ソビエトの星(補遺) ― 2023年07月26日 18時58分01秒
昨日の星座早見に触発されて、天文とは全然関係ありませんが、ちょっとした思い出を書き付けておきます。
東西冷戦体制というのは、私が生まれたときには既に存在したので、何か自然物のような、あたかも大昔からある太平洋や富士山と同じようなものとして、子供心に受け止めていたような気がします。だから冷戦が終結した時、「どんなに強固に見えても、人間社会というのは変わるものなんだなあ…」ということを、頭ではなく、生々しい感覚として味わったのでした。きっと、玉音放送を聞いた少国民も、そんなことを思ったでしょう。
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若い人からすると、ソ連も今のロシアも同じに見えるかもしれません。
確かに連続している部分も多いのですが、でも「ソ連」という言葉には、今の「ロシア」にはないいくつかのイメージが付きまとっていました。
一つは「盟主」のイメージです。
ソ連は痩せても枯れても「東側陣営」の盟主でしたから、孤立しがちな今のロシアよりも、はるかに堂々としたイメージがありました。
もう一つは「労働者」のイメージです。
ソ連は建前としては労働者による、労働者の国でしたから、町のあちこちに筋骨隆々とした労働者像が立ち、人々はしょっちゅう労働歌を歌って団結を誇る…みたいなイメージがありました。
あるいは国家全体を覆う「鉄」のイメージもあります。
ソ連の労働者は盛んに鎌を振るい、ハンマーを打ち下ろし、鉄鉱石を掘り出しては砲弾を拵えました。そして共産党政府は鉄条網で国土を仕切り、鉄の組織で国家を統制したのです。
そんなもろもろのイメージを、プロパガンダアートにくるみ、ソ連という国は自己像の演出に余念がありませんでした。
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何だか妙に熱弁をふるっていますが、要はある世代にとって、「ソ連」という存在には独特の感慨が伴うことを言いたかったのです。そしてここまで語って、はじめて「旧共産圏グッズ」の味わいも伝わるような気がします。
振り返れば、昨日の星座早見盤にも、上のような個人的連想がまとわりついていることを認めないわけにはいきません。
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