人類学博物館にて2023年07月19日 18時51分35秒

すさまじい暑さが続いていますが、一昨日は『高岡親王航海記』を注文した後、勇を振るって外出しました。向かった先は南山大学人類学博物館
『高岡親王航海記』には、いろいろ南方の異人たちが登場するらしいので、そこから連想しての訪問です。

まあ大航海どころか、てくてく歩いて行けるぐらいの距離なんですが、なにせ学校休業日は博物館も休みだし、平日も午後4時半には閉まってしまうので、これまで行く機会がありませんでした。一昨日はたまたまオープンキャンパスの日と重なったための初訪問です。

【注】 同日撮影した写真を手違いですべて削除してしまい、復元もできないため、以下、Googleマップに投稿された写真をお借りします。著作権はもちろんすべて原撮影者の方にあります。なお、撮影時期の関係で、現況とは異なる場合があります。


南山大学は上智大学と兄弟分のカトリック系の大学です。
カトリックの僧侶はザビエルの昔から、世界の津々浦々に布教に赴き、布教と併せて現地の文化について研究を重ねてきた…という歴史が、この人類学博物館の背後にはあります。そして、南山大学の人類学教室は、日本の人類学の歴史の中でも特筆すべき地位を占めていると聞きました。

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博物館は正門近くのR棟地下にあります。
入口に置かれたクリアファイルも記念絵葉書も、ご自由にお取りくださいという太っ腹。しかも展示品はレプリカではなく全て本物なのに、どれも触ってOK、写真もフラッシュをたかなければどうぞご自由に…という、これまた鷹揚な点に驚きました。


私も含め多くの人は、「見るだけの展示」に慣れ過ぎていますが、実際に手で触れるというのは、とても重要なことだと思いました。私が痛感したのは、たとえば新旧の石器類です。


その刃の尖り具合と切れ味は、見ているだけでは決して分からないでしょう。そしてその感触の向こうに、文字を持たなかった人々の見ていた風景が、一瞬鮮やかによみがえったような気がしました。


上の写真は、タイの少数民族で唯一漢字を用いているユーミエン族(ヤオ族)の「評皇券牒」。ユーミエン族の出自から説き起こし、彼らが中国皇帝から直々に移住生活の自由や免租の特権を与えられていることを、皇帝の勅許状という体で書き記した一種の偽文書です。その内容・体裁が、木地師の元祖を惟喬親王に仮託した、いわゆる木地屋文書【参考LINK】とそっくりなことに驚きました。

(ヤオ族の女性。Wikipediaより(rex pe 氏撮影)。ただしこれはタイではなく、中国在住者を撮影した写真のようです。)

ユーミエン族がタイの国境を越えたのは19世紀のことだそうで、そう古いことではありません。でも、ユーミエン族に限らず、中国南部の各民族は、これまで幾度となくその居住域を変え、インドシナ半島へと移り住んだ集団もあるでしょう。今では国境線がリジッドになり、定住政策も進んだので、その移動は緩慢なものとなりましたが、  ユーミエン族の歴史の向こうには、それよりもさらに長く、複雑な民族移動の歴史が――それこそ高丘親王の時代から続くであろう歴史が――垣間見えるようです。

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帰り際、再び石器コーナーの前に立った時、唐突にこんなことを考えました。

人類最大の発明は、火薬でも、活版印刷でも、インターネットでもなく、「言語」だと私は思います。言語を獲得したことで、人類は後戻りのできないルビコンを渡ったと思えるからです。

言語によって人は経験を固定し、それを他者に伝えることができるようになりました。その意味で、言語こそ文化的遺伝子そのものです。そして言語によって、人は「今、ここ」のくびきを逃れて、未来でも過去でも、はるかな山の向こうでも、時空を超えて自由に精神を飛ばすことができるようになりました。

人はいつ言語を獲得したのか?
それはもちろん文字の発明よりもはるかに前でしょうが、「いつ」に関して定説はありません。でも、石器の進化の歴史の中のどこかであることは確実です。


石器と言語はともに世界を切り開き、裁断する―。
この石器群の中にこそ、人類が不可逆な変化を遂げた言語誕生の秘密も隠されているのであろう…と、その刃先に一つずつ触れながら、考えていました。


一方で、言語が生まれたことで、人はリアルな世界から切り離されて、言語が作り出すヴァーチャルな世界に閉じ込められたとも言えます。我々は「アオイ-ソラ-ト-シロイ-クモ」という言葉に邪魔されて、もはや本当の青い空と白い雲と向き合うことができなくなっている気がしてなりません。(たしかに、無心に空を見上げているときもなくはないんですが、対象を意識するともうだめです。このことはたしか以前も書きました)。

言語はこの上なく強力な道具であると同時に、強く人を束縛するものです。
言語以前の人類は、たぶん眼前にないことを思い患うことはなかったでしょうし、ひょっとしたら死すらも恐れなかったかもしれません。言語こそがアダムの林檎であり、楽園を追われる元となった、人類の原罪そのものではないか…と思ったりします。

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人類学博物館を訪れ、そこを辞するまで、参観者は私一人だけでした。
人目を気にすることなく、上のような思い入れたっぷりの時間を過ごせたことは、とても贅沢な時間の使い方で、暑さを乗り越えて訪問してよかったです。