小石川とインターメディアテク2016年10月16日 12時11分49秒



昔…といっても、まだ10年も経ちませんが、東大総合研究博物館の小石川分館で常設展示されていた「驚異の部屋展」を、この時期になると懐かしく思い出します(私の中では、小石川は秋のイメージと結びついています)。

文明開化の息吹を伝える、明治の擬洋風建築(旧医学館)の床をギシギシ、コトコト言わせて、古い標本や教具の間をゆっくり見て回るのは、とても豊かなひとときでした。あそこはいつ訪ねても人気(ひとけ)がなく、窓の外の植物園には、ときに冷たい雨が、ときに柔らかな日差しが降り注ぎ、自分はそれを眺めながら、昔のことや今のことをぼんやり考えたのでした。

   ★

あそこに並んでいたモノの多くは、今も丸の内のインターメディアテク(IMT)で目にすることができます。でも、それはかつての小石川の経験と等質ではありません。

別にIMTが悪いというわけではありません。

…と言いつつ、やっぱり悪口になってしまいますが、今のIMTに見られる「物量主義」と「豪華珍品主義」は、結局のところ、20年以上昔に『芸術新潮』が「東京大学のコレクションは凄いぞ!」という特集を組んだ際(1995年11月号)の、「お宝バンザイ」的なノリと何ら変わりません。あえていえば、それは「アカデミックな成金趣味」そのもので、あの展示を見ていると、「どうだ、恐れ入ったか!」と、驚嘆することを強いられているような、妙な疲労感を覚えることがあります。

   ★

あれ、キミらしくないね。物量と珍品こそヴンダーカンマーの本質だろ?何でそれがいかんの?

いやあ、齢のせいかな。この頃、焼肉よりお茶漬けを好むようになってね。

はは、なるほど。でも、別にIMTの物量に圧倒される必要はないよ。ありゃあ大時代な“帝国主義的博物館”の一種のパロディというか、モノを展示しているように見せて、実は“博物館的空間”を展示している、巨大なインスタレーション作品なんだから。そこに西野館長の狡猾な――もとい緻密な計算があるわけさ。

え、本当かい?そんなもんかなあ…

ああ、間違いない。あのあざとい壁の色を見れば分かる。

まあ、それなら得心がいくけど。

IMTに侘び茶の風情を求めるのはお門違いさ。IMTに行ったら、IMTそのものを楽しまなくちゃ。

うーん…でも強いて望むなら、IMTにはもっと静寂と、木々の緑と、大らかさが欲しいね。その点は、昔の小石川のほうが遥かに良かったよ。それでこそ、空間そのものをもっと楽しめる気がする。

   ★

…と、上の赤い人は無責任な感想を述べていますが、「あれで入館無料」という東大の太っ腹には、私も大いに敬意を払っていますし、これからも度々足を運ぶことでしょう。

そして、これは100%確実な予想ですが、もしIMTが将来閉館したら、「あんな素晴らしい、夢のような空間はなかった」と、私はしみじみ述懐するはずです。私は追憶の中でしか生きられないのかもしれません。

コメント

_ ZAM20F2 ― 2016年10月16日 15時25分16秒

小石川は何度か訪れたことがありますが、いつも人が少なく、のんびりとした時間を過ごせるところですね。そのつもりでIMTに出かけたもので、人の多さに驚いてしまいました。あれだけの物を捨てずにただで見せてくれるのは、すごいことなのですが、その子孫を使ったりしている身としては脈絡のない展示になじみにくいものもありました。
人の入りを見ていると、IMTより小石川の方が先に取りつぶしになるのではないかと、不安な気もします。小石川、いつまでも残っていて欲しい場所です。(ついでに、あそこからも植物園に入れるようになると文句ないんですけどね)

_ 玉青 ― 2016年10月19日 07時14分45秒

>IMTより小石川の方が先に取りつぶしになるのではないか

あはは…と笑ってられないリアリティがありますね。
まあ、建物は使えばいたみますが、使わないともっといたむそうですから、せいぜい活用しつづけてほしいものです。

ときに、分館から植物園に入れないのは本当に不便ですね。
それと植物園の入園券は、植物園とは全然別の、煙草屋さんみたいなところで売っているシステムは、今もそのままなのでしょうか?まあ、ああいう不便さが、何となく「昔っぽい」感じがして良い…と思うのは、かなりひねくれた感じ方かもしれませんが、IMTの妙に取り澄ました「お洒落」な雰囲気よりは、むしろ私の性に合います。(笑)

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