遠い世界へ ― 2011年03月31日 22時42分23秒
(↑1950年代にアメリカで頒布された天体写真セット)
地震と原発で頭がへろへろになっているうちに、3月も終わりです。
デジカメもまだ買いに行けません。
そんなわけで、今月はあまり記事を書けませんでした。
まあ、それも当然だと思います。
原発があの状態では、「理科趣味」などと呑気なことを言っている場合ではないと、自分で言うのも変ですが、そう思いました。
★
その一方で、星は人々にとってやはり大きな慰めだなあ…という思いも深いです。
空を見上げさえすれば、そこには無限とも思える遠い世界が広がっています。
昔、『ビクトリア時代のアマチュア天文家』を読んでいて、「どんなに苦しい環境でも、貧しいアマチュア天文家は星を見るのをやめなかった。いや、苦しいからこそ、彼らはそれを忘れるために、一層熱心に星を見たのだ」という趣旨のことが書かれていて、大いにうなずいた覚えがあります。
人間の気高さも、愚かさも、悲劇も、喜劇も、すべてが無に感じられるほど、はるかな高みで光を放つ星の姿を見るとき、人は言葉にならない思い、言葉にするには深遠すぎる思いに包まれることも少なくない。
「天文古玩」は、近ごろ人事寄りの話題が多かった気もしますが、「はるかな世界への憧れ」こそ、自らの拠って立つ足場ではなかろうかと、省みて思いました。
地震と原発で頭がへろへろになっているうちに、3月も終わりです。
デジカメもまだ買いに行けません。
そんなわけで、今月はあまり記事を書けませんでした。
まあ、それも当然だと思います。
原発があの状態では、「理科趣味」などと呑気なことを言っている場合ではないと、自分で言うのも変ですが、そう思いました。
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その一方で、星は人々にとってやはり大きな慰めだなあ…という思いも深いです。
空を見上げさえすれば、そこには無限とも思える遠い世界が広がっています。
昔、『ビクトリア時代のアマチュア天文家』を読んでいて、「どんなに苦しい環境でも、貧しいアマチュア天文家は星を見るのをやめなかった。いや、苦しいからこそ、彼らはそれを忘れるために、一層熱心に星を見たのだ」という趣旨のことが書かれていて、大いにうなずいた覚えがあります。
人間の気高さも、愚かさも、悲劇も、喜劇も、すべてが無に感じられるほど、はるかな高みで光を放つ星の姿を見るとき、人は言葉にならない思い、言葉にするには深遠すぎる思いに包まれることも少なくない。
「天文古玩」は、近ごろ人事寄りの話題が多かった気もしますが、「はるかな世界への憧れ」こそ、自らの拠って立つ足場ではなかろうかと、省みて思いました。
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