視実等象儀と「心情の天文学」2008年08月31日 21時20分01秒

(昨日のつづき)

視実等象儀の下部拡大。すごい迫力ですね。
この装置はクランクを回すことでカタカタ動き出すはずですが、実際どこがどんな風に動くんでしょうか。ぜひ見てみたいです。また、昨日の写真には、巻き上げ用のネジも写っているので、オートデモンストレーション機能付きかもしれません。

  ★

ところで、この視実等象儀については、たしか稲垣足穂も書いていたぞ…と思い出して、河出文庫版の『宇宙論入門』を見ると、確かに「須弥山さわぎ」という掌編中で触れられていました。

「介石は京都で仏教論部を学び、肥後に帰って庵を結んで、白昼戸を閉ざし燈を点じて観想に耽ること二十余年、須弥世界の模型を作って、各地を講演して歩いた」「僕は〔…〕介石の執着に同情しないわけには行かない」と評価した上で、須弥界模型こそ、「これ疑うべくもなく心情の天文学でないか!」と足穂は大絶賛するのです。

「心情の天文学」。足穂の天文嗜好は、畢竟これに帰するのではないでしょうか。

  ★

ところで、足穂は江戸の天文学にかなりねちっこい興味を抱いていたようですが、そもそも何がきっかけだったんでしょうか?

彼は、昭和19年に『天文日本 星の学者』という、真面目な日本天文史の本を出すだけの知識を蓄えていましたが、しかし近世天文史などというのは、昔も今もマイナーな学問分野であって、門外漢の一作家が1冊の本まで出すというのは、考えてみると異常な話です。相手がタルホなので、「フーン」で済むわけですが。

で、今回その『星の学者』を読むために、筑摩の全集版の第5巻(宇宙モノを集めた巻)を買ってみたんですが、上の点については不明のままです。全集を隅から隅まで読むと、どこかに書いてあるんでしょうか…。

コメント

_ S.U ― 2008年09月01日 22時49分44秒

確かに、私は「フーン」ですませてました! 「タルホだから」これが最大の理由かもしれない
ところがすごいです。

 自伝小説『東京遁走曲』に、『星の学者』の成立過程についてある程度詳細に触れられて
いますが、その興味の発展の過程についてはあまり書かれていません。日本の科学者か
天文学者について執筆を依頼された後に、知人の勧めもあり、「大阪学派」について知った、
ということです。歴史ネタをすぐに消化してしまうのは、タルホといえども天性の作家なのでしょう
(逆説的な言い方ですが)

 ところで、8/30の写真で、仏教宇宙儀の隣に置かれている箱状の物について、説明員の方に
遊郭の「香時計」であると説明を聞きました。これと並べて展示されるのは、ちょっとどうかと
思います。

_ 玉青 ― 2008年09月02日 07時04分29秒

ご教示ありがとうございました!
なるほど、とするとネタは意外に俄仕込みだったわけですね。と聞くと、ちょっと意外な感がするのも足穂ゆえでしょうか。それにしても「星の学者」は、序の部分で「天文の知識は時代の要請」みたいなことがアリバイ的に書かれていますが、あの時代によくああいう浮世ばなれした本が出たなあ…と、その点も感心します。

>遊郭の「香時計」であると説明を聞きました。

ははあ、浅草の観音様へおまいりしたついでに吉原(なか)へ…という趣向ですな。さすがの介石老師も苦笑いでしょうが、聞くところによると、あちらも何やら仏国土だそうで…。いや、贅言失礼しました。

_ S.U ― 2008年09月04日 19時34分30秒

『東京遁走曲』によると、足穂はまず、日本の飛行機の歴史『空の日本 飛行機物語』(1943)
の執筆を依頼され、その次に『天文日本 星の学者』の元となる日本の科学者・天文学者もの
の依頼をされたようです。 これらの題名を見るに、戦時中ですから日本の科学技術史を青少年
向けの国威発揚に利用するねらいが出版者側にあったのだと思います。内容は足穂の趣味で
書かれていて全然そうではないのでしょうが、検閲を通すには有効だったでしょう。

 『空の日本 飛行機物語』(『ヰタ・マキニカリス』収録の『飛行機物語』とは別物)を私は
見ていないので確認はできませんが、そこでは日本の飛行機前史も扱われているので
二宮忠八とか表具師幸吉とかがでてきたのでしょう。それを見た出版社が今度は天文分野で
似たようなものを書いてほしいと考えて、それを足穂に依頼し、足穂も興味を持ったのだと思い
ます。こうして、足穂の少年期からの「天文趣味」と飛行機に発する「日本科学技術史」が
初めて融合したのだと私は見ます。時代背景もあったのでしょうが、彼個人においても
必然だったと考えたいです。

『東京遁走曲』によると、足穂の気合いが入りすぎたのか『星の学者』は難しすぎるということで
元の出版社には受け入れてもらえず、結果的に別の出版社からの出版になりました。

_ 玉青 ― 2008年09月04日 20時28分58秒

詳細な追加情報をありがとうございました。すべて納得です。
当時、あれだけの情報にアクセスするのは大変だったろうと思いますが、出版社側の注文に応えて、日本天文史をすばやく咀嚼し、みごと自家薬籠中のものとしたのは流石ですね。まあ、足穂相手に月並みな賛辞を呈しても無意味かもしれませんが。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック