが、最近の足穂の読み返しで、「みなとまつり」に触れている作品があったので、お知らせいたします。
 それは、「ガス灯へのあこがれ」*という1967年の短編で、昔の街のガス灯への郷愁を披露したものですが(足穂が子どもの時すでにガス灯はほとんど見当たらなかったそうです)、その掉尾に、三宮ライオンズクラブと神戸市の協力で、大丸前にガス灯が復刻されたということを評価し、それをみなとまつりと比べて、「港祭のような馬鹿げた催しにくらべて、こんなのこそ真の神戸文化というものである。」と書いています。
 どうやら、足穂にとっては、ガス灯>>>>>>みなとまつり のようです。この大丸前のガス灯、今もあるのでしょうか。
http://townguidekobe24.com/page443567.html

*稲垣足穂 飛行機の黄昏 所収
稲垣足穂全集 第11巻 (菟東雑記) 所収
初出は、タウン誌?「神戸っ子」1966年12月号?

_ 玉青 ― 2023年06月12日 21時33分03秒

○ofugutanさま

おお、ofugutanさんは神戸にいらしたのですね!
それは間違いなく良い「因果」でしょう。(笑)
過去記事だと、↓あたりで神戸と作品世界の類似を考察していますが、「天体議会」のあの街は、まあ間違いなく神戸ですよね。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/02/03/4853732
http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/02/04/4857363

そして現実の神戸でも、何か長野まゆみさん的な、胸の踊るような出来事が日々おこっていたら素敵なのですが…。でも、そんな空想を勝手に託せるのが余所者の気楽なところで、現実に暮らしている人よりも恵まれているというと変ですが、アドバンテージかもしれません。

○S.Uさま

おお、これは細部にご注目いただき、ありがとうございます。
まさに神はこういう細部に宿るのでしょう。
まあ、タルホ趣味に照らせば、お祭りというのは総じてバカバカしいもので、ガス灯のほうがよっぽどエライ…ということになるんでしょうが、彼は幼いころ明石の地元のお祭りで稚児役をやらされたのが、ものすごく嫌な記憶として残っていたらしいので、彼の祭り嫌いは、そもそもその辺に胚胎しているかもしれませんね。
ときに大丸前のガス灯ですが、さっきストリートビューで見たら、ガス灯の形はしっかり残っていましたが、光源はガスのままなのか、その後電化されたのか、判然としませんでした。

_ S.U ― 2023年06月13日 09時07分58秒

>明石の地元のお祭りで稚児役をやらされた
 なるほど、そういう事情なのですか。頷けます。タルホは、『少年愛の美学』で武士や僧院での文化を説き、また、自身も仕舞や和服を愛していましたが、「足袋のこはぜ」的な、もちゃっとした形式だけの日本の古くささは野暮ったいとして忌避していました。祭の稚児役もそうなのでしょう。関西人なのに、そのへんは江戸っ子みたいなすきっとした粋を求めていたようです。これは、やはり関西人らしからぬ?父母の性格を譲り受けたものではないかと思います。

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