科博の形は飛行機の形?…ファイナルアンサー編 ― 2010年11月05日 19時40分15秒
10月16日の記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/10/16/5417594)のコメント欄で、kazさんに「科学博物館日本館建物見学ツアー」のことを教えていただきました。
これは上野本館で開かれている公開講座、「ディスカバリートーク」の一環です。
当日の講師は、科博の建物を熟知されている、国立科学博物館・産業技術史資料情報センターの清水慶一氏。清水氏は、先に紹介した、『国立科学博物館本館改修工事報告書』を執筆された方でもあります。清水氏にお尋ねすれば、これまでモヤモヤしていたものが晴れるのでは?と思い、ちょっと動機はヨコシマですが、見学ツアーに参加させていただきました。
これは上野本館で開かれている公開講座、「ディスカバリートーク」の一環です。
当日の講師は、科博の建物を熟知されている、国立科学博物館・産業技術史資料情報センターの清水慶一氏。清水氏は、先に紹介した、『国立科学博物館本館改修工事報告書』を執筆された方でもあります。清水氏にお尋ねすれば、これまでモヤモヤしていたものが晴れるのでは?と思い、ちょっと動機はヨコシマですが、見学ツアーに参加させていただきました。
清水氏の説明を伺いながら、他の参加者の方とともに館内を回った後(初めて見る講堂の造作にビックリ)、質疑応答の時間になったので、疑問の点をずばりお聞きしてみました。
「科博の建物は飛行機の形をしていると言われます。これは設計当初から飛行機を意識していたのでしょうか、それとも結果的に、偶然飛行機の形に似たのでしょうか?」
★
「結論から言えば、偶然似たのだと思います。」
清水氏の答は明快でした。
「科博の構造は当時の他の博物館と共通する様式で建てられています。設計に当っていちばん参考にしたのは、シカゴとミュンヘンの博物館で、これらは科博よりもずっと大規模ですが、やはり翼を張り出した陳列室を持っています。その背後に施設を設けたら、飛行機の形に似たということでしょう。」
「ただし…」と清水氏は続けられました。
「今のは、硬く答えればそうなる…ということですよ。ええ、これはもう“飛行機の形”でいいんですよ。私も他の人に説明する時には『飛行機の形をしている』と話すようにしています。設計者だって、最後の方は設計図を見て、『うん、これは飛行機だな』と思ったかもしれませんしね。」
うーむ、何と素敵なコメントでしょう。
科博の形は飛行機にして飛行機にあらず。
★
その科博には、現在以下のような説明板が掲げられています(下から3行めに注目)。
科博自身が「飛行機伝説」に折り紙を付けているわけですが、その当否は、おそらく見る角度によって変わる、のでしょうね。
コメント
_ S.U ― 2010年11月05日 21時51分28秒
_ kaz ― 2010年11月05日 22時59分16秒
清水先生のコメントを読むと、飛行機に見えることを単純に面白いと思ったり、昔の人の遊び心だと思ってちょっと苦笑したりするのが、旧東京科学博物館本館という場に相応しい接し方のような気がしてきました。
科学技術がまだ幸福な未来を約束する切符だった時代に、夢を一杯詰め込んで未来に飛んでいく飛行機だった建物。 そんな建物には、設計者が意図しかどうかなど野暮なことだったかもしれませんね。
科学技術がまだ幸福な未来を約束する切符だった時代に、夢を一杯詰め込んで未来に飛んでいく飛行機だった建物。 そんな建物には、設計者が意図しかどうかなど野暮なことだったかもしれませんね。
_ 玉青 ― 2010年11月06日 15時30分07秒
S.Uさま、kazさま
いろいろさまよった末の大団円、といった感じですね。
科博はまさに「夢の飛行機」もしくは「飛行機の夢」。もはや設計者個人の思惑を超えた、一種の象徴的存在と見なすべきなのでしょう。
きらきら光る科学の夢を燃料に、少年少女を乗せて、どこまでも飛び続けてほしいです。
ツアー訪問の機会を与えていただいたkazさんに、改めてお礼申し上げます。
いろいろさまよった末の大団円、といった感じですね。
科博はまさに「夢の飛行機」もしくは「飛行機の夢」。もはや設計者個人の思惑を超えた、一種の象徴的存在と見なすべきなのでしょう。
きらきら光る科学の夢を燃料に、少年少女を乗せて、どこまでも飛び続けてほしいです。
ツアー訪問の機会を与えていただいたkazさんに、改めてお礼申し上げます。
_ kaz ― 2011年02月24日 23時29分39秒
「科学博物館日本館建物見学ツアー」の講師で、
玉青さんの質問に素敵なコメントをいただいた
清水慶一先生が、2月20日、肺がんのためお亡くなりになりました。
清水先生のツアーは今年1月にも予定されていましたが、
キャンセルになったと記憶しています。
結果的に玉青さんが参加された回が
先生最後のツアーになってしまいました。
もう、あのツアーが無くなってしまうと思うと
残念でなりません。
今は天国からこの飛行機の形の建物を
見守っておられることと思います。
先生のご訃報に接し、心から哀悼の意を表します。
玉青さんの質問に素敵なコメントをいただいた
清水慶一先生が、2月20日、肺がんのためお亡くなりになりました。
清水先生のツアーは今年1月にも予定されていましたが、
キャンセルになったと記憶しています。
結果的に玉青さんが参加された回が
先生最後のツアーになってしまいました。
もう、あのツアーが無くなってしまうと思うと
残念でなりません。
今は天国からこの飛行機の形の建物を
見守っておられることと思います。
先生のご訃報に接し、心から哀悼の意を表します。
_ 玉青 ― 2011年02月25日 19時52分43秒
なんと!言葉もありません。
思い起こせば、あの日、清水先生は「今、声が出ないので失礼します」と恐縮されたご様子で、ポータブルレシーバーを参加者に配り、マイクを通じて解説をされていました。風邪でもひかれたのかな?と、そのときは思ったのですが、肺をずいぶん悪くされていたのですね。
そうですか、あれが最後のツアーだったのですか…
清水先生のご冥福を衷心よりお祈りいたします。
そして、この上もなく大切なご縁をいただいたkazさんに、重ねてお礼申し上げます。お知らせいただき、ありがとうございました。
思い起こせば、あの日、清水先生は「今、声が出ないので失礼します」と恐縮されたご様子で、ポータブルレシーバーを参加者に配り、マイクを通じて解説をされていました。風邪でもひかれたのかな?と、そのときは思ったのですが、肺をずいぶん悪くされていたのですね。
そうですか、あれが最後のツアーだったのですか…
清水先生のご冥福を衷心よりお祈りいたします。
そして、この上もなく大切なご縁をいただいたkazさんに、重ねてお礼申し上げます。お知らせいただき、ありがとうございました。
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>「そのころの最先端の科学技術の象徴だった飛行機の形をしている。」
いいですね。 その時代の人々の思いが設計者個人の着想を乗り越えて伝わってきます。理由はどうであれ、飛行機に似ていてよかったです。