巨大球儀の歴史 ― 2008年09月08日 23時29分33秒
(昨日の続き)
さらに四半世紀遡って1824年、パリ。上の図は、コロネル・ラングロワという人が作った直径10メートルの地球儀です。(キャプションでは“transparent Georama”とあります。地球表面の様子を内部から覗き見る、という意味で、こう名付けたのでしょう。)
昨日のワイルドの地球儀よりも小ぶりですが、はるかに見通しの利く設計で(文字通りtransparent)、こちらのほうが見ごたえがありそうです。
キングの本には、革命前のフランスには、さらに25.5メートルもの巨大球儀があったと書かれていて(1784年にヴェルジェンヌ伯がルイ16世に贈ったもの)、えっと驚きますが、これは直径ではなしに、周囲の長さじゃないでしょうか(本ではその点がはっきりしません)。それならば直径8メートルちょっとで、常識の範囲内です。以前載せた17世紀のゴットルプ球儀(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/02/19/2640801)が直径3メートルですから、時代とともに球体の巨大化していく様がうかがえます。
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巨大球儀の歴史。世の中にはやっぱり同じようなことを考える人がいるようで、ネット上には既に次のようなページがありました。
■A Minor History of Giant Spheres(by Joshua Foer)
http://www.cabinetmagazine.org/issues/27/foer.php
ただし、Foer氏は天球儀や地球儀だけではなくて、人類が生み出した球体構造を広く採り上げています。
以下、気になった物のメモ。
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まず1784年の項。まったく言葉を失います。いったい直径何メートルあるんでしょうか。ロココ時代に、こんな超未来的なデザインが考えられていたとは!
フランスの建築家、エティエンヌ=ルイ・ブレーが考えた、ニュートン顕彰廟案。星に見立てて球体に多数の孔をうがち、天界の光景を現出しようというアイデアも素敵です。上で「超未来的」と書きましたが、発想の源は、球体はどこから見ても不変であり、球こそが最も完璧で崇高な形であるという、古くからの観念なので、ある意味では蒼古的かつ神話的なデザインとも言えそうです。いずれにしても、これを見て私の中にある18世紀のイメージはガラリと変わりました。
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次いで1922年の図。これも驚異です。気象学者のルイス・フライ・リチャードソンが提案した「気象予測工場」。世界地図を描いた超巨大な球体は、内部に64,000人の人間を収容し、1人1人が割り当てられた微分方程式を解くことで、大気の動きを計算し、気象予測をしようという壮大な夢。球体の中央に陣取った「指揮者」は、せわしなくビームで地図を照らし、「そこの担当、急いで!」「そこ、早すぎる!」と計算に遅速が生じないよう、全体を統御しています。現代の「地球シミュレーター」の先駆けのようなアイデアですが、ある意味ではそれ以上に先端的な、バイオコンピュータを予見したものかもしれません(64,000のヒトの脳をクロスバースイッチで接続したら、いったいどんなことが可能になるんでしょうか)。
巨大な球体は宇宙には無数にありますが、地上で重力に抗して作るのはなかなか大変なようです。だからこそ球は聖性を帯び、現代でも建築家にとって挑戦しがいのあるフォルムなのでしょう。
コメント
_ S.U ― 2008年09月09日 07時11分58秒
_ S.U ― 2008年09月09日 07時25分49秒
失礼しました。1699年の噴水は赤道が傾いています。星座の向きまでちゃんと見ていませんでした。これは、土地の緯度に合わせているのかもしれません。ルヴェリエの墓とパリ万博1900はやはり上が北極だと思います。特に決まった「伝統」はないようですね。ひとまず、この点については前言撤回させていただきます。
_ 玉青 ― 2008年09月10日 06時36分00秒
おお、自己完結型のコメント(笑)。
ときに、パリではルヴェリエのお墓参りをされたとか。何気なく歩いていて、ふと目に止まった、というシチュエーションがいいですね。そういう方が、より印象が深まるような気がします。
ときに、パリではルヴェリエのお墓参りをされたとか。何気なく歩いていて、ふと目に止まった、というシチュエーションがいいですね。そういう方が、より印象が深まるような気がします。
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パリにあるルヴェリエの墓の天球儀もこれとほぼ同様です。表記ウェブページのいちばん下の写真(私が昨年訪問した時に撮影したもの)がそれです。天文学者の墓に天球をあしらってあげようというアイデアは普遍的なようです。新惑星の発見者に似合ず?古風だと思いますが、いつ造られた物かは確認していません。
パリ万博1900の巨大天球儀も星座絵が要領を得ませんが、「天文古玩」9/3の写真でペルセウス座ときりん座が正面に見えているのだとすれば、やはり真上の展望台のあるところが北極で、引かれている経緯線は黄道座標である可能性があるように思います。プラネタリウムを兼ねているなら、土地の緯度に合わせて北極を傾けるのが自然ですが、そうは見えません。私は天球儀を持っていないので、これをちゃんと確認できないことが悲しいです。