ジョバンニが見た世界…銀河のガラス模型(2)2010年06月09日 19時38分48秒

(昨日のつづき)

賢治は明治29年(1896)の生まれ。大正元年(1912)のときには16歳で、昭和をちょうど30歳で迎え(1926)、昭和8年(1933)に37歳で没しました。彼が生きたのは、ちょうど宇宙構造論が劇的に変化した時代に当ります。

下は賢治の没後、昭和11年に出た『少年天文読本』(『子供の科学』誌別冊付録)から取った「銀河系及び大宇宙の構造」の図。銀河系の直径は20万光年、太陽系は、いて座方向にある中心部から5万光年ほど寄った位置にあることが描かれています。


「銀河までを大体の限りとして、普通の星のある範囲は大体円盤
のやうな形をしてゐることを前に述べました。そして、その円盤型の
宇宙の内には数十億の恒星やガス星雲、散開星団等が含まれ、
球状星団がその周囲にちらばってゐることは前述のとほりです。

〔…〕そこで私共はこの銀河や球状星団までを限りとするこの円盤
状の宇宙を銀河系と呼んで、これを一つの宇宙と考へ、渦状星雲は
それら一つ一つが一つの宇宙であると考へます。そういふ意味で、
銀河系のことを我宇宙なぞと呼ぶこともありますし、逆にこの銀河系
も他から見れば一つの渦状星雲に外ならないだらうとも考へます。」

細部の数値の異同はともかく、現在の標準的な銀河系モデルとほぼ同じですね。特に奇異な点はありません。しかし、その20年前にはまた違ったモデルが存在しました。
既出の井田誠夫氏の論考(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/03/3449422)には、大正4年(1915)の『天文月報』から取った以下の文章が引用されています。

「太陽は銀河の中心より幾何か白鳥座の方向に偏よって居ると
思はれます。銀河の距離の如きは 勿論正確には分って居りませぬが
沢山の学者の研究によれば 五千光年位まで拡がつて居るやうに
思はれます。結局吾々の見て居る星の世界は 短軸が六千光年で
長軸が一万光年位のレンズ形と見倣すことが出来ませう。而して
吾々の見て居る星、星団及び星雲等は皆此星の世界の中に位して
居るものでありませう。この吾々の星の世界の外には果たして何者が
存在するでありませうか、この間に対しては 現今の吾々の知識では
何も分らぬ、と答へるより外に致し方がないと思ひます。」
(小倉伸吉「星の距離(三)」、『天文月報』7巻12号、大正4年3月)

大正4年は、ちょうど賢治が盛岡高等農林に入学した年で、同校図書館は『天文月報』を購読していたので、賢治自身この文を目にした可能性があります。銀河系のサイズがずいぶん小さいのと、我が銀河系だけがこの世に存在する唯一の恒星集団だとする点で、これはいかにも古風な学説ですが、賢治の学校時代には、まだそうした説が力を持っていたのです。(なお、この文章だけだと、小倉のいう「レンズ形」が、饅頭のような扁球なのか、ラグビーボールのような長球なのか、はたまた「平べったい楕円形」なのか、はっきりしません。)

この辺の事情は、以前にも「渦巻き論争と宇宙イメージ」として、過去に3回にわたって記事にしました。

ちょっと話題がずれたかもしれません。
ここで問題にしたかったのは、「島宇宙説」の発展云々よりも、賢治が銀河系の形象として、どんな形を思い浮かべていたろうかということです。

賢治の天文知識の重要な供給源とされる、吉田源治郎の『肉眼に見える星の研究』(大正11年)には、「ハーシェルは其形状を大きな磨(うす)に擬(なぞ)らへました」云々と書かれていますが、レンズの比喩は出てきません(ハーシェルが使った「うす」の原語は未詳)。

ただし、「アンドロメダ座螺旋状大星雲」の解説では、下のようなお馴染みの写真と共に、「之等は皆、我々の宇宙―『天の河』宇宙域外に散在する所の、それぞれ各自に独立した一個の宇宙であらうと想像されて居ります」という説明があって、我が銀河系の形状も、こうした写真から類推される部分が大きかったろうと思います(上の『少年天文読本』の図は、まさにそうですね)。


で、ちょっと気になるのは、このアンドロメダ銀河の写真は、もちろん円盤状のものを斜めから見ているので楕円に見えているわけですが、当時一般の人は、画面の奥行を無視して、正しく楕円形をしたものという風に受け止ったかもしれないなあ、ということです。

大正12年に出た古川龍城の『天体の美観 星夜の巡礼』には、「天の川は我が宇宙の外辺にあたり〔…〕その直径は約二十万光年にも及び、厚さは割合に小さく其の五分の一ぐらゐと評価されてゐる。そして全形はあだかも凸レンズの恰好をしてゐる」とあります。「厚さは割合に小さく」とありますが、それでもかなりの厚さ。

さらに下った昭和8(1933)の『天文学辞典』(山本一清・村上忠敬著)でも、「銀河宇宙」の項で「天の河を周縁とする宇宙は 我が太陽系の存する宇宙であって 両凸レンズ形を成し その直径が凡そ二十万光年程度で その厚さは五万光年内外である」と書かれていて、厚みは一層増しています。

凸レンズの比喩はいいにしても、上のような説明だと、写真に写ったアンドロメダ銀河さながらの、かなり分厚いレンズ形を思い浮かべることになります。もちろん「銀河系」の指示対象にもよるのですが、恒星が分布するディスクと中央のふくらみ(バルジ)だけを取り出すと、現代の我々がイメージする銀河系は、もっと平べったいので、賢治の時代はその点がちょっと違ったかもしれません。

  ★

昨日はウィキペディアから適当に画像を貼り付けましたが、M104のイメージは賢治の頃にも流通していて、これも分厚い凸レンズのイメージに益したことでしょう。

↑野尻抱影の『星座巡礼』(第7版・昭和6年;初版は大正14年)より。



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