空の旅(12)…18世紀の天文ゲーム2017年05月01日 22時34分25秒

昨日につづき、今日もアーミラリー・スフィアの姿が見えます。


これが何かというのは、その脇のカードに書かれている通りです。

「1796年、ロンドンで出たカードゲーム、『The Elements of Astronomy & Geography』 。ゲーム形式で天文学と地理学の基礎を学べる品です。時代が19世紀を迎える頃、市民社会の訪れとともに、天文学への関心が急速に高まりを見せました。」

『パリス神父作、精刻美彩の40枚の手札を用いた天文学・地理学入門』

フランス革命後の新しい世界。
それは教育による立身が可能な世界であり、「教育は財産」という観念が普及した時代です。ただし、国民皆教育制度が成立するのは、欧米でも19世紀後半ですから、それまでは家庭教育のウェイトが大きく、そのため教育玩具の需要が高まった時代でもあります。

天文学や地理学は、その恰好のテーマであり、この品もその1つです。


各カードは、表面が図版、その裏が解説になっています。
内容はご覧の通り、かなりお堅い感じで、主に球面幾何学に関する解説が延々と続きます。

果たして、これでどんなゲームを楽しんだのか、ルール解説がないので、ちょっと想像しにくいのですが、お父さんが食後のテーブルで、こういうものを使って親しく語りかけてくれるだけでも、子どもたちにとっては、嬉しく楽しい経験だったかもしれません。




この手の品は、イギリスのみならず、国を越えていろいろ出ています。
上の左側のカードは、昨年夏に池袋のナチュラルヒストリエで開催された「博物蒐集家の応接間――避暑地の休暇 旅の始まり」で展示した、1803年にフランスで出た天文カードゲーム。

   ★

現代に通じる、「ホビーとしての天文趣味」が成立したのは、ちょうど世紀をまたぐ1800年前後のこと…という仮説を私は持っています。

それを生み出した最大の要因は、上に述べたように、フランス革命後の市民社会の到来ですが、フランス革命が天文趣味を生んだ…とまで言うと、ちょっと言い過ぎで、革命前の啓蒙主義の時代から、「アマチュアの科学愛好家」はいましたし、天文趣味もその延長線上にあるのでしょう。

より正確を期して言えば、つまりこういうことです。
啓蒙主義の延長線上に、市民革命があり、教育制度の普及があり、そして天文趣味の誕生もあった―と。

   ★

19世紀以降の天文アイテムは、ことごとく天文趣味の歴史と不即不離の関係にありますが、中でもこの種のゲーム類こそ、その普及の様相を明瞭に物語るものですし、その存在は、通常の「天文学史」の埒外にあって、まさに「天文趣味史」としてしか記述しえないものですから、このブログで取り上げる価値は十分にあります。

天文モチーフのゲーム類については、遠からず、ぜひ独立した話題として取り上げたいと思います。


コメント

_ S.U ― 2017年05月02日 07時05分53秒

教育や学問も「時代につれ・・・」でありまして、天文学の初歩としての幾何学や暦学も今と昔では相当感覚が違うと思います。おそらく、現代人が、天文学の初歩して、ご紹介のイギリスのカードの裏側を見ると「堅いばかりでつまらない」と感じるのでしょうが、おそらくは20世紀中盤までは、これをゲーム感覚で楽しめる大人も子供もけっこういたのではないでしょうか。

 しかし、現代でも、大人につまらなく見えても子供は意外に楽しんでくれるかもしれないので、天文学の初歩としてこういう知識を勧めてみるというのも大事なことではないかと思います。大人が「今さらこんなことを教えても面倒なばかりで、子供にも受けないだろう」と思うことが、意外にも深く大事な視点があったり、本当は子供に受けたりすることがあるので、私のごく乏しい経験からでも教材の選択は難しいと思うことがしばしばあります。

_ 玉青 ― 2017年05月02日 09時24分40秒

前にも書いた気がしますが、「知ることは面白いこと」という感覚を、今の我々は忘れがちですね。これはまことに不幸なことだと思います。

なぜそうなってしまったかを考えると、基本的に情報過多な環境では、処理能力を超えた過負荷を避け、自己を守るために、情報を遮断しようとする機制が働くせいではないかと思います。ちょっと皮肉な言い方をすると、現代の人は「情報のフォアグラ・ガチョウ」化していて、強制給餌よろしく情報を絶えず流し込まれていますが、これでは知る喜びなど生まれようがありません。実際、情報のシャワーに倦み疲れている人も多いことでしょう。

でも、S.Uさんの御説にはたがいますが、ひょっとしたら、この辺のことはルソーが「自然に帰れ」と叫んだ――叫ばざるを得なかった――辺りから、ずっと持ち越されている課題かもしれず、「啓蒙主義こそ新たな蒙の母であった」…なんていうオチも、なくはないかもしれませんよ。(^J^)

_ S.U ― 2017年05月02日 17時30分55秒

>啓蒙主義こそ新たな蒙の母
 なるほど、啓蒙主義が人々に自由を与えるのは、何でも調べようと思ったら調べられる百科事典が手元にあるところまでで、決して本人が望まないことまでベラベラ教えることではありませんね。おっしゃる通りだと思います。相手が子供の場合は、その潜在的要求に応えて教育することが重要になりますが、望まないことまで教えない方がよいのは同じと考えます。AIが何でもベラベラタネあかしをするような世の中は来てほしくありません。

 さて、それはそうとして、遊び人の叔父さんやら、近所の博学の小父さんやら、話し好きの年寄りやらが、子供を捕まえて迷惑を顧みず、何でもかんでもベラベラと得意げに話して聴かせる、そういうのはそれなりの妙味と効用がありますので、特別に残しておいてもよろしいのではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2017年05月03日 11時57分59秒

>AIが何でもベラベラタネあかし

百科事典はそこに「ある」ことが重要であり、事典自らが大声で話し始めたら、うるさいことこの上ないですね。思わず耳をふさぎたくなります。
そもそもAIが「自分は何でも知っている」かのように振る舞うのは僭越の極みで、世の中には「語り得ぬ真理」もあることをAIには教えてやりたいです。でも、それを学習するレベルまでAIが進化したら、それはそれで怖くもありますね。

   +

ときに、「語り得ぬ真理」ということを文字にしながら、ふと昔の偉い人が、何か気の利いたことを言っていたな…と思い出して検索したら、それはウィトゲンシュタインの「およそ語られ得ることは明晰に語られ得る。そして論じ得ないことについては、人は沈黙せねばならない」という言葉でした。

私はウィトゲンシュタインのことなど、これっぽっちも知らずにいましたが、改めて話を聞いてみると、彼の生き様はなかなか興味深いもので、前半生においては隠者のような思索生活を送りつつ、上の名セリフを含む『論理哲学論考』を脱稿後は、哲学の仕事はすべて終ったと考えて、唐突に田舎の小学校の先生になります。

その教育ぶりがまた良くて、ウィキペディア氏の文章を引用すると、
「ウィトゲンシュタインの教育方針は、紙の上の知識よりも、子供たちが自分で好奇心をもって見聞を広めることを重視したものであった。理科の授業では、猫の骸骨を生徒と集めて骨格標本を作ったり、夜に集まって天体観測をしたり、自分の顕微鏡で道端の植物を観察させたりした。また、銅鉱山や印刷所、あるいは古い建築様式をもつ建築物のあるウィーンなどへの社会科見学もたびたび行なった。その他にも、数学ではかなり早い段階から代数学を教えるなど、非常に熱心な教育者であった。」…という塩梅だったそうです。

なかなか良い光景で、私はウィトゲンシュタインという人のことが好きになりました。
で、50の手習いもいいところですが、このたび『論理哲学論考』を買って読むことにしました。これも、S.U先生という稀代の教育者のおかげであり、時宜を捉えて好奇心を刺激することの重要性を示す事例だと思います。どうもありがとうございました。

(まあ、読んで理解できるかどうかは別問題ですが、山というのは別に登頂しなくても、麓から見上げるだけでもおよその山容は分かりますから、この際手に取るだけで良しとしましょう。)

_ S.U ― 2017年05月03日 19時01分28秒

>ウィトゲンシュタイン
 これは、ぜひ、ご研究いただき、またおりに触れてご教示いただきたいと存じます。
 私も著書を読んだことはないのですが、大正・昭和の日本の文学にはしばしば出てきて、いい感じのように思っています。(でも、そう思って読みかけたベルクソンは、とりあえず放り投げました。)

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