Beautiful Books on Astronomy (1)2006年11月27日 21時37分40秒

↑荒俣宏編著 『水中の驚異』(1990)。
今は無きリブロポートから出た「ファンタスティック・ダズン」シリーズ第1巻。

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ひところ荒俣宏氏が盛んに出していた博物学関係の著作を見ると、その美しい彩色画の数々に息をのみます。極彩色の鳥、昆虫、貝…。

それにくらべると星の世界は地味ですね。

今でこそデビット・マリーン風の極彩色の天体写真が当たり前になっていますが、写真技術が進む以前の天文趣味には実にストイックな一面がありました。

むしろ地味なところが貴いのだ、という意見もあります。チェット・レイモは名著『夜の魂』(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/04/02/312676)のなかで以下のように述べています。

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「星を眺めるには、白黒写真と同じように、色彩へのひきしまった注意力が要求される。」

「もし人間の目の網膜が、桿状体しか持たず、しかもそれが錐状体の敏感さを備えていたら、星は10月の赤や黄金色で輝いていただろうし、オリオン星雲は、狩人の膝のあたりで黄色と緑の花のように咲き誇ったことだろう。もしそうなっていたら、わたしたちはたぶん、空に神々を求めたりはしなかったはずである。代わりに、スナップ写真の神学や、安絵葉書の哲学や、満艦飾の単純な形而上学を編み出していたにちがいない。」

「銀河の果てや時間の始まりへ向かう巡礼者は、昼の安易な色彩を慎み、夜の白黒の大海へと船出しなければならない。」 =山下知夫訳=

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漆黒と白銀。光と闇。地上を遠く離れた世界には、それこそが相応しいのかもしれません。

星はカラフルなるがゆえに貴いわけではありません。星の世界の魅力は、その遥けさ、桁外れの時空のスケールにあります。その遥けさは、もちろん人間の感覚器官では直接捉えられません。そこに人間の想像力の出番があるのです。イマジネーションの世界。だからこそ、都市の観望家も希望を捨てないし、Armchair Astronomerの跋扈する余地もあるわけです。

…とは言え。中には美麗な古書もあるよ―ということを少し書いてみたいと思っています。