青い星座絵ハガキ(前編)2018年03月28日 07時09分54秒

ゆうべ空を見上げていました。
最近はしょっちゅうボンヤリしているので、空ばかり見ている気がします。
空というのは、そこに浮かんでいる雲とか星とかもいいのですが、空自体も不思議な色合いで、私の心を惹きつけます。

昨日見たのは、ちょうど一番星がちらちら光り出し、まだ二番星は見えない頃合いの空です。透明な青と透明な黄緑をまぜたような色合いの空が一面に底光りして、「これは…」と思っているうちに、空は徐々に光を失い、そこに二番星、三番星が輝き出しました。

こんな風に毎日毎時、空を観察しつづけたら、いつか素敵な『空色図鑑』が編めるかもしれませんね。

   ★

空の色といえば、素敵な星座の絵葉書を見つけました。


黄道12星座を、星の並びとモダンな表現の星座絵で表したものです。特筆すべきは、その夜空の青のグラデーションと、そこに散った銀の星のコントラストの美しさ。


そして、ここが重要ですが、これらは機械印刷ではなくて、1枚1枚手刷りされたシルクスクリーンのアート作品だということです。


何と繊細な作品だろうと思います。
次回は、1940年代に遡るらしい、この絵葉書に秘められたストーリーについて述べます。

(この項つづく)


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▼閑語(ブログ内ブログ)

“佐川さんて、人を喰った男だね。”

――そう聞いて、もう一人の佐川さんを思い起こす人は、それなりに年の行った方でしょう(佐川一政氏のことです)。事の性質に照らして、こんな軽口を叩くのは、あまり褒められたことじゃありませんが、国会での佐川氏の応答は、同様に寒心に堪えぬものでした。

とはいえ、ここで重要なことは、トカゲのしっぽは派手で目立つほど、その陽動効果を発揮するわけですから、しっぽの動きは視界の隅に入れながらも、本体がどちらに向って動いているかに注意の焦点を置くことでしょう。

コメント

_ S.U ― 2018年03月29日 19時43分18秒

>佐川さん~トカゲのしっぽ
 世間一般の常識から言うと、古代から現代に至るまで、公務員の不正行為というのは「ワイロ」でしか動かないものと相場が決まっているのに、なぜ現代人はみんな「忖度」程度で納得してしまうのかとても異様に感じます。私は納得がいきません。

 公務員は、忖度して多少出世しても、寝ていて大金持ちになるわけではありません。本当に出世できるかはわかりませんし、出世しても有名人になれるわけでもありません。給料が2割くらい増えて、慣れない仕事をやらされて、へまをするとかえって損という、きわめて地道な仕事だと思います。昔なら天下りで寝ていてお金がもらえる転職というのもありましたが、天下り規制のある今監視の下でそれをすると目立ってしまいます。彼らは目立ちたくはないでしょう。公務員の皆様は、公正に働くことしか考えておられないはずで、上司の心証を良くするために多少のインチキをなどという発想もなければ、仮に考えたとしても自分を納得させるだけのメリットはないものと思います。

 ということで、公務員の不法行為というのは、魔が差して多少のカネに目が眩んで、ということしか考えられないのですが、忖度で片付けてシャンシャンというのは東西4000年の人類史の常識から到底あり得ないことと思います。ここ5年くらいで3995年間の常識がかわったのでしょうかねぇ。

_ 玉青 ― 2018年03月30日 07時22分00秒


忖度をして「ご褒美」を貰うかどうかという観点に加えて、忖度をせずに罰を食らうかどうか…というのも、ここでは考えておかねばなりませんね。要するに飴と鞭の両面作戦です、文科省への攻撃の際には、反天下りキャンペーンとか、出会い系スキャンダルとか、敵意を剥き出しにして、あの手この手を仕掛けて来ましたが、そんなダーティーな政権ですから、官僚たちも戦々兢々としているのでしょう。(それと霞が関のような、閉鎖的ムラ社会では、「出世」ということの意味合いが世間とはだいぶずれていて、ご褒美としての価値がとびぬけて高い…ということも念頭に置く必要がありそうです。彼らにとっては、出世することが半ば人生の目的と化している気がします。)

_ S.U ― 2018年03月30日 20時26分29秒

>(1)忖度をせずに罰を食らうか
>(2)「出世」~ご褒美としての価値がとびぬけて高い

 聞くだけで知らない世界のことながら、これらの点も一応想像で考察はしました。(2)については、本省の下のほうの人は、そうかもしれないのですが、局長や局長から直接秘密の指示を受けるほどの地位の人は、もう大過なく過ごすことがさらなる出世への早道であり、退職金をもらうまでは、違法な危ない橋は渡らないのではないかと思います。

 ここで、(1)があると困るのですが、さすがに個別の事案で政治家が介入して、人事に影響を及ぼすということまではないと思います。そこまでやると、「公務員は全体の奉仕者」というのが根本から崩れて「政治家の手下」になってしまい、公務員自身のアイデンティティが成り立たないのではないでしょうか。そこを政治家が無理強いすれば、ということも考えられなくはないですが、そこまで政治家が官僚を圧倒してはいないと思います。万が一、そのようなことになっていたら、通常の行政業務の私物化ですから、改竄や賄賂よりもずっと悪質な憂うべき事態です。賄賂ならその人を罰すれば済む話ですが、行政の私物化では国民の公平な税負担の根拠から崩れてしまいます。

 ということで、やはり、わずかのカネに目が眩んで、というくらい、世の公務員の方々は清廉だと私は信じています。

_ 玉青 ― 2018年03月31日 08時50分45秒

私も分からないといえば分からないのですが、どうも内閣人事局の創設が、それまでの「村掟」をすべて変えてしまったようです。すでに省庁の事務方トップは、政治家(官邸)の手下と見た方が実態に近いでしょう。これまで官僚は強固なピラミッド体制を築いて、それが組織の堅牢さ(と愚昧さ)を生んでいましたが、逆にトップを抑えられると、どうにもなりません。安倍政治の要諦は、アベノミクスなんかではなくて、「政治主導」の名のもと、人事の完全掌握による行政権と司法権の簒奪にこそあった…と、私は見ています。これは実に鮮やかな手並みで、安倍さんはたとえ「云々」は読めなくても、なかなか侮りがたい男だと感じます(あるいは取り巻き連中が度外れて悪賢いのでしょう)。

_ S.U ― 2018年03月31日 09時57分59秒

 ここは、高級官僚さんには、東大の学閥のプライドをもって親のカバン看板の二世議員など吹き飛ばす勢いを見せてもらいたいものです。(なにが悲しくて私が東大学閥の応援などせにゃならんのかと思いますが) いずれにせよ、これだと、行政の私物化にほかなりません。憲法違反に直結した事態です。憲法違反の行政を進めるなら、税金は、自民、公明党の支持者だけ割り増しで払っていただけばよろしい、ということにもなりかねません。政府が人事権に介入すれば、一般行政が公正でなくなるのは、今回の森友土地売却事件そのものが実例になっています。

 ところで、裁判官の世界は特別で、人事権の構造が、政権に有利な判決に偏る元となっています。政治家が個々の事案に介入していなくても、裁判官のコミュニティの構造と意志から、そういう仕組みになっているもののようです。ただし、裁判官は恣意的な判決を出しても、自分の独立した意志であれば改竄にはならないところが違います。こちらも大問題で、国民審査でそういう裁判官を一掃すべきものですが、現在、実効ある審査制度になっていないという問題があります。

 結論としては、一般国民は、政府も官僚も裁判官も、さらに与野党問わず国会議員も、何らかの国家の権力者は、一応、全部「敵」~我らの行動や権利を制限しようと考えている人たち~と考えて、警戒を怠らず、ふだんから批判的に接するようにしないといけないと思います。彼らも、国民を一応「敵」と考えて常に警戒しているに違いありません。相手が自分を「敵」と見ているのに、自分が相手を「味方」と信じるほど、アホなことはありません。それでは寂しいと思う人のために、日本国憲法に象徴天皇制があって、天皇だけは常に国民全体の味方だ、というふうに構成されているのだと私は解釈しています。

_ 玉青 ― 2018年04月01日 10時30分00秒

「お上を信じるな」というのは、右とか左とかいう言葉が生まれるよりもずっと前から、それこそ国家という制度が出来て以来、民衆が営々と築き上げてきた世間知のはずで、私に言わせれば、それこそ常識ですが、どうもそうは思わない人もいるようです。

特に、最近は若い人にそういう傾きがあって、すこぶる不思議に思っていました。
ただ、そういう人の言い分を聞いてみると、彼らの目に映じる世界では、「お上」以上に、「朝日新聞的」な言説が支配力を発揮していて、それが非常に嘘くさく感じられるらしいです。そして、そうした「虚妄」を打破する安倍さんこそが、「真実」を体現する存在なんだ…という思考回路になっているようです。

上の世代の言うことを真に受けず、眉に唾して臨むというのは、ある意味健全な精神の現れでしょうし、その意気やよしと言いたいところですが、すこぶる危なっかしいのも確かで、まずは歴史をよく学んでほしいと思います。ドレフュス事件の際、人々がどう立ち回ったのか、ワイマール共和国でナチズムがいかにして台頭したのか、一党独裁の下、スターリニズムやマオイズムがどのように吹き荒れたのか、アメリカの民主主義はなぜマッカーシズムを防げなかったのか…とか、学ぶべきことはたくさんあります。あるいは『1984』のような文学でもいいです。

大切なのは、政治的主張という饅頭の皮よりも、およそ人間とはどのように思考し、行動するかという“餡子”の部分で、それこそが世間知だろうと私は思います。「まずは饅頭を割ってみろ、そして餡子を食ってみろ」と、特に若い方には伝えたいです。

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