ファーブルの昆虫写真集2008年12月16日 22時03分27秒


ぼちぼち記事を再開します。

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昨日の朝日の夕刊を見てて、真ん中あたりの紙面に、鹿島茂さんの仕事場紹介の記事がありました。もっとも、写真に写っているのは、鹿島氏の蔵書の要であるフランス古書ではなくて、主に新刊本を収蔵した部屋。

記事を読むと、新刊書の買い入れは月に10万円、それとは別に年に3~4回フランスへ専門書(古書のこと?)の仕入れに行くとありますから、あいかわらず常軌を逸した購書ぶりですね。

さて、記事とは関係なしに、その写真を見ていてパッと目に入ったのが、矢印の本。スキャン画像では見にくいのですが、背文字は 『ファーブルの写真集―昆虫』 と読めます。おお、最近そんな本が出たのかと思って、さっそくアマゾンを見に行きました(http://tinyurl.com/646now)。

アマゾンのページには、「ファーブル親子が創り上げた幻の写真集が今よみがえる」 と書かれています。今年の9月に出たばかりの本です。アマゾン以外の紹介記事によると、日仏友好150周年記念出版でもあるそうです。

詳細は明日現物が届けば分かると思いますが、ファーブルは晩年、『昆虫記』の執筆と並行して、息子のポールに命じて昆虫の生態写真の撮影に取り組んだことがあり、これはたぶん、それを1冊にまとめたものでしょう。(ポールは後にこれがきっかけで、プロの写真家になったそうです。)このとき撮影した写真は、ファーブルの没後に出た『昆虫記』の定本(「絵入り決定版」と呼ばれます)に挿入され、邦訳の『昆虫記』にも採録されたので、なじみの人が多いはず。それをまた大判の綺麗な図版で見られるとは、実に嬉しい好企画です。

もっとも「生態写真」とは言っても、当時の写真技術では、動いている対象をうまく捉えることはできないので、実際には死んだ昆虫に、ファーブルが「迫真の演技」をつけて撮影したのでした。つまり一種の演出写真です。(このことは、奥本大三郎・今森光彦『ファーブル昆虫記の旅』(新潮社)の末尾で、ファーブル研究家のイヴ・ドゥランジュ氏が今森氏との対談の中で述べています。)

それにしても、この本をまとめられた松原氏と山内氏の経歴がまた素敵です。
お二人とも既に喜寿を超えておられますが、根っからの虫好き、ファーブル好きというのは、本当に活動の息が長いですね。

アンティコ・ナトゥラーレ…神戸、魅惑の昆蟲舗(2)2008年11月18日 21時25分36秒

六甲昆虫館で扱っているのは、もちろん加工品だけではなくて、むしろまっとうな標本が主です。

ただし、普通の標本商と違うのは、その購入手順。買い手はまず店内にある標本から、「えーと…これと…これを」と好みの品を選びます。次いで、こちらの希望を聞きながら、ご主人がぴったりのケースを選んで、そこにディスプレイしてくれるという流れ。この辺がアクセサリーっぽいというか、趣味性の高い商いを感じさせる部分です。

写真はタマムシ類のアソート。
目で見ると、宝石のように鮮やかなメタリックグリーンなんですが、なかなか上手く写りません。タマムシの鮮やかな色彩は、いわゆる「構造色」で、表面の微細な構造によって生じた光の干渉が原因ですから、照明の当て方とかにもっと工夫が必要なのかもしれません。

手塚治虫(本名・治)は、少年時代、その名にちなんでオサムシの採集に熱中しました。
で、私の場合はタマムシと…。

アンティコ・ナトゥラーレ…神戸、魅惑の昆蟲舗(1)2008年11月16日 11時58分55秒

(Silver Moth。ヤママユガを銀のペイントで加工した品。)

神戸はアップダウンのない街ですね。
アップアップとダウンダウンしかないという。
ああいう街で成育すると、何か特異な空間図式が脳髄に刻み込まれるんじゃないでしょうか。

さて、せっかく神戸に来たのだから、何かタルホチックな土産はないかな…と思いました。北野界隈をそれこそアップアップしながら当てもなく歩いていると、ふと私の目を捉えた店がありました。

“Antico Naturale 六甲昆虫館”

(公式サイトは現在つながらないようです。所在地は異人館通とハンター坂の交差点そば。外観と内部は以下のブログに画像あり。
 ◆money_hunterの日記「六甲昆虫館」
  http://d.hatena.ne.jp/money_hunter/20080614
 ◆はじめまして、イプシロン「神戸異人館~六甲昆虫館~」
  http://rupan5333.blog.drecom.jp/daily/200706/09

「魅せる標本」がキーコンセプトで、標本そのものと、ご主人自らが製作したディスプレイケースとの「取り合わせの妙」を売りにしたお店です。

で、ここで極めて重要なのは、同店が扱っているのは全て「本物の標本」だということです。つまりジュエリー感覚でディスプレイされた物も含め、全て正式に展翅展足のされた、しかも詳しい採集データの書かれたラベルが付属する品だということです。ご主人曰く「それがないと標本になりませんから」。そう、それでこそ博物趣味の香気もほとばしろうというものです。

この極上の店で見つけたのが写真の品。
これがタルホチックかどうかは自信がありませんが(足穂というよりはゴシック趣味かもしれません)、銀月に舞う銀の蛾は絵になります。

それにしても、この銀の蛾にまで学名と採集地、採集年月日を記したラベルが付属するのには驚きました。(この項続く)

身に添いし物2008年09月12日 08時40分37秒


今週に入って、大忙しというほどでもありませんが、「小忙し」ぐらいの状況で、記事の間隔が空いています。たぶん来週一杯こんな感じでしょう。

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さて、物があふれているという話の続き。
あらためて自分の周囲を見回して、いったいその淵源はどこにあるのだろうかと考えてみました。

単に古いものならば、身の回りにいろいろとあります。額に汗して買ったアンティーク的な品もあるし、子どもの頃の思い出の品を、大人になってから買い直したものもあります。でも、本当に我が身に添ったもの、つまり度重なる引越しにも耐えて、自分といっしょに齢を重ねてきた古馴染みというと、そう数は多くありません。

アルバムの類を除けば、いちばん古いのは多分この本です。
小学校の中学年ぐらいからずっと持ち歩いているので、思えば長い付き合いです。

■昆虫の採集法と標本の作り方
 松沢寛・近木英哉(著)、東洋館出版社、昭和46

中身は、まあセオリー通りというか、採集用具の解説から始まって、すくい網法・たたき網法等各種の採集技法、そして標本製作の実際まで、一通りの知識を与えてくれます。

内容的には、中学生か、せいぜい高校生向きの本だと思いますが、ハードカバーのかっちりした造本は、子どものころには立派な専門家向きの本に思えて、何か自分がいっぱしの学者になったような気分がしたものです。

この本を見ると、かつて昆虫少年だった自分の出自を感じます。
昆虫に対しては、天文とはまたちょっと違った思い入れがあって、このブログのカテゴリでも「動・植物」から「昆虫」が独立しているのは、そんな個人史が反映されています。

ファーノー著 『戸外の世界』(2)…蝶2008年08月08日 20時32分52秒


鮮やかな朱。クールな空色。
石版画のマットな色調が、蝶の羽根の質感をうまく捉えています。

ファーノー著 『戸外の世界』 (1)…トンボ2008年08月08日 20時27分21秒


さて、ファーノーの本の中身を見ておきます。

この本は12×18cmほどの、あまり大きな本ではありませんが、16葉の美しいカラー図版が入っています。

19世紀の最末期は、本の挿絵が多色石版画(クロモリトグラフ)から3色分解の網点製版に移行する端境期にあたりますが、それだけに多色石版画の技術水準は最高レベルに達していました。この本の挿絵からも、その一端がうかがえます。

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繊細な線に微妙な色合いを乗せたトンボたち。

色あせた標本、台湾幻想(その4)2007年10月26日 20時48分08秒

↑山中峯太郎(文)・椛島勝一(絵)、『亜細亜の曙』-昭和7年-に登場する新兵器 (別冊太陽 『子どもの昭和史 昭和10年~20年』 より)

(昨日のつづき)

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 私を魅了したものは、しかし何といっても南方の昆虫であった。『原色千種続昆虫図譜』の開巻第一図版には、ただ一頭、尾状突起の異様に幅広い大型のアゲハチョウが図示されていた。〔…〕説明文には次のように記されている。

 第一図版(鱗翅目)蝶之部
1 フトヲアゲハ(雄) アゲハテフ(鳳蝶)科
 Agehana (Papilio) maraho Siraki et Sanan
 雌雄ノ色彩紋ハ大差ナケレドモ雌ハ前後翅ニ形状共稍々外縁円味アリ。本種ハ他ノアゲハテフ類ト異ル処多ク、特ニ後翅ノ尾状突起ハ幅広クシテ然モ二本ノ翅脈アルコトニヨリテ有名ナリ。
 昭和七年(1932)七月初メテ台湾台北州羅東郡烏帽子河原ニテ発見セラレ、爾来採集セラレシ総数僅ニ六匹ニシテ既ニ種類ヲ保護スル為捕獲禁止トナリタル貴重ナ標本ナリ。而シテ現在世界蝶類中本種ト同様尾状部ニ二本ノ翅脈アリテ幅広キコトハ只一種支那ニ Agehana (Papilio) elwesi Leech ト称スルモノアレドコレ亦稀種ニ属ス。
 20-7-1936 台湾台北州烏帽子産 台湾ニ産ス

 難しい漢字とカタカナの簡潔な文体は私を魅了した。そしてその中でも特に私が心をおどらせたのは、「稀ナリ」という言葉、そして頻出する「台湾ニ産ス」と言う結末の句であった。はっと息を呑むような種の解説には大抵「台湾ニ産ス」と書かれている。いつかは台湾に行って、「台湾ニ産スル大型美麗種ナレドモ稀ナリ」と書かれているような奴を採りたい、少年の日の、それは夢となった。外へ遊びに行くとき、家人に行先きをきかれると私は必ず「タイワン」と答えるようになった。今でもどうかするとそう答えてしまいそうになる。(文庫版 63-65頁)

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そして、奥本氏はこの戦前に出た、平山修次郎著『千種昆虫図譜』の文体を、以下のように特徴づけます。

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 一見素気ない文章でありながら、そうかと言ってただの古い学術論文の文体でもない、それとは実は本質的に違うもの、敢えていえば山中峯太郎の小説の中にでもありそうな軍令のように、颯爽としたリズムと、イメージを喚起する力をもった文である。様式的な短い文章の背後に、あたかも椛島勝一のペン画の中の、風をはらんだ白い帆のように、少年の夢があふれんばかりになって待機しているのである。 (文庫版 71頁)

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まさに卓見。文章の妙味を叙して遺憾がありません。

さて、こうして話は振り出しに戻り、戦前の少年の夢と台湾とが再びガッチリつながるのです。そしてまた、戦前の少年の夢に仮託して、21世紀の中年の夢もはるか南方へと放射されてゆくのです。

(ソレニシテモ、上ノ挿絵ハ「くうる」デ、格好良イデスネ。)

色あせた標本、台湾幻想(その3)2007年10月25日 21時39分17秒

(『虫の宇宙誌』、集英社文庫、1984)

私の台湾イメージには、大人になってから読んだ、奥本大三郎さんの昆虫エッセイがだいぶ影響しているのを認めないわけにはいきません。

特に、初期のエッセイを集めた『虫の宇宙誌』を読むと、それこそ5回も6回も、いやもっと数多く台湾への言及があって、奥本さんがいかに台湾に思い入れがあるかが分かります。

奥本さんは、「戦前の日本で夏休みの宿題として昆虫採集が広く行われ、昆虫採集の黄金時代を呈した頃、日本全国の少年達の黄金郷(エル・ドラド)は台湾であった。」と断言しています(文庫版108-109頁)。

そして、圧巻は何といっても「昆虫図鑑の文体について」という一文。
これは昆虫図鑑という特異な素材を用いて日本語の文体を論じたものですが、凡百の文体論・文章論を遥かにしのぐ優れた内容だと思います。この文章については、いずれまた別項で詳しくとりあげたいと思います。

今はとりあえず、氏の台湾への思いの丈を綴った部分を抜書きしてみます。

(ちょっと長いので、明日に回します)

色あせた標本、台湾幻想(その2)2007年10月24日 19時47分32秒

(朽ち果てた台湾の蝶。出典は下記)

ところで、急いで付け加えますが、一昨日の標本は戦前のものではありません。Fujimotoさんがコメントで書いてらしたのと似たりよったりの、たぶん、3、40年ぐらい前のものでしょう。

中央で大きな羽を広げているのが蛇頭蛾、和名・ヨナクニサン(与那国蚕)です。本来の体色は濃い茶色なのですが、手元の標本はすっかり色がさめて、幽霊じみた姿になっています。「世界最大蛾」という傍らの説明書きが、いかにもお土産めいた感じですが、戦前の昆虫図鑑にも、「世界最大蛾トシテ著名ナリ」とあるので、これは一種の枕詞でしょう。

そして、その脇に控えているのは、キンモンウスキチョウ(銀紋淡黄蝶)、マダラシロチョウ(黄斑粉蝶)、アオスジアゲハ(青線鳳蝶)、オナシアゲハ(無尾鳳蝶)といった面々。

■ □ ■ □

さて、上の写真は、芹澤明子さんの『木造校舎の思い出・関東編』(情報センター出版局、1996)より、埼玉県の上中尾小学校の光景です。撮影当時、既に廃校でした。

廊下と職員室との境に、窓代わりに両面硝子の標本箱がはめ込まれています。非常に凝った細工ですが、標本はご覧の通りボロボロ。よく見ると、達筆な文字で、

 台湾産の蝶類 蝶寄贈者 井田恵美子氏 〔右〕
 郷土の蝶類 採集 当校理科研究部 〔左〕

と書かれています。

そう、この感じ。私が古ぼけた標本の向こうに幻視するのは、こうした風情なのです。この原型を留めぬほど朽ちた標本と、力強い筆文字を見ると、私は思わず胸が詰まります。

当時の台湾は「郷土」と対立する、はるかなる「異郷」であり、これら蝶のエトランジェたちは、秩父山中の小学生の目にキラキラと宝石のように映ったにちがいありません。落魄した姿が、その美しい思い出をいっそう輝かしいものにしています。あまりにも美しい思い出のかけら。

(この項つづく)

色あせた標本、台湾幻想2007年10月22日 19時31分13秒


昨日の写真の背後に写っていた標本です。

手工芸的な木製フレームを見ても分かるように、純然たるお土産用の標本です。中身の蝶や蛾も、すっかり色あせ、どれもみな白っぽくなっています。学術的な価値はもとよりなく、既に「商品」としての価値も失った品ですが、私はこれを見ると、ある種の連想というか、ぼんやりとしたストーリーが心に浮かびます。

 ◆

久しぶりに旅装を解いた叔父さんのつやつやした顔。台湾土産に目を輝かせる少年。少年の父と酒を酌み交わしながら、叔父さんが上機嫌で語って聞かせる、台湾の豊かな自然と暮らし。少年は、亜熱帯の叢林にふりそそぐ強い陽光と、極彩色の昆虫が群れ飛ぶ様を思い浮かべ、うっとりとします。台湾が人々に夢をかき立てた時代…。

 ◆

この台湾産の標本を見ていると、そんな戦前ののどかな情景が浮かんできます。

(この項つづく)