死者はどこからやって来るのか? ― 2022年10月30日 11時57分56秒
夜通し円舞し うたいさざめけど
ひとたび曙光がほのめけば
みなうたかたの如く消え失せぬ
★
(元記事 http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/02/05/8351402)
ハロウィンは秋と冬の節目の行事で、この日は死者がよみがえり、家族の元を訪ねてくるので、それを饗応しないといけない…というのは、日本のお盆とまったく同じですね。
でも、よく「死んだらお星さまになる」とも言います。
言い換えれば、毎晩見上げる星空は、そのまま亡者の群れであり、我々は毎晩死者に見下ろされながら、晩餐したり、眠ったりしていることになります。この説にしたがえば、死者が身の回りを跳梁するのは、何もお盆やハロウィンに限らないわけです。
まあ、毎日これだけ多くの人が亡くなっていると、空もすぐ星でいっぱいになりそうなものですが、そこはうまくしたもので、流れ星も夜ごとに降ってくるし、あれは死者の世界から地上に生まれ変わる人の姿なんだ…というのは、パッとは出てきませんが、きっとそういう伝承が各地にあることでしょう。
それでプラマイゼロ、空の星も地上の人口も、数の均衡が保たれる理屈です。
でも、産業革命以降、世界人口は爆発的な増加傾向にあり、どうも空の星のほうが払底しそうな勢いです。現に空に見える星の数が、文明の進展とともに目に見えて減っているのは、周知のとおりです。
★
…というような軽口で終わろうかと思いましたが、ふと「死んだらお星さまになる」の由来が気になりました。
パッと検索すると、「人間は死んだら星になるって本当ですか?」という疑問は、日本でもアメリカでも繰り返し質問サイトに寄せられており、この件に関する人々の関心は非常に高いようです。
(質問サイトQUORAより。 右側の「関連する質問」にも注目)
中には「そのとおり。人間を構成する物質は星から生まれ、そして死ねば星に還るのだ」というような、すこぶる“科学的”な回答もありましたが、この伝承の起源そのものはよく分かりませんでした。
「星になった人」というフォークロアは世界中にあって、身近なところでは牽牛(彦星)もそうですし、出雲晶子さんの『星の文化史事典』を開くと、「星になった兄弟」(タヒチ)、とか、「星になった椰子取り」(パラオ)とか、「星の少年」(カナダ)とか、いろいろ出てきます。西南政争で横死した西郷隆盛が星になったという、「西郷星」の逸話なんかも、その末流でしょう。昔の人の心の内では、地上と天上は意外なほど近く、往還可能なものだったことがうかがえます。
★
ネット上を徘徊していて、この件でキケロの名前を挙げている人がいました。
A ギリシャ神話じゃないですか?亡骸を星に変えた、星になった事でずっと一緒にいられる、功績を称えられ星座としてのこされた……などなど。あと、そういう感じの思想を説いた(?)人物なら、ローマの政治家だったキケロとか。
(小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A スレッド名「死んだら星になる」)
(キケロの胸像。カピトリーノ美術館蔵。©Glauco92)
キケロ(Marcus Tullius Cicero、BC106-43)は古代ローマの文人政治家です。
ここでキケロを手がかりに更に追っていくと、どうも彼の「スキピオの夢(Somnium Scipionis)」に、その記述があるようでした。
スキピオ(小スキピオ)は、キケロよりもさらに前代のローマの執政官で、キケロからすると祖父または曽祖父の世代にあたる人です。そのスキピオが見た夢に仮託して、宇宙の成り立ちについて説いたのが「スキピオの夢」で、彼の主著『国家論』のエピローグとして書かれました。
「スキピオの夢」については、その訳文と解説が以下にあります。
■池田英三「スキピオの夢」研究、北海道大学人文科学論集、2巻、pp.1-32.
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34270/1/2_PL1-32.pdf
スキピオは、夢の中で尊敬する祖父スキピオ(大スキピオ)と対話し、いろいろな教えを受けます。大スキピオは小スキピオの問い――すでに亡くなった人々も、実は生きているのですか?――に答えて、「いかにもこの人々は生きているのだ。彼等はあたかも牢獄から釈放される如くに、肉体の束縛から飛び去ったのであって、お前達の所謂生とは本当は死に外ならないのだ」と言います。生とは肉体の牢獄に捕縛された「魂の死」であり、死んでそこから解放されることこそ「魂の生」なのだ…というわけです。
大スキピオの言葉はさらに続きます。
我々の魂のふるさと、そして死後に還るところは、「お前たちが星座とか星辰とか呼んでいるあの永久の火焔」であり、死者の集いに参加するための道が、「(星辰の)火焔の中でもとりわけ光彩陸離たる円環」であり、ギリシャ人が「乳白の圏」と呼んだ天の川なのだと。
★
とはいっても、これはキケロの創案ではなく、当時広く行きわたっていた観念に、彼が文飾を施したものだろうとは容易に想像がつきます。したがって、「死んだらお星さまになる」という観念の真の淵源は依然はっきりしないのですが、これはたぶん一人の人に帰せられるような単純なものでもないのでしょう。
とはいえ、キケロの時代には既にこうした考えがあったことはこれで分かります。またキケロは中世以降のヨーロッパで大変な知的権威でしたから、「キケロ曰く」と引用されることで、この観念が広まる上で大いに力があったろうことも確かだと思います。
【メモ:関連記事】
■スターチャイルド
http://mononoke.asablo.jp/blog/2018/07/02/8907960
■スターチャイルド(2)
コメント
_ S.U ― 2022年11月01日 09時47分39秒
_ 玉青 ― 2022年11月02日 06時25分59秒
満点の星が命のロウソクの役を果たしているというのは、何か直感的にうなずけるものがありますね。そして流れ星を見上げて、「ああ、またどこかで誰か死んだなあ…」とぼそり呟くというのも、いかにもしんみりした味わいがあります。一方、「おや、どこかで赤子が生まれたようだぞ!」というのは、いかにも景気がいい感じです。
夜空の星は生者に対応しているのか、死者に対応しているのか。
なかなか甲乙つけがたいですが、いずれにしても光害下ではどちらの連想も働かないと思うので、これは光害を克服後に、みんなでもういっぺん考えるのがいいのかなあ…と思ったりします。
_ S.U ― 2022年11月02日 09時20分50秒
確かにそうですね。また、今度、条件の良い空で流星を眺めて、自分がどういう気持ちがしっくりするか確かめてみたいと思っています。私は、これは、「(心理)実験的天文民俗学」と呼んで実践しています。できるだけ大勢の人に協力していただき、気持ちを知りたいと思います。
ところで、もう一つ私が心に暖めているアイデアがあります。それは、秘密ではないので、前にも言ったことがあるかもしれませんが、日本のお盆(8月15日)とペルセウス流星群(極大8月13日ごろ)は関係があるのではないかということです。つまり、お盆の時期に流星が多く流れるということから、流星の移動と死者の移動が何らかの関連をつけられたのではないかというアイデアです。
ただし、歴史を遡ると、今のお盆は、中国の太陽太陰暦の7月15日に対応し、これは平均的にはグレゴリオ暦の8月15日ごろに対応するのですが、ペルセウス座流星群の極大日は歴史とともに歳差や軌道の変化でずれているはずで、大昔、たとえば、お盆が発祥したといわれる仏陀や目連尊者の時代では、1カ月以上ずれていた可能性があります。お盆の発祥がペルセウス座流星群が関係しているとトンデモなく面白いのですが、これは精査が必要です。ただ、旧暦と季節の対応関係もペルセウス流星群の活動期間も一定の幅がありますので、ざっくりした話しか意味はありません。遠い昔の対応関係はさておき、比較的近世になってから、流星がお盆の死者の魂と結びつけられたと考えるほうが、この私の説にとっては無難です。
_ 玉青 ― 2022年11月03日 11時22分36秒
祖霊をもてなす行事として、盆と正月は対になるものという話もあるので、じゃあ正月の方はしぶんぎ座流星群か…と一瞬考えましたけれど、こちらはもろに新暦だからダメっぽいですね。毎年コンスタントに見られる流星群と、年間行事とが何らかの形で結びついている明確な例が何か見つかると面白いのですが、パッとは思いつきません。
ときに流星と民俗で検索していたら、つくば市に「流星台」という地名を見つけて、これぞ流星民俗の古跡かと、一瞬色めき立ちました。でも、よくよく話を聞いたらイメージ重視の新地名だと分かって、ちょっとガッカリです(笑)。まあ見方によっては、これも流星に良いイメージを持つ現代人の心性を如実に示す、現代の流星民俗事象かもしれません。
_ S.U ― 2022年11月05日 07時21分30秒
せっかくですので、現時点で、私が知っていることを加えておきます。
年間行事と流星群が結びついている例は、私の知る限り、ペルセウス座流星群が西洋で「セントローレンスの涙」と呼ばれていることだけです。これは、ペルセウス座流星群が、聖ローレンスがローマ帝国で殉教したことにちなむ祭日(8月10日)の頃に現れることにちなんだもので、カトリック教国で相当古くから連想されていたものらしいですが、その起源の典拠はまだ調べていません。
東洋ではどんな例がありそうでしょうか。東洋では太陰太陽暦なので、その点の対応が多少不利ですが、日本の平安時代には、複数年のしし座流星群の活動を連携して記録したものがあるので、希望はあると思います。(これは過去にもコメントした記憶があります)
母彗星スウィフト・タットルの古い軌道の計算によると、この彗星は昇交点黄経が139°台前半で、ここ2000年間以上、ほとんど変わっていません。木星との共鳴関係にあって地球軌道に接近する状況は安定しているそうです。(将来、ほんとうに地球本体に接近してしまうと、今度は乱れてしまうのかもしれませんが) 単純にこの昇交点黄経に地球が来るのが流星群極大日としますと、これは、立秋の4日後で、確かに8月12日頃となります。しかし、この昇交点黄経の値は2000年分点なので、歳差の影響によって時代とともに日付はずれるので、グレゴリオ暦でいうと、500年昔に遡るごとに、極大日はカレンダー上で7日ずつ早くなることになります。西暦500年なら、7月22日頃になります。
つくば市流星台については、かすてんさんに指摘を受けたことがあります。確かに、これは現代民俗の資料になりそうですね。
_ 玉青 ― 2022年11月05日 10時52分51秒
おお!ありましたか!!
考えてみれば、東洋にも太陰太陽暦の暦日以外に、二十四節気のような時間把握のシステムがありましたから、昔の天文生が太陽暦に従う毎年恒例の天文事象の存在に気づいてもよさそうなものですよね。現代の日付でいえば、ペルセウス座流星群なら「立秋の数日後」ですし、しぶんぎ座なら「小寒の頃」というわけです。でも、そうと知らないと、意外に気づかないものなんでしょうかね。
遅ればせながら『明治前日本天文学史』を開いたら、流星群の古記録は18件、うち戦国期以前が13件となっていました。後者について見ると、現行の流星群に比定可能なものは、しし座が6、ペルセウス座が1で、さすがはしし群と思いますが、恒例の三大流星群はどうも旗色が悪い感じです。
でも、現に西洋世界には「セントローレンスの涙」のような例があるわけですから、公式記録には採録されずとも、口伝や民間習俗に何かそうした例があってもいいですよね。
話を元に戻して、仮に盆行事と流星群の共起が偶然だとしても、長い歴史の中で両者を結びつける民間伝承が生まれてもおかしくはないので、ここはぜひS.Uさんや北尾浩一さんの博捜に期待したいです。
_ S.U ― 2022年11月05日 12時41分44秒
流星と東洋の年中行事の関係、何かゆるーくですけど、なんとなくゆるーく期待できそうですよね。二十四節気との関係も、昔の農民は八十八夜とか半夏生とか二百十日などの雑節まで取り入れて仕事のスケジューリングをしていましたので、何かひっかかりそうです。ご助言によって、北尾さんの『日本の星名事典』を見ますと、流星の流れる向きで、翌日の風の方向を予測したという話も載っていました。これなども単に漁業者の星と風への関心というだけでなく、流星群の輻射点の位置と、季節風の関係を経験的につかんでいた可能性もあります。また、ぼちぼち気のつくこともあると思います。よろしくお願いいたします。
_ 玉青 ― 2022年11月06日 08時24分15秒
星の民俗といえば総じて漁村優位でしょうが、こと流星群に関しては、夜明け前から動き出す農村の人々も十分目にする可能性がありますよね。探せば何か出てきそうな感じがしてきました。
_ S.U ― 2022年12月17日 15時41分47秒
流星と思われるイラストがありますので、現代の天文民俗資料としてご参考になると思います。
_ 玉青 ― 2022年12月17日 16時24分37秒
_ S.U ― 2022年12月18日 09時27分18秒
天文に関わる新地名、大衆向けに掲示されたイラストなどは、高度経済成長期に途切れたかに見える天文民俗学のネタを連続的に現代、未来につなげるものになりそうですね。今後とも研究が永く続くことを願っております。
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
ちょっとずれますが、日本では、「人が死ぬと星が流れる」(あるいは星が流れると人が死ぬ)という伝承があり、これは人の生死と星数の増減を考えると逆方向の説であると思います(この時、「流れ星」は、星が落ちるから人が死ぬという発想で、単純には天の星の減少ととらえられたのではないかと思います)。この方式だと、天の星は生きている人に対応していて、落語の「死神」のロウソクの火と同じようなものだということになりそうですが、これはどうなのでしょうか。