七夕の雅を求めて(2)…糸巻香合 ― 2023年07月02日 12時11分00秒
早速訂正です。
昨日、冷泉系の七夕祭(乞巧奠)を近世に復興されたものと書きました。しかし冷泉為人氏による解説文を読んだら、「乞巧奠は近代になって復興されたものと伝えている」と書かれていました(『五節句の楽しみ』p.96)。つまり、同家の乞巧奠は近世どころか近代(明治)になって復興された行事で、いよいよ新しいものでした。
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ただし、冷泉家にはそれとは別の七夕行事も伝承されており、そちらがより古態を伝えています。以下、冷泉為人氏の文章から引用します。
「冷泉家の七夕では、〔歌道の〕門人が中心になる乞巧奠と、家族が中心になるものの二つがある。〔…〕
一方、七夕の行事は家族を中心として行われるもので、乞巧奠より古い伝承をもっている。座敷の南庭の西に机を一脚出し、その上に火口(ほくち)が七つある特別の火皿を載せた一台の手燭を置き、その七つの火口へは七組の灯心を用意して、二星への手向けとするのである。同じく机上に秋の七草を活けて捧げる。もし新調の衣類があれば、広蓋に入れてこれも机上に置く。
一方、七夕の行事は家族を中心として行われるもので、乞巧奠より古い伝承をもっている。座敷の南庭の西に机を一脚出し、その上に火口(ほくち)が七つある特別の火皿を載せた一台の手燭を置き、その七つの火口へは七組の灯心を用意して、二星への手向けとするのである。同じく机上に秋の七草を活けて捧げる。もし新調の衣類があれば、広蓋に入れてこれも机上に置く。
それに対して座敷の上ノ間に机を置き、そこに梶の葉と梶の葉の描かれた硯箱一式を用意して。家族のもの各自が一枚ずつ梶の葉に「天川とほきわたりにあらねども 君が舟出は年にこそまて」の古歌を散らし書きにする。そのとき、かつては芋の葉に置く露を集めた水で墨をすったと伝えている。
夜になると、七口の灯心に火を入れて、家族各人が七夕に関する七つの題について一首ずつ七種の和歌を詠み、各自が一枚の懐紙にしたため、庭に設けた祭壇に進み机上に置き、二星(たなばた)に手向けて拝礼するのである。」(前掲書pp.96-7)
夜になると、七口の灯心に火を入れて、家族各人が七夕に関する七つの題について一首ずつ七種の和歌を詠み、各自が一枚の懐紙にしたため、庭に設けた祭壇に進み机上に置き、二星(たなばた)に手向けて拝礼するのである。」(前掲書pp.96-7)
家族がめいめい和歌を奉納するというのは、和歌の家ならではですね。
まあ、派手な乞巧奠のほうがマスコミ受けはするのでしょうが、この身内のみで営まれる静かな七夕行事のほうが、趣がいっそう深く、七夕の宵にふさわしいものと感じられます。
(七夕の床。『五節句の楽しみ』より)
床に掛かるのは竹内栖鳳による団扇絵の軸。床の造作といい、掛物の選択といい、冷泉家だからといって何か特殊なものがあるわけではなく、この辺は京の伝統町家のしつらえと何も変わりません。
我々は冷泉家に対して、ときに過剰な歴史ロマンを求めがちで、乞巧奠もそれに応えて、一層派手派手しくなった面があるような気がします。
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さて、我が家の七夕飾りに話を戻します。
七夕はすなわち「棚機(たなばた)」であり、織女(織姫)を祭る行事ですから、織物にちなむものがなければいけません。そこでこんな品をまず見つけました。
西村宗幸作「寄木七夕蒔絵糸巻香合」。
西村氏は現代の山中塗の蒔絵師で、この品も昭和末~平成に作られたもののようです。
高さは5cmほどしかありませんが、色味の違う材を寄木細工で組み合わせ、七夕飾りの蒔絵を施した、なかなか手の込んだ品です。
ここでいう「糸巻」は、裁縫箱に入っているあの丸い糸巻ではなくて、昔の紡織作業で使われた道具のこと。織物を作るには、当然その前に糸を作らなければならないわけですが、原料をつむいで出来た糸を、くるくる巻き取るための枠が糸車で、「糸枠」とも呼ばれます。
(糸車。ヤフオクの商品写真を寸借)
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ここでは糸車そのものではなく、糸車をかたどった香合を取り上げました。
この香合は、茶道でいう「七夕の茶事」で用いられるものでしょうが、どうもこの御香というのが、七夕には欠かせぬものらしいです。
江戸時代中期、天明年間に出た『七夕草露集』には、「天ハ人間の臭気を嫌ひ給へバ香を炷(たく)こと星宿へ第一の供(そなへ)なるべし」とあって、とにかく香を焚かねば七夕は始まらないようなことが書かれています。
そういうわけで、香合のみならず、次にお香そのものを見てみます。
(この項つづく)
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