天文趣味を作った人、山本一清(4)2009年07月23日 22時36分43秒

昨日は、雲を通して、ほんの一瞬、三日月形をしたミルク色の太陽が見えました。
今回は、網膜の損傷がほぼゼロでしたので、安心して次の2035年を待ちたいと思います。

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さて、山本一清の話を続けます。

彼の主著『星座の親しみ』は、要するに季節をおって綴られた、西洋星座の解説なのですが、その書名には、星界を1つの厳格な国家体系とみなす東洋(=中国で生まれた)天文学に対して、西洋天文学が用いる星座は、その成り立ちからしてより情緒的・芸術的であり、一層親しみやすいという山本の主張が込められています。

「此の如き〔東洋〕天文学は、所詮、貴族的哲学体系であって、一般俗衆の近づくべからざる厳格さを備へてゐた。ここからは、星の親しみは生れ得ない〔この1文傍点〕。/之れに反して、西洋に起った天文学は徹頭徹尾、人の情操に訴へる趣きの芸術であり、又は宗教であった。」(『星座の親しみ』11頁)

そして彼は、以後の記述で、徹底的に情に訴えるのです。情に溺れると言ってもいいでしょう。以下の一文など、果たして山本は自分の拠って立つ足場をどう捉えていたのか、不思議の感すら起させます。

「世に芸術家を以って任ずる人よ、君が真にギリシャ魂と相触れんことを思はゞ、先づ天を仰いで星座の美を味はへ、そこにホメロスが囁やき、ヘシオッドが語るを聞くであらう。更にまた世の星学者よ、君の学が、ただ船をやり、年時を数へ、乃至、星辰の物質構造を論ずる以外、更に広く深き人生の自然と相交渉する境地を知らんがため、翻って星座とその形を見よ、そこには冷やかなる理性の世界の代りに、熱と力の満ちた情の世界が、君のハートに迫るを発見するであらう。」(同14‐15頁)


彼はこうした詩心を抱いたまま天文学者となり、そこで一流の成果を挙げたわけですが、彼が本当にやりたかった仕事とは、結局こうした「情の天文学」だったのではないでしょうか。

後述するように、彼がアカデミズムの世界を離れた経緯には、非常に世俗的なゴタゴタが絡んでいたらしいのですが、その根本因は、畢竟こうした資質や肌合いの違いだったと思えます。(逆に、デビュー当時の野尻抱影が山本に反発を感じたのは、「こと文学ならば、自分の方が専門家だ」という自負があったからでは…?)

(この項つづく)