帝都復興土竜隊(その3)2011年03月27日 13時35分09秒

探査機「はやぶさ」のミッションは、数々の困難を、「こんなこともあろうかと…」と仕組まれていた、アッと驚く秘策や裏技でみごと乗り切り、人々に感動を与えました。

しかし、福島第一原発では、荒れ狂う「魔物」に真正面からぶつかる持久戦が延々と続いているようです。現場の方の身命を賭した努力には本当に頭が下がります。そして、今はシステム全体がダウンしているので、「はやぶさ」と比べるのは、穏当ではないかもしれません。しかし、日本の技術力に期待を寄せる一人として、この難局の中で、いぶし銀のような手並みや、鮮やかなアイデアが飛び出すことを願って止みません。

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(前回のつづき)

土竜隊が掘った縦穴は、1か所あたり平均30~40m、中には100mに達するものもありましたが、東京近辺だと、それだけ掘っても岩盤に行き当たりません。粘土、砂礫、砂、そんなものがぶ厚く積もっており、鉱物趣味の徒からすれば、何だか妙に卑俗な、つまらない土地かもしれません。(まあ、だからこそ洒落たキーストン鑿井機が、スチームとうなりを上げて活躍することもできたわけで、相手が岩だったらそれこそ歯が立たなかったでしょう。)

そんな土地柄ではありますが、そこにもまた、大地の歩みが自ずと記されています。各地から採取したサンプルに基づいて読み解いた<大地の履歴書>が、この報告書というわけです。

この報告書の見どころである、16 枚の附図は、いずれもかなり大判です。たとえば、下の第2図「東京地表及地下地質図」は、高さが1メートルを超えるので、私の狭い机の上では広げることもままなりません。


詳細な写真を撮れなかったので、以下は雰囲気程度の紹介にとどめておきます。

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下は第1図に戻って「東京及横浜付近地質図」。これは広域現況図にあたり、現在(=大正末)の地表面の地質分布を図示したものです。


薄茶色の部分がローム層で、山手の台地部分を構成しています。元はもっと単純にこんもり盛り上がっていたのでしょうが、長年にわたって河川の浸食を受けた結果、今では細かくひび割れています。そうして出来た谷間や下町エリアには、比較的最近堆積した粘土や砂礫の層(沖積層)が広がっているのが見えます。川崎あたりは、ちょうど多摩川の扇状地のように見えますね。

よく見るとローム層の周辺(山裾部分)に、わずかに緑や黄色や青の部分が見えますが、これはロームが積もった洪積世(200万年前~)よりも、さらに古い第三紀の地層が顔をのぞかせているもので、ローム層はこの上に覆いかぶさるように乗っかっています。

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先に掲げた第2図は、第1図の東京市域部を拡大し、さらに地質をより詳細に分類して図示したものですが、そこから沖積層をはぎ取ったのが下の第3図です。


このエリアでは、かなり広い地域が洪積層を欠いており、第三紀の古い地層(緑色やオレンジ色)の上に、直接土砂が積もって沖積層を形成していることが読み取れます。

 (↑上の図の表題部。何となく格好いい。)

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これまた巨大な図ですが、こちらは地質の垂直分布を示す「東京地質断面図」(第9図)。東京のあちこちにナイフを入れて、サクッと割ってみるとこうなっているよ…というのを視覚化したものです。

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大地の謎ときの妙、大正時代のサイエンス&テクノロジー、それらを不燃都市建設に生かそうと奮闘した人々の情熱。これらの図版の背後に、「帝都物語」や「サクラ大戦」的活劇を思い浮かべると、一層味わいが深いかもしれませんね。