囲繞する、何か(4)…ガラス瓶2009年10月14日 20時43分33秒

棚に並ぶ標本瓶と試薬瓶。

ここでの主役は、いったい瓶なのか、中身なのか。
もちろん理屈でいえば中身の筈ですが、この古い理科室放出品の場合、すでに中身は完全に意味を失っており、瓶だけがひたすら存在感を主張しています。
しかし標本瓶の存在感とは、また何と「空虚な存在感」であることか。

一見形容矛盾のようですが、彼らを見ていると、たしかにそういう存在感もあると感じます。

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