科博の形は飛行機の形? 続・アンサー編2010年10月16日 08時09分27秒

とりあえず近所の図書館にあった「東京朝日新聞」を見てみました。
しかし、空振りでした。博物館の外形に触れている記事は皆無。「よく分からん」という結論はそのままです。(なんだかアンサー編になってませんね。やはり頼みの綱は『子供の科学』か…)

   ★

見つかった関連記事の見出しは以下の通り(確かもう1つありましたが、あまりにも小さな記事だったのでコピーをとりませんでした)。

●昭和6年(以下すべて同じ)9月20日
「コドモのペーヂ」「東京科学博物館/見学案内記/上野の森に立派に落成して/近く聖上にも臨幸」「とても有益な…陳列品のいろいろ/皆さんの手で実験も出来ます」
(メモ:11月3日の天覧の記事とともに、一連の報道の中では最も手厚い報道内容です。内容は以下の如し。)


●9月24日
「聖上御秘蔵品を科学博物館へ御下賜/科学御奨励の畏き御思召し」
(メモ:科博に昭和天皇から3点の寄贈があったというニュース。すなわち、明治23年に明治天皇に献上されたエジソン作の蓄音機、明治時代から宮中で使われた直径1メートルの英国製地球儀、そして昭和4年に陸軍大阪工廠が献上した、台座直径80センチの高射砲模型。)

●10月23日
「開館間近き科学博物館」
(メモ:23行のチョイ記事。開館までの準備をスケジュール入りで紹介。)

●10月29日
「科学博物館の異彩/本社より模型出品/印刷工場全景と電光輪転機/近く天覧を仰ぐ」「豆輪転機が動く/朝日式電光輪転機の模型/世界にたゞ一つ」
(メモ:8段ぶち抜きの大きな記事ですが、半分以上は写真が占めています。先日の科博の絵葉書紹介で、「新聞輪転機実演模型」というのを載せましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/10/08/)、あれは朝日新聞社が出品したものだそうです。そのため、朝日ではこの機械のことを、この後も繰り返し記事で取り上げています。私は絵葉書を見てかなり大きなものを想像したのですが、実際には写真のような可愛い4分の1スケールでした。とはいえ、これは立派な完動品で、16分の1サイズの新聞を1時間に14,000枚も刷れるのだそうです。なお、同記事は40分の1スケールの本社印刷工場模型のことにも触れています。)


●11月2日
「けふ光栄に輝く科学の殿堂/この日両陛下に御覧にいれる品々」
(メモ:館内の展示の概要に絡めて天皇の見学を報じる内容。)

●11月3日(夕刊)
「紅葉敷く竹の台に両陛下行幸啓/科学発達の跡を御熱心に天覧/光栄の科学博物館」「感激に堪へず/秋保館長謹話」「写真帳献上/秋保館長から」「朝日式豆輪転機は/御熱心に御覧/本社技術部長の光栄」
(メモ:見出しの如く、かなり仰々しい記事ですが、「科学の殿堂」科博のオープンが、国家的一大イベントであったことがよく分かります。)


●11月5日
「澄宮殿下お成り/各宮殿下もおそろひで/科学博物館へ」
(メモ:天皇皇后の訪問に続き、各皇族もファミリーで見学に訪れたという内容。ちなみに澄宮というのは、後の三笠宮、すなわち昭和天皇の末弟で、ひげの殿下のお父さんです。)


コメント

_ S.U ― 2010年10月16日 17時57分02秒

うーん。粘着型のご探索にもかかわらず、なかなか尻尾を出しませんね。
(それにしても、粘着気質に敬意を表します(笑)。私も同類で「そこまでやると人に嫌われるよ」などと言われる(失礼。笑笑)こともありますが、まあこりゃ性格ですね)

 ところで、開館当時、内部に科博の形のような飛行機の展示はあったのでしょうか。 展示がないとしたら、建物だけは飛行機型だよ、と主張するのはちょっと無理があるように思います。

_ 玉青 ― 2010年10月16日 20時56分43秒

こういうことは、気にしなければ全然気になりませんが、気にすると気になりますね。過度にこだわっても、得るものは少ないと分かってはいるんですが(笑)。

それにしても、飛行機型の博物館というのは、マスコミ受けしそうな話題なんですが、うーん…なかなか出てきませんねえ。

>科博の形のような飛行機の展示

9月20日付の新聞記事によれば、理工学展示室には、飛行実験用の風洞模型があったり、自動車の構造を説明する模型があったりしたそうですから、飛行機そのものの模型もきっとあったろうと思います。でも一連の記事には出てこないので、少なくとも展示の目玉ではなさそうですね。

_ S.U ― 2010年10月17日 08時20分49秒

そうですね。実物を飾るのはちょっと場所を食いますからね。現在なら天井から吊るという手もありますが、当時はそんな雰囲気ではなかったでしょうね。

_ 玉青 ― 2010年10月17日 17時25分35秒

おお、S.Uさんは実物を思い浮かべておられたのですね!
私はちっぽけな模型しか念頭にありませんでした。己のみみっちさを恥じます(笑)。
今の科学系の博物館だと、実物大のロケット(の一部)が飾ってあったりするので、確かに飛行機の実物展示はあってもよさそうですね。当時の人の発想はそこまで行ってなかったのでしょうか。(ひょっとしたら、むしろ縮小してモデル化するところに、サイエンス&テクノロジーの匂いを感じたのかも。)

_ S.U ― 2010年10月17日 19時38分34秒

いえいえ、実をいうと、確か私が科博を訪れ始めた頃に、実際にけっこう広い実物大飛行機展示コーナーがあったのが印象に残っているのです。足穂ファンだった影響もあったのだと思います。
 でも、これは私の勘違いか特別企画だったのかもしれません。1980年代半ばだと思うのですが、当時、そんな展示室がありましたか? 確か、ラムダロケットの近くの建物の1階だったと思うのですが。今は無いですよね。

_ 玉青 ― 2010年10月18日 23時00分43秒

いろいろ書いている割に、私は子どもの頃、科博に行った記憶が曖昧です。たしかに行ったはずなんですが、なんだかボンヤリしています。しかも乗り物の展示に関しては、万世橋にあった交通博物館の記憶と完全にゴッチャになっています。えーと…どうだったかなあ…と思って検索したら、リニューアル前の様子が↓のページに載っていました。98年当時の展示だそうです。
http://www.scimuse.com/museum/19xx/980618oldkahaku.htm

おお、確かに複葉機とか零戦とか、航空関係の展示が充実していたみたいですね。この辺の展示がいつからあったかは未詳ですが、いかにも「懐かしい感じ」があるので、けっこう古そうですね。

_ S.U ― 2010年10月19日 01時51分37秒

お調べありがとうございます。そうですね。「オレンジ館」、「むらさき館」がありましたね。その時代の最後の頃まで、広い飛行機の展示コーナーはあったのですね。
 私のあやふやな記憶では、おおざっぱには、1980年代半ばに昔の飛行機の実物大模型が置かれ始め、1990年代にシミュレータなどに重点が移されたような気がします。あくまでも「気がする」程度の話です。

_ 玉青 ― 2010年10月19日 21時30分44秒

飛行機といえば足穂。
そして来週の月曜日は足穂忌ですね。
それに向けた企画もぼちぼち思案中。。。

_ kaz ― 2010年10月20日 23時13分37秒

はじめまして。 某巨大掲示板から訪ねてきました。
「科博の形は飛行機の形?」、面白く拝読させて頂きました。
小生が科博日本館が飛行機形であることを知ったのは、清水慶一先生のディスカバリートーク「科学博物館日本館建物見学ツアー」でです。
このとき先生は「飛行機形になっている」と言ってはいましたが、確かに「飛行機形に(で)設計された」とは言っていなかったように記憶しています。掲載されている改修工事報告書の該当節の執筆者は清水先生だと思いますので、先生にお尋ねするともう少し詳しい情報が得られるかも知れません。
蛇足ですが、見学ツアーでは通常非公開の旧館長室を見ることができました。室内の館長執務机には、改修工事報告書表紙にある平面図の原図ジアゾコピーがガラス板に覆われておいてあります。

_ 玉青 ― 2010年10月21日 19時33分17秒

Kazさま、はじめまして。

いやあ、このマイナーな話題に興味を持っていただける方がいらっしゃって、それだけでもたいへん嬉しいです。「飛行機の形をしている」のと、「飛行機の形を真似た」のとでは、微妙だけれども結構大きな違いがあると私は思っているのですが、なかなかこの辺は難しいものがありますね。

清水慶一氏のお名前をご教示いただき、ありがとうございました。科博から送っていただいたスキャン資料には、執筆者のお名前がなかったので、助かりました。確かに、この件は一番詳しい方に直接お尋ねするのが最も近道ですね。(一応科博から正式にご回答をいただいたので、今のところこれ以上突っ込んで調べる予定はないのですが、勢いで(←このブログは全て勢いです・笑)お聞きしてしまう可能性もなきにしもあらずです。)

ともあれ、科博の話題に限らず、今後とも拙ブログにお立ち寄りいただければ幸いに存じます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

_ kaz ― 2010年10月22日 00時07分00秒

玉青さま

ご返礼ありがとうございます。多少なりともお役に立てたようで、小生もうれしく思います。
実は、一時期清水先生の日本館ツアーがたいへん面白いので、開催がある度に通ってしまったという過去がございます。まあ、家から歩いて行けるので散歩ついでなんですが。
科博日本館には玉青さんが好きそうなコアな話題がいろいろとございます。是非一度先生の日本館ツアーに参加されて直接お話しを伺うとよいかと思います。

小生も一応理系人間ですので、博物学や科学史には大いに興味がございます。天文学は、まあ、すみません m(_ _)m
でも、過去記事も含めてこれからも拝読させていただきます。

_ 玉青 ― 2010年10月22日 23時51分18秒

あ、kazさんは科博のお近くなんですね。これは羨ましい。
私は地方在住なので、残念ながら、その辺なかなか思うに任せません。でも、今科博のサイトで確認したら、次回の「科学博物館日本館建物見学ツアー」は10月31日だとか。ふむふむ、その日でしたら、うまくいけば都合がつくかもしれません。うーむ、これは勢いに乗じろという天の声かもしれませんね!

天文学については、私も「ど」の付く素人なので;;軽く流していただければありがたいです。

_ Sora ― 2012年03月17日 12時39分39秒

初めまして。以前の科学博物館で検索かけていたらこちらに行き当たりましたのでお邪魔致しました。
元のトピック自体が既に1年以上前ですのでもうお答えが出ているのかもしれませんが。
科博の日本館の形が飛行機の形となっているのは意図的なものです。
10年ほど前にかはくのショップで購入した手持ちの冊子「写真で見た国立科学博物館120年の歩み」によりますと
大正13年~昭和13年まで東京博物館、東京科學博物館の館長を務めた秋保安治氏が、新館(現日本館)の平面を飛行機形とし、両翼部を陳列室、胴体から尾翼にかけてを研究室、標本室、講堂など、人の集る研究、教育の場所とする斬新な構造を立てたと言われた、と書かれていました。
今はリニューアルに伴い、360シアターや広いトイレなどに改装されてしまいましたが、以前の本館には確かに尾翼部に当たるところに講堂や小さな展示室がありました。
竣工当初の本館は1階部分が理工学部の陳列室となっており、古い絵はがきの写真で確認してみると、飛行機のプロペラや模型などが陳列されていたみたいです。
私が子供の頃には航空館(のちのおれんじ館)に航空関連の展示物が展示されておりました。

_ 玉青 ― 2012年03月17日 18時16分06秒

Soraさま、はじめまして。航空館、懐かしいですね。
さて、貴重な情報をどうもありがとうごとうございました。
「…斬新な構造を立てたと‘言われた’」という辺りに、この問題の微妙さがよく表れているように感じました。

この問題は、一時期ずいぶん熱中して記事を書きましたが、主要なものは以下の3編で、これらをお読みいただければ、私の意はほぼ尽くされています。

○科博の形は飛行機の形?
http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/10/04/5383306
○科博の形は飛行機の形? アンサー編
http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/10/14/5413688
○科博の形は飛行機の形?…ファイナルアンサー編
http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/11/05/5473162

科博の形が飛行機を模しているというのは、科博内部で口伝えに伝承されているらしいのですが、そのことを明記した同時代資料はなく、「ファイナルアンサー編」で書いたとおり、「偶然、飛行機の形に似た」という説に分があると現時点では考えています(まあ、真実はやぶの中ですが…)。

ちなみに、秋保館長自身が飛行機型プランを考案したという記述に関してですが、「アンサー編」にあるように、飛行機型プランは、秋保氏のオリジナルプラン(秋保私案)を改変した結果として構想されたものですので、該当の記載には何らかの事実誤認が含まれているかもしれません。

_ Sora ― 2012年03月18日 17時17分33秒

アンサー編とファイナルアンサー編、興味深く読ませて頂きました。確かに秋保館長自身が出した設計案と、現日本館のデザインとは異なりますね。
手持ちの「写真で見た国立科学博物館120年の歩み」は相当面白い記述が記載されているのですが、確かに他の記録記述と比較すると矛盾していたり、一致しない記録箇所もあります。例えばこの書籍には戦時中に東京大空襲で窓ガラスが割れ標本150点が破損したのが戦火による唯一の被害とも書かれていますが、実際は標本収納用の木箱を軍が利用するため、中に入っていた標本数千点が廃棄されたようです。
余談ですが、科学博物館前身の教育博物館時代も左右対象に展示室を設けた造りとなっており、全体の配置図を見ると尾翼部の片側こそ無いものの飛行機型に近い形をしていたようです。
アシンメトリーなL字型の建築物案が却下され、シンメトリーな飛行機型となったのは教育博物館時代からの展示スタイルも関係していたのかもしれませんね。

_ 玉青 ― 2012年03月19日 05時59分43秒

>科学博物館前身の教育博物館時代も左右対象に展示室を設けた造りとなっており…シンメトリーな飛行機型となったのは教育博物館時代からの展示スタイルも関係していたのかも

おお、これは的確なご指摘!
前身の建物のことは考慮に入れていませんでしたが、確かに元々の展示スタイルからの影響は絶対にあったはずですよね。
後世の我々は「飛行機型」の斬新さにまず目を奪われますが、当時の建築事情を考えれば、アシンメトリーな秋保私案の方が斬新だったはずで、シンメトリカルな様式への変更は、ある意味復古調だといえます。そうした保守的ムードの中、果たしてどこまで設計者の遊び心が許容されたか、その点も吟味が必要ではないかと感じました。(設計を担当した文部省大臣官房建築課が、当時他にどんな建築を手掛けていたのか、はたして他にも斬新で実験的な設計を試みていたのか、その点の検証もしてみたいのですが、ちょっと門外漢の手には余ります。)

それにしてもこの件、ファイナルアンサー編では一応きれいにまとめてみたものの、あまりにも「飛行機説」が世間で自明視されているようなので、今一度異を唱える記事を書いてみようと思います(私のへそはだいぶ曲がっているようです・笑)。

Soraさんには貴重な再考の機会を与えていただいたことを、改めてお礼申し上げます。

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