モノと心中しかけた話2013年07月06日 19時28分42秒

しばらく記事を書かずに何をしていたかといえば、部屋の片づけに注力していました。

「もうモノは増やせない、もうモノは買えない…」ということは、たぶんこれまで10回ぐらい記事にしたと思いますが、それでも増えつづけるモノをどうにかするため、今回は本棚の脇の15センチほどの細長い隙間に、某メーカーの隙間ラックを入れることにしました。そんな姑息なことをしても、本当の間に合わせにしかならないし、そのために安物の家具を買うというのも、なんだか気が進みませんでしたが、背に腹は代えられません。

しかも、その隙間が現在「遊休地」というわけでは全然なくて、今でもやっぱりモノは置かれているのです。それらを整理しつつ、さらに高密度に詰め込もうというのですから、我ながら悲壮な試みであり、重力崩壊が起こるリスクもあるため、非常に危険な試みでもあります。

しかし、あえて挑戦しました。で、挑戦してどうなったか?
結果は言うまでもありません。「机上の空論」「現場の苦労」…そうした言葉の意味を、今回もいやというほど味わいました。
他の方にとって、他山の石となるかもしれないので、以下にあえて細々したことを記します。

   ★

事前のリサーチでは、本棚と壁の間隔は厳密に計っても、15センチを2~3ミリ上回っていたので、ラックが入らないことは原理的に起こりえないはずでした。しかし、皆さんも周囲をとくとご覧いただきたいですが、洋間には床から壁が立ち上がる部分に、巾木(はばき)という細長い木材が打ち付けてありますね。私はあの存在を完全に忘れていたのです。

さらに巾木の存在を無視しても、実は本棚と壁との距離は、高さによっても微妙に変化しており、我が家の場合、床上30センチ以下になると、両者の間隔が、明らかに15センチを下回ることが判明。結局、どんなに無理をしても、用意したラックが入らないという、悲惨な結果に陥りました。

もう、こうなっては観念するしかありません。
苦労して組み上げたラックを、再度ばらして、全体の幅を縮めるために、各部材をカットすることにしました。我が家には電動工具なんてありませんから、全部手作業です。今日は全国的に熱中症患者が多発する中、屋外でひたすらギコギコと、合板を切って切って切りまくりました。途中で意識がもうろうとして、本当に死ぬかと思いました。

   ★

(向かって右が問題のラック)

今はこうしてエアコンの風に当たりながら、ぴたりと収まったラックを、ある種の満足感をもって眺めているわけですが、最終的に何とかなって、本当に良かったです。

しかし、これほどの苦労をして、果たしてどれだけ新たなスペースが生まれたのかを考えると、全然労力に見合ってない気がするので、もう本当にモノを増やすのは止めにしようと思います。

仮に、これ以上モノを買うとしたら、「モノを捨てながら買う」という、あたかも美食を口にするために、「吐きながら食べた」古代ローマ貴族のような病的な状態に陥るほかありません。さすがにそんな行動はごめんです。

コメント

_ かすてん ― 2013年07月07日 03時48分48秒

玉青さんにいますぐ死なれると困るので無茶はしないでください。

>「モノを捨てながら買う」
「2年間使わなかったものは捨てなさい」とヨメさんには言われてますが、これは厳しいです。311大地震直後は少し処分したのですが、まだまだ覚悟が足りませんでした。玉青さんの場合はコレクターですから同じには考えられませんけどね。

_ じゃんく王 ― 2013年07月07日 08時36分40秒

玉青さんが15Cmのスペースと格闘されている時と同じくして、ワタクシはジャンク品の収納場所として築40年の平屋を購入してしまいました。住家から歩いて100歩、生活できる物件ですが、家人には趣味小屋としか使わないと宣言しています。
いろいろ手直しも必要で、まずは和室の洋間化、フローリングに取り掛かっております。近くに借りていた倉庫代がもったいなくて、倉庫のガラクタも運びこんでいるので大変なことになっていますが、今年中にはなんとか体制をととのえようとがんばります。

_ 玉青 ― 2013年07月07日 09時57分32秒

〇かすてんさま

>2年間使わなかったものは捨てなさい

これは100%真理であり、奥様は完全に正しいです。
まあ、私の場合は「そこに置いておく」ことが即ち「使っている」ことなので、どのモノもフル稼働中で、捨てることができないというか…(笑)

〇じゃんく王さま

>平屋を購入

うーむ、15センチvs.一軒家ですかぁ…。
スケールの違いに唖然とするほかありません;;
それにしてもすごい。
ともあれ酷暑の時期ですので、涼をとりながらお励みくださいますように!

_ ねこぱんち ― 2013年07月07日 17時00分02秒

将来的にはミューゼアムが出来るのでしょうか?

_ たつき ― 2013年07月08日 00時44分32秒

玉青様
もしかしたら、先日たいへん失礼な書き込みをしてしまったでしょうか。もしそうでしたら、深く反省しております。申し訳ございませんでした。
まだお怒りが続いているのなら、ずうずうしくも、書き込む以下の文も消してください。
モノは増える一方です。私のこれ以上増やさない方法は、少しあきたなと思うものは人に上げることです。捨てるのは悲しいですが誰かの手元にまだあると考えると少しは心が落ち着きます。幸い私の友人たちは、手にしたものは広告でも捨てないタイプばかりなので、モノたちを任せられます。
そしてモノが少なくなったところで、また別の収集を始めるんですけれどね。結局、同じことか。
ちなみに、私は古の貴族ではありません。

_ 玉青 ― 2013年07月08日 20時05分16秒

○ねこぱんちさま

博物館という立派な看板を掲げるかどうかはともかく、「ここは自分だけの博物館なんだ…」とつぶやけば、そこにゆらりと博物館が出現するのではないでしょうか。
その意味では、ずっと前からここは夢の博物館なのかもしれません。

○たつきさま

たつきさんが、そんなに気にされるようなことが何かあったかなあ…と首をひねっていますが、どうも思い出せません。
というわけで、何が何やら分かりませんが、どうぞお気になさいませんように。

さて、モノの処分の話。
「捨てる」というのは、もちろん言葉のあやで、実際に捨てたことはないんですが、おっしゃるとおり、不要なものは、必要とする人に貰ってもらうというのが、モノにとっては最も幸せなことなのでしょうね。考えてみれば、私の手元にあるものは、みなそうやって「人の縁」をつないで我が家に届いたモノたちですから、次の人に引き継ぐまで、大事にしてあげたいなと思います。

_ ねこぱんち ― 2013年07月15日 20時32分10秒

真面目な話、本当に集められた物たちでミニマムの博物館はできないでしょうか?
縁起でもないですが主さんが身罷られたらこれらの物たちはどのような身の振り方をするのでしょうか?やはり市井にちりじりになってしまうのか…。
「夢の博物館」がどこかの街かどにひっそりと佇むことが出来るようになってほしいです。

_ 玉青 ― 2013年07月16日 21時12分37秒

>市井にちりじりに

いやあ、そうなればむしろ本望です。
仮にミニマムな博物館を立ち上げたとしても、管理する人がいなくなれば同じことですし、どのような形であれ、灰や塵芥になることなく、流通し続けてもらえれば、個人的にはとても嬉しいです。

_ 蛍以下 ― 2013年07月16日 21時18分23秒

玉青様
>流通し続けて

彗星のようですね

_ 玉青 ― 2013年07月16日 23時06分55秒

ぐるっと回って、いずれまた私の手元に…とはいかないのが残念ですが(笑)。
(でも、縁があれば「来世」でまた出会うかもしれません。)

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