もう一人のジョバンニ2013年04月16日 06時18分34秒

銀河鉄道の夜にちなみ、「ジョバンニが見た世界」を考証していて、何かイタリアにちなむ天文アイテムが欲しいと思いました。それは午後の授業の教室の壁にぶら下がっていてもよく、また時計屋のショーウィンドウに飾られてもいいのですが、とにかく物語の舞台を暗示するために、そういうものがあってもいいかなと思ったのです。

   ★

しかし、改めて考えると、どうもイタリアでは天文学が振るわず、少なくとも近代以降は天文後進国だったことは否めません(これは科学技術全般について言えることかもしれません)。

もちろん、あのガリレオはいます。
しかし、ガリレオがあまりにも偉大すぎて、あたかもイタリアの天文エキスをすべて吸い取ってしまったかのように、その後は英・独・仏のはるか後塵を拝する状態が続きました。

それはガリレオ騒動のときもそうでしたが、やはり教会権力によって、自由な学問研究が抑圧されがちであったという風土も影響しているのでしょう。

(夜のサンピエトロ寺院)

ガリレオ以後、イタリアで名のある天文学者といえば、最初の小惑星(ケレス)を発見したジュゼッペ・ピアッツィ(Gòuseppe Piazzi 1746-1826)や、恒星の分光学的研究をリードした、アンジェロ・セッキ(Angelo Secchi 1818-1878) ぐらいでしょうが、彼らはいずれもカトリックの僧で、そういう立場だったからこそ、活動が許容された面もあると思います。(とはいえ、セッキ神父もイエズス会とバチカンとの確執から、一時はローマ追放の憂き目を見ました。19世紀になってからも、イタリアはそんなことが起こりうる国だったのです。)

あるいは、ちょっと変わったところでは、ガリレオの同時代人に、ニッコロ・ズッキ(Niccolo Zucchi 1586-1670)という人がいます。この人も神父さんで、「金星の方が水星よりも太陽に近い。なぜなら金星の方が美しいから」という奇説を唱えた、天文学者としてはちょっとどうかと思える人ですが(でも素敵な説です)、彼は1640年に自作の望遠鏡で火星面の模様を観測し、それがカッシーニによる火星の自転周期の決定に役立った…というエピソードを残しています。

それから200年あまり後、イタリアのもう一人の天文家が、火星の観測で一大センセーションを巻き起こしました。その名もジョバンニ、すなわちジョヴァンニ・スキャパレリ(Giovanni Virginio Schiaparelli 1835-1910)です。

この人は僧侶ではなく俗人ですが、ミラノのブレラ天文台長職を長く務め、流星群と彗星の関係を明らかにするなど、実際には本格派のまじめな天文学者です。でも、今ではもっぱら「火星の運河を(誤って)発見した人」という、不名誉な記憶のされ方をしているのではないでしょうか。

もちろん、天文学史に多少とも通じた人は、それこそスキャパレリにとって濡れ衣で、彼は火星表面に自然地形としての溝(カナリ/カナル)を見たと報告したに過ぎず、それが「運河(キャナル)」と英語圏に誤伝され、大騒動になったことをご存知でしょう。
ともあれ、彼の名は今や火星の運河と固く結びついてしまっています。
(でも、彼の見たカナリも多分に迷妄の産物でしたから、100%濡れ衣とも言い切れないような…)

   ★


そのスキャパレリの絵図を見つけました。


ブレラ天文台の主力機材、口径20インチの屈折望遠鏡で観測に励むスキャパレリを描いた絵で(元は写真かもしれません)、『イタリア絵入り新聞 L'illustrazione Italiana』1898年の紙面を飾ったものです。
紙面はA3サイズで、上の挿絵自体は約 20.5 × 31cm の大きさがあります。
これ1枚単独で売っていたので、ダイソーで買った安い額に入れてみました。

(ひげが立派)

“銀河鉄道の旅から戻ったジョバンニは、後に猛勉強して天文学者になった。彼の姓はスキャパレリ…”というようなオチはどうでしょう?
ちょっと時代が整合しないのが残念ですが。

コメント

_ S.U ― 2013年04月17日 08時11分30秒

>スキャパレリ~濡れ衣
 それでも、スキャパレリは、そして「銀鉄」のジョバンニも、火星人がいるかどうか想像を巡らせたことはあったと思うのですが、彼らはどういう意見だったのでしょうか。

>天文後進国~科学技術全般
 天文学を少しだけ物理学の方向に広げるだけで、20世紀のイタリア出身の科学者は、マルコーニ、フェルミ、ロッシ、セグレ、ジャコーニ、ルビアらの名が挙がるので、一瞬そんなことなかろうと思いましたが、確かに人数的には多くはなく日本その他の多くの国並みかもしれません。
 イタリアが20世紀に活躍したのは、自動車とファッション(服飾、アクセサリー、雑貨など)の方面ですので、「銀鉄」のジョバンニは技術者あるいはデザイナーとしてこの業界に多大な貢献をした、というのはどうでしょうか。(といっても、時代の合う「ジョバンニさん」を見つけてはいませんが)

_ 玉青 ― 2013年04月17日 20時58分46秒

>マルコーニ…

おお、確かに。これはイタリアをけなし過ぎました。
たぶん英独仏と並べるから、勢い差が目立つのであって、ロシアとか、スペインとか、オランダとかを基準にすれば、「十人並み」というか、特に後進国扱いするには及ばんですね。(むしろ、かつての英独仏の方が特異な存在だったのでしょう。)

ときに、ジョバンニはどんな大人になったんでしょうね。
何はともあれ、まっすぐに育ってほしいと祈るばかりです。
改めて振り返ると、父の行方不明、母の病気、貧困、いじめ、無二の親友の死…彼の少年時代はあまりにも過酷です。その少年に、さらに人の本当の幸いを探せと命ずる賢治さんは、見ようによってはサディスティックだとすら私は思います。私だったら、もうそんなに頑張らんでいい、キミはもう十分頑張った、と言ってやりたいですが…。

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