明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(3) ― 2010年12月28日 18時24分48秒
さて、以下はためらいを覚えつつも、敢えて書きます。
実は、私はこの『野の天文学者 前原寅吉』という本に多少の違和感を覚えるのです。
もちろん、この本がなければ私は寅吉の存在を知ることすらなかったでしょうし、辛苦の調査の末に、それまで殆ど知られていなかった人物に光を当てた功績は、甚だ大なるものがあります。しかし―。
何というか、私はこの作品の背後に、はっきりとした教育的配慮を感じます(著者の鈴木喜代春氏は、小・中学校の教員をされた後に児童文学作家になられた方だそうです)。もっとあからさまな言い方をすると、この本には、寅吉を素材に「偉人伝」を書きたいという強いバイアスがかかっているように思うのです。
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物も情報も必ずしも恵まれない環境で独力奮闘した、1人の熱烈なアマチュア天文家が明治時代にいた。それだけで、もう既に十分意味のあることであり、顕彰の価値があることだと私は思うのですが、そこからさらに寅吉を「隠れた大天才」のように祭り上げるのは、それこそ贔屓の引き倒しというもので、却って寅吉の真価を歪めるのではないかと危惧します。
そこで、失礼を承知の上で、あえてこの本の記述を批判的に見てみようと思います。
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資料がごく限られている中で、伝記を書くとなれば、ある程度想像で隙間を埋めざるを得ませんし、ましてやこれは子供向けの本なのですから、厳密な資料操作よりも、分かりやすさが求められて当然です。しかし、だからこそ、この本の読解には十分注意が必要です。
肝心の天文学上の記述についてもそうです。
例えば、本書には、寅吉が近所の子どもたちに恒星の一生を物語る、次のようなくだりがあります(p.180)。
「太陽だって、ひとつの星であることはまちがいない。いままで五十億年、燃えて光ってきたのだ。あと五十億年たてば赤くふくらんで爆発するか、あるいは小さな星になって消えてしまうのでは、とも言われているんだ。」
このシーンは現代の知識に基づいて書かれた、著者(鈴木氏)の純然たる創作に違いありません。なぜなら、当時の恒星進化論は、現在とは反対に赤色巨星から始まって、徐々に収縮し白色化する系列を考えていたからです。また太陽の寿命も全くの謎でした。
あるいは島宇宙説、あるいはアンドロメダ星雲の大きさと距離。こうしたものに寅吉は圧倒されたことが書かれていますが(pp.80‐82)、この辺の記述もすべて現代の宇宙論に即して書かれています。説明の煩を避けたのかもしれませんが、歴史的事実には反します。
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寅吉は優れた着想の人だったと思います。そして、当時の高等教育を受けた人以上に天文学の知識が豊かだったのも確かでしょう。しかし、当然そこには自ずと限界もありました。その辺の客観的な評価がないと、寅吉の事績は光を失うと思います。
『野の天文学者』からまた引用させていただきます。寅吉が「天文月報」の応問(質問投稿欄のこと)で質問したくだりについてです(pp.104‐105)。
寅吉はまた、「オリオン大星雲を望遠鏡で見ていたら、小さい二つの星をみつけたのだが、これは大星雲と関係があるのか、それとも遠くはなれた別々の星なのか」
という意味の質問もしました。
オリオンの三つ星の下に、さらに三つの小さな星があります。そのまん中の星が、オリオンの大星雲といわれているガスのかたまりです。
オリオン座には、このほかに暗黒星雲もあります。
これらのガス星雲から、ガスが飛び散って新しい星が、どんどん生まれているのです。寅吉は、観測をつづけているうちに、そこに、いままでにない星を見つけたので、それは新しく生まれた星ではないかと思って質問をしたのでした。
日本天文学会は「此等の星と大星雲とが関係あるものか如何は、大問題に有之侯(中略)此間題の解決は現今にては不可能と可申侯」と、答えています。
専門の天文学者でも、かんたんに答えられない質問を寅吉はしていたのです。
「八戸といったら、日本のはしの青森県の太平洋岸の町じゃないですか。ここに、こんなにも天体にくわしい人がいるとは、おどろきましたね」
「まったくです。一人で、こんなにすばらしい研究をつづけているのは、おどろきです。これはぜひ行って、あってみたいですね」
「天文月報」を編集している編集室では、こんな話が交わされていました。
この編集室での会話も、私は純粋なフィクションだと思いますが(そもそも、「天文月報」には、編集担当者=天文台職員はいても、「編集室」はなかったはずです)、それはさておき、原文を見てみます。
(↑「天文月報」第1巻第5号(明治41年8月)出典:http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1908/pdf/190808.pdf よりスナップショット)
寅吉はこのとき、3つの質問をしていて、オリオン星雲に関する質問は、その2番目です。で、このやりとりを読むと、現実には寅吉の鋭い質問が中央の学者をタジタジとさせたわけではなくて、むしろ寅吉の知識の欠落を示す内容であることが分かります。
寅吉がいう2つの星とは、例の四重星・トラペジウムのことで、回答者(一戸直蔵)はその旨教示していますが、寅吉は当時その存在を知らなかったのでしょう。
とはいえ、その「見え方」に基づいて、ガス体とそれに包まれて見える恒星とが、何か相互に関係しているのか?という疑問を持ったのは、鋭い着眼であり、一戸もそれを「大問題」だと是認しています。(ただ、その後に出てくる、「此間題の解決は現今にては不可能」というときの「問題」は、左記の「大問題」とはまた別です。これは星雲と恒星の距離測定のことで、それは現在技術的に無理だという事実を述べたにすぎません。「専門の天文学者でも、かんたんに答えられない質問」を寅吉がしたというのは、やや曲解です。)
ちなみに、その次に載っている寅吉の第3の質問。
実はこれこそ寅吉の真骨頂と言うべきもので、私にはむしろこちらの方が興味深いです。寅吉は変光星の光度変化の理由を自分なりに考えて、「規則的変光星は、主星を回る伴星がその原因ではないでしょうか。また不規則変光星は恒星表面に出現する黒点が原因ではないでしょうか。自転の早い星は黒点も大きいと思うので、巨大な黒点が出現することがその原因だと思うのですが…」と、問うています。
何事も自分の頭で考えようという姿勢が彼の素晴らしいところであり、そして部分的に正しい推論を下しています。一戸はこう答えています。
「規則的変光星の一部はたしかにお説の通りと思います。ただ、それ以外の規則的変光星はまだ十分な説明ができていません。」
「不規則変光星についての貴方の想像は、たくさんある内にはそういうものもあるかもしれませんが、全部をそれで説明できるかは疑問です。黒点説は実は長期変光星を説明するものとして既に提案されています。ただ、お説の中で、‘自転の早い星は黒点も大きいはず’というのは、いったいどういう理論に基づくものか分かりかねます。ともあれ、想像力を働かせて、それを事実と学理に照らして仮説を立てるのは大いに良いことですから、ある種の不規則変光星に、あなたの想像説を応用されてみてはどうでしょう。」
奔放な想像力のせいか、寅吉の論には途中に飛躍があります。一戸もそれに困惑気味で、その辺は軽くあしらっているように見えますが、ともあれ寅吉の自由な発想がうかがえるエピソードです。
(この項つづく)
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