火星来たる(2)2016年07月02日 08時58分24秒

今週はバタバタして、記事が書けませんでした。
そしてバタバタしているうちに、今年も既に半分終わり、何だか気ばかり焦ります。

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さて、火星にちなむものとは何か?
それはタイトルのとおり、火星そのものです。
火星にちなむものとして、これ以上のものはないでしょう。

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窓辺に置かれた、62ミリ角のアクリルキューブ。
その中に小さなガラス壜が封じ込められています。


この壜の中に、0.1カラット(20ミリグラム)の火星の断片が入っている…というのですが、はたしてどんなものでしょうか。

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よく「月の石」というのを、理系グッズの店で見かけます。
近年、南極での発見例が多いですが、地球に落ちてくる隕石のうちのいくつかは、成分分析の結果、月起源と推定されており、それをディーラーが入手して、砕片にしたものが、商品として流通しているわけです。(素性の確かな品も多いでしょうが、中にはかなりアヤシゲなのもあって、一種のジョークグッズとして扱われている気配もあります。)

あれの火星版があって、上の品もその1つです。
火星は何といっても月より遠いですし、その一部が――他の隕石が衝突した衝撃などによって――引力圏外に飛び出すための初速も、月よりずっと大きいので(月の脱出速度は秒速2.4km、火星は5.0km)、いきおい火星隕石は月隕石よりも数が少ないです。

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火星隕石について、NASAのジェット推進研究所のページから引用(青字部分)してみます。

■Mars Meteorites (by Ron Baalke)
 http://www2.jpl.nasa.gov/snc/index.html

これまで地球上で発見された約6万個の隕石のうち、火星起源のものと同定されたのは124個に過ぎない。1996年8月、NASAがこうした火星隕石のうちの1つに、微小化石の痕跡が存在するらしいと発表した際、この希少な隕石群は世界中に波紋を呼んだ。
下表は、同類の隕石をまとめて、ほぼ発見順に並べたものである。

…とあって、表は省略しますが、1815年にフランスで見つかった「シャッシニー隕石」から、2004年にアルジェリアで見つかった「NWA(North West Africa)2626隕石」までが、リストアップされています。

件の小壜の隕石は、1962年にナイジェリアで発見された「ザガミ(Zagami)隕石」というのに該当し、その解説(http://www2.jpl.nasa.gov/snc/zagami.html)をさらに読んでみると、

隕石名: ザガミ
発見地: ナイジェリア、Katsina地方、ザガミ
落下日時: 1962年10月3日
隕石タイプ: シャーゴッタイト(SNC)

1962年10月のある午後、トウモロコシ畑でカラスを追っていた1人の農夫のすぐそば、わずか10フィートのところに、この隕石は落下した。農夫は恐ろしい爆発音を聞き、圧力波に打ちのめされた。ドーンと煙が上がり、隕石は深さ約2フィートの穴にめり込んでいた。ザガミ隕石の重さは約18kg(40ポンド)あり、これまでに発見された単独の火星隕石としては最大のものである。

隕石はKaduna地質調査所に送られ、その後ある博物館に収蔵された。何年か後、隕石ディーラーのRobert Haagが、ザガミ隕石の大部分を入手した。個人コレクターにも手が届くSNC隕石として、ザガミ隕石は最も入手が容易なものである。

…というわけで、このザガミ隕石が人の手から手へと渡り歩くうちに、あたかも土地が徐々に細分化される如く、果てはこんな細かい砂粒となって、私のところに届いたわけです。

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ときに、上の引用中「シャーゴッタイト(SNC)」という言葉が出てきました。
隕石にも「隕鉄」とか「石質隕石」とかいろいろありますが、シャーゴッタイトは、石質隕石のうち「エイコンドライト」と呼ばれるグループに属するもので、主成分は輝石と長石です。

そして、エイコンドライトのうち、共通する特徴を持った、シャーゴッタイト、ナクライト、シャンナイトの3種の隕石を、まとめてSNC(スニック)と呼びます。

SNCが注目されたのは、形成年代の顕著な若さ(2000~3000万年前)と、母天体の火山活動に由来するらしいその成分です。この点から、SNCは最近までマグマ活動をしていた惑星に由来するものと推測され、さらに火星探査の成果として、その希ガスの含有量や同位体比を、火星の岩石と直接比較できるようになったおかげで、これは間違いなく火星由来のものだろう…と、言えるようになったのだそうです。

(上の記述は、F.ハイデ/F.ブロツカ(著)『隕石―宇宙からのタイムカプセル』を参考にしましたが、1996年に出た古い本なので、ひょっとしたら、現在の理解とは違うかもしれません。)

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火星隕石についてざっと事前学習したところで、手元の品の「人間的側面」も含めて、さらに話を続けます。

(この項つづく)

火星来たる(3)2016年07月03日 07時18分00秒

故郷の火星を飛び出して、宇宙空間を放浪し、地球に捕捉されて落ちてくるまで。
隕石が語り出せば、長い思い出話をしてくれることでしょう。

それにくらべれば、ずっとささやかですが、隕石が商品として流通する過程にも、いろいろ有為転変のエピソードがあるものです。


この品は、フランスの隕石ディーラーから買いました。
これは1997年に、12,000個作られたうちの1つで、通販専門チャンネルのQVCで売られたものだそうです(発売当時は、「Mars Owner’s Manual(火星オーナーの手引き)」というパンフが付属していましたが、手元の品にはありません)。

こう聞いただけでも、実に商魂たくましい、人間臭い背景がうかがえると思います。

1997年にこれを売り出したのは、Darryl Pittという人で、私はピット氏のことは何も知りませんでしたが、ネット上を徘徊しているうちに、次のような興味深い記事を見つけました。1997年11月18日付けの、ニューヨークタイムズの記事です(意味の取れない箇所が複数あったので、以下、かなり適当訳)。

Where Prices Are Out of This World (途方もない値段がつくところ)
  http://www.nytimes.com/1997/11/18/us/where-prices-are-out-of-this-world.html

 アリゾナ州ペイソン。マーヴィン・キルゴアは、探鉱者たち――金の粒を求めてアメリカ南西部中をくまなく探し回った武骨な男たちの流れを汲む者だ。
 
 「俺は言葉を覚えるよりも早く、金を探していたよ。」あたりにメスキートやチョヤサボテンが繁る、フェニックス近郊の、ここシエラ・アンチェス沙漠を歩きながら、キルゴア氏は言った。彼は片手につるはし、もう片方の手には金属探知機を持ち、汚れたテンガロンハットが、その顔に影を落としている。「俺の脳味噌はいつも石のことでいっぱいさ。」

 このところ、キルゴア氏(42歳)の心は浮き立っている。金のせいではない。隕石のせいだ。彼は金鉱探しをやめて、地球大気を通って焼けつくような旅を経験した、この貴重な天体に鞍替えしたのだ。

 その美しさと希少な成分を賞される標本の中には、1グラム――1オンスのわずか28分の1――当たり500ドル以上の値を付けるものもある。さらに火星からやって来た隕石(回収された隕石のうち、それはわずか12個に過ぎない)ともなれば、その値段は1グラム当たり1,000ドル以上に跳ね上がる。キルゴア氏は最近チリの沙漠まで旅したが、そこで隕石から得た収入は、1日あたり2,000ドルだった。

 「こいつは薄汚れた黒い石ころに見えるかもしれない。でも、どんな金ぴかの奴よりも、こいつの方がいいのさ。」と彼は言う。

 去年の夏、マーズ・パスファインダーが火星に着陸したことや、火星の隕石から原始的生命の痕跡が発見されたこと、さらに宇宙の塵(cosmic detritus)の価格が天文学的上昇を見せていることにより、アメリカ人は、今や熱い隕石ブームに巻き込まれつつある。1836年にナミビアで発見された鉄隕石――高さ16インチで並外れた曲線美を持っている――は、3年前に2,000ドルで売却されたが、去年オークションに出た際は4万ドルの値を付けた。

 惑星間を漂う物質の商いは、今や天井知らずである。ロレン・ヴェガは、通販専門チャンネル「QVC」で売られた火星隕石を、1個90ドル支払って買った4,000人の視聴者のうちの1人だ。彼が買ったのは、ナイジェリアで見つかったザガミ隕石の細粒入りの赤いキャップの小壜が、アクリルキューブ中に浮かんでいる品である。


 ニュージャージー州フランクリン・パークのレントゲン技師、ヴェガ氏(39歳)は語る。「テレビ番組で火星の写真を見ながら、『もしあの惑星の小石1個でも手にできたら、どんなに嬉しいだろう』と、私はひそかにつぶやいたんです。」

 まだキューブが届く前から、ヴェガ氏は書斎の棚にそれを置くための専用スペースを用意した。アラスカで手に入れた、毛の生えたマンモスの牙の化石と、ニューヨーク訪問中に買い入れた古代シュメールの石板のかけらの中間だ。

 マンハッタンのアッパーウエストサイドにある博物系ショップ「マキシラ&マンディブル(Maxilla & Mandible)」では、隕石のかけらを、ペンダントに加工した並品59ドルから、ウエハース大の火星隕石の切片2,000ドルまで販売している。

 「別の世界からやってきた品を所有するという考えに、人々は憑り付かれつつあるんです。」と、ショップオーナーのヘンリー・ガリアノは言う。「隕石は干し首の隣に置きたくなるような品なのでしょう。」

 ガリアノ氏は、総額3万ドルの隕石を昨年販売したが、買い手の中には、株よりも有利な投資先を探している者もいるという。「そういう人に、私は隕石を勧めるんです。絶対に大損はしませんからと。」

 しかし、最後には重力がものをいって、その価格も地に落ちるのではないかと懸念する業者もいる。「正直言って、そのうちバブルがはじけるんじゃないかと心配です。」と語るのは、コロラドの隕石蒐集家で、販売も行っているブレーン・リードである。「マーケットはいささか制御不能に陥っているように思います。」

 このブームは誰からも歓迎されているわけではない。青天井の価格上昇によって、趣味をあきらめざるを得ないコレクターもいるし、多くの科学者は標本マーケットに価格破壊をもたらした業者を呪っている。

 「こうした貴重な素材がスライスされ、イヤリングやアクセサリーに加工されるなんて、まったく恥ずべきことですよ。」と、テネシー大学地質学教授で、1,000人の会員を擁する隕石学会前会長のハリー・マクスウィーンは言う。「我々が隕石から学ぶべきことは、まだまだ多いのです。しかし、今のような状況では、博物館や科学者が真に重要なものを買うことはできません。我々はこの手の競争に不慣れなのです。」

 ニューヨークで音楽会社を経営するダリル・ピット(42歳)は、個人としては世界最大の隕石コレクションの1つを所有しており、彼こそ隕石マーケットをその頂点にまで持って行った人物かもしれない。

 2年前、ピット氏とそのパートナーは、1962年にナイジェリアで発見されたザガミ火星隕石(元の重さは40ポンド)から取った、握りこぶし大(400グラム)の石板を入手した。ピット氏は数か月かけて、その大きな塊を、販売に適した粒状にする方法を発見した。マンハッタンに製剤用具を備えた診療室を構え、最初は隕石の一部を粉状にしてしまったせいで、何千ドルも損をしたが、最後にはそのプロセスをマスターし、彼は2.5インチ角のアクリルキューブに入った微粒子を売り出した。


 このコレクター向けキューブの中身が、“車道の砂利”のように見えることはピット氏も認めるが、彼はこの“宇宙のパン粉”の販売こそ、消費者平等主義を促進する行いだと雄弁に語る。「金持ちだけが自分専用の火星のかけらを所有できるなんて、そんなことがあっていいのでしょうか?」と彼は言う。

 恐竜の化石とは異なり、多くの隕石は科学的価値や金銭的価値を減ずることなく分割できると、ピット氏は主張する。しかし、彼は多くの科学者の非難を浴びている。

 「隕石は複合的な物体であり、全体として研究されるのがいちばんです。」と、ヘイデン・プラネタリウムの学芸員であるマーティン・プリンツは言う。「端っこならちょっと削ってもいい、とはいかないんですよ。」

 とはいえ、隕石採集の経済的誘因が強まることは、もしそうでなかったら見過ごされたであろう隕石が見つかる可能性を高めると考える研究者もいる。「私はこの手の隕石屋が大っ嫌いなんですが、でも石を求めて何か月もサハラ砂漠をふるいにかけて歩こうなんていう人間は、結局あの連中ぐらいのもんでしょう。」と、匿名を条件に語ってくれた有名な某地質学者は言う。「せいぜい望みうるのは、彼らが見つけたものの一部と、あなたが余分に持っているものとを、彼らが交換してくれることでしょうね。」

 ニューヨーク在住の、フィリップス・インターナショナル・オークショナー社のオークション担当者で、評価鑑定人でもあるクローディア・フロリアンは、蒐集対象として隕石に対する関心が高まっていることに気づいた最初の一人である。2年前、彼女はフィリップス社として最初の隕石オークションを手がけ、30万ドルの売り上げを記録し、さらに2回目のオークションでは、売り上げは70万ドルに達した。

 「すべての標本が驚くようなストーリーを秘めています。」と彼女は言う。

 実際、魅力的なストーリーを秘めていればいるほど、その石の価値も高まる。5年前、ニューヨーク州ピークスキルで1台のシボレー・マリブを直撃したソフトボール大の隕石は、その組成に特に変わった点はなかったにもかかわらず、後に3万9,000ドルで売れた。

 フロリアン氏は、芸術的オブジェとして星間物質を熱狂的に愛しているものの、投資の対象としては推奨しない。「あなたも、たぶん地道に株をやったほうがいいと思われるでしょうね。」

 マーヴィン・キルゴアは隕石で金持ちになるつもりはないと言う。「俺は隕石を探し出して、そいつを眺めるのが大好きなのさ。もっとも、世界中旅を続けようと思ったら、見つけた物のいくつかは売りはらう必要があるがね。」と彼は言う。

 ペイソンにある隕石でいっぱいのリビングルームで、繁盛しているメールオーダービジネスを切り盛りしていないとき、彼と妻のキティは、二人して地球の果てまで新たな物質を求めて歩き回る。

 「何日たっても、何一つ見つからないこともあるよ。」と彼は言う。「だけど、言ってみりゃ金鉱にぶち当たるような時もあるのさ。」

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これを読んで、例のキューブ誕生の詳細や、隕石ブームに沸いた当時の世相を、まざまざと知ることができました。このキューブは、火星の素顔ばかりでなく、当時の熱気を伝える「文化史的資料」でもあったのです。さらに、1990年代はヴンダーカンマー・ブームのはしりでしたが、隕石はその文脈で語られていた節もあることが分かりました。

気になるのは、20年経った現在、隕石マーケットがどうなっているかですが、その辺は事情にうといので、よく知りません。

それにしても、人が隕石に注ぐ視線の何と人間的なことか。
金銭的欲望は言うまでもありません。
そして宇宙への憧れも、それに劣らず人間的な感情だと思います。
おそらく或る高みから望めば、両者にあまり隔たりはないでしょう。



かたちコレクション2016年07月05日 06時51分50秒

アクリルキューブつながりで、再度「棚めぐり」に戻ります。


棚の隅に置かれた紙箱。


中には、さらに木箱が入っていて、9個のキューブが行儀よく並んでいます。

(ルリタマアザミ)

今ではすっかりポピュラーになった、京都のウサギノネドコさん(http://usaginonedoko.net/)の宙(ソラ)キューブ
植物のかたちの不思議さを、透明なアクリルに封じ込めた品で、その一辺は約40ミリですから、一辺約60ミリの隕石キューブより、ぐっと小ぶりで愛らしいサイズです。


池袋の三省堂内に昨年オープンした博物系ショップ、「ナチュラル・ヒストリエ」さんを、先日ようやく訪問できたのですが、物珍しい品でいっぱいの店内を、きょろきょろ見て回っていたら、このウサギノネドコさんのアクリル封入標本がズラッと並んでいて、その人気の程をうかがい知ることができました。


とはいえ、私がこれを買ったのは、ウサギノネドコさんが2011年に京都にオープンされる前で、屋号もまだ「宙Sola」の頃です。当時は、知る人ぞ知る…という感じがちょっとありました。

(オニグルミ)

あの頃は、私自身「もののかたち」にかなりこだわっていて、天然・人工を問わず、脳が不思議な快感を覚える「かたち」――鉱物結晶とか、多面体模型とか、高次元多面体の三次元投影体とか――を集めていました。身近な植物のかたちに注目したこのキューブも、その流れで手にしたものです。

その「かたち遍歴」の末に、私が何を悟ったかといえば、
「百聞は一見に如かずというけれど、一見しても分からないものはたくさんある」
ということです。

目の前に置かれた一個の造形。
それはありありと目に映りますし、手に持って自由に四方から眺めることもできます。
そこには一切の曖昧さがなく、完全に明瞭な視覚的像を結びますが、それでもなお、「これはいったい何がどうなっているのか、さっぱり分からん」…という<かたち>は、たくさんあります。Seeing is believing、されど Seeing is not understanding というわけです。(シンプルに言うと、分からない<かたち>は、スケッチができません。)


こうして植物のかたちを前にしても、やっぱり同様の感想を持ちます。
そこには純粋な物理的形態とは別に、生命のかたち」という、いちだんと抽象度の高いものがかぶさっているので、謎めいた感じはいっそう濃いです。

彗星奉祝2016年07月06日 07時10分16秒

過去記事フォローシリーズ。
今年のはじめ、フランスのカーニバルに取材した、一寸妙な絵葉書を載せました。



上は南仏・エクサンプロヴァンス(Aix-en-Provence)の「エクスの謝肉祭」の光景。「流れ星の天文学」と題して、星をかたどった山車が練り歩いているところです。

下も同様に南仏の光景で、こちらはニースの町のカーニバルです。奇怪極まりない造形ですが、キャプションに「彗星の作用」とあるように、こちらは明瞭に彗星をテーマにしたものです。

いずれも1910年頃の絵葉書で、片や流れ星、片や彗星と称しているものの、年代を考えれば、2枚とも1910年に接近したハレー彗星にちなむ演目ではなかったか…と、上の記事では見当を付けました。

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で、今回また新たに類例が見つかったので、載せておきます。


フランス西部、レンヌの町に繰り出した「彗星の山車(Char de la Comète)
こちらはカーニバルではなく、「花祭り(Féte de Fleurs)」の情景だそうです。


この絵葉書は1910年と年次が刷り込まれているので、これはもうハレー彗星一択で間違いないでしょう。と同時に、冒頭の2枚もやっぱり「ハレー彗星ネタ」である確度が、一層高まりました。


お付きを従えた彗星の女王。


その裳裾は星屑をちりばめて、後方に高々と掲げられています。


塔の上でも…


地上でも、女王様の姿をひと目見ようと渇仰する天文学者でいっぱいです。

こちらは髭面の男が、酒壜を手に気勢を挙げたりすることもなく、少年少女が主体となっての出し物。「謝肉祭」と「花祭り」の違いもあるのか、「フルール(花)」の語感も相まって、実に愛らしい行列です。

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こうした一連の絵葉書を見ると、1910年当時の世界は、ハレー彗星を恐れたり忌み嫌ったりするばかりでなく、歓呼して迎えるムードも一方にはあったことを知ります。

かささぎの橋を越えて2016年07月07日 06時46分12秒

今日は七夕。
旧暦の7月7日といえば、新暦の8月中旬にかかる頃合いですから、ちょうど夏と秋が入れ替わる時期です。七夕は新旧の季節感が大きくずれる行事のひとつで、現代ではこれから夏本番ですが、俳句の世界では立派な秋の季語。

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以下、『銀河鉄道の夜』より、「九、ジョバンニの切符」の一節。

 「まあ、あの烏。」 カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
 「からすでない。みんなかささぎだ。」 カムパネルラがまた何気なく叱るように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光を受けているのでした。
 「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」 青年はとりなすように云いました。

ここにカササギが出てくるのは、もちろん銀河と鵲(カササギ)の故事――すなわち、七夕の晩には、鵲が翼を並べて天の川に橋をかけ、そこを織姫が渡って彦星に会いに行く(あるいはその逆)という、中国の伝承にちなむものでしょう(古くは漢代の「淮南子(えなんじ)」に、その記述がある由)。

そんなことに思いを馳せつつ、今日はムードだけでも涼し気な品を載せます。

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七夕の茶事で用いられる香合(こうごう)。
夜光貝の銀河と、金蒔絵の鵲を取り合わせた可憐なデザインです。


香合は香を容れるための容器で、浅い身と蓋に分れます。


銀河のほとりには、織姫の坐すこと座が輝き、


その対岸に、牽牛(彦星)の住むわし座が羽を広げています。


そして、両者の間を縫うように、漆黒の空で鳴き交わす鵲たち。

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お茶道具といっても、通販で扱っている普及品ですから、価格はまあそれなりです。
でも、このデザインはなかなか素敵だと思いました。(産地は石川県、いわゆる加賀蒔絵の品です。)


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▼閑語 (ブログ内ブログ)

異国であまたの邦人が殺されようと、
いくら政府の要人や、その取り巻きが 
破廉恥なことや、悪辣なことや、愚昧なことを
言ったり、やったり、隠したりしても、
我が同胞は少しも慌てず騒がず、常に泰然自若としている。
まことニッポン人こそ、世界に冠たる忠勇無双の国民なり。
頼もしいことこの上なし。

…と、憎まれ口のひとつも叩きたくなる昨今です。
「天文古玩」と称して、ひどく呑気なことを書き連ねながら、今の状況を前にして、少なからず心を曇らせています。

そして、私は現政権と心中する気も無ければ、その危険な実験を温かく見守る気もありません。私の答は、はっきりとノーです。

   ★

おそらく、こういう物言いに反発を感じる人は、確実に何割かいらっしゃるでしょう。
政治の話なら、よそでやってくれ…というわけです。

たぶんこういう場合、ブログにしてもSNSにしても、多くの人は内容に応じて別アカウントを取得して、趣味なら趣味、政治なら政治と、切り分けて発言や行動をされているように想像します。それは社会生活をスムーズならしめる賢い振る舞いであり、他者への配慮でもあるのでしょう。

しかし、私にはそれが現代を広く覆う病理、「人格の解離」の大規模な実践に見えてしかたがないのです。

ついさっきまで悲しいニュースを、いかにも悲し気に読み上げていたアナウンサーが、次の瞬間、一転してにこやかな表情で、「さて次はスポーツです。テニスのウィンブルドン2日目…」と言うのを見ると、私はとっさに「この人は病んでいる」と感じます。もちろん、アナウンサーは職業上、悲し気な顔や、晴れやかな顔を作っているに過ぎないので、それを見ている方が、アナウンサーと一緒に気持ちを切り替えているなら、むしろ病んでいるのは視聴者の方でしょう。

チャンネルを替えるように、感情や思考の流れをパッパッと切り替えられるとしたら、その人の統一された「本当の自分」はいったいどこにあるのだろう…と不思議に思います。いや、その人は果たして本当に何かを感じたり、考えたりすることができているのだろうか…とすら思います。

   ★

自分が正しいことを書いている自信は全然なくて、明日になったらまた違う感想を持つかもしれません。しかし、今はぜひ言っておきたい気がして、あえて書きました。

いずれにしても、私の中では「天文古玩」的な世界と、政治的角逐が生じている現実世界とは地続きで、そこに境界はありません。それは1つの全体です。(…と大見得を切りましたが、以前は正反対のことを書いた記憶もあり、あまり信用してはいけません。それこそがネットリテラシーです。)

ざらざら すべすべ2016年07月08日 21時55分46秒

いろいろアップアップしている状態です。
こういう時は、心がざらついてくるので、何か心が穏やかになるものはないかな…と周囲を見回したら、心のザラザラを消す、スベスベしたものを見つけました。


スベスベマンジュウガニ。
変な名前の多い海の生き物の中でも、そのインパクトにおいて一二を争う存在。


私はこの名を聞くと、すぐに「すべすべ饅頭」というお菓子を連想するのですが、別にそういうお菓子が存在するわけではありません。「マンジュウガニ属」という蟹のグループがあって、その中でもとりわけスベスベした甲羅の持ち主だから、こう名付けられたのでしょう。(饅頭どころか、この種はかなり強力な毒を持つそうです。)

まあ、あまり変な名前、変な名前と言っては申し訳ないですが、以前、「NHKみんなのうた」に登場した、『恋のスベスベマンジュウガニ』でも、「笑ってくれるな変な名前…」という歌詞が流れていたので、やっぱりみんな「変な名前」だと思うのでしょう。


昔、幼い息子のほっぺたをさすりながら、「あ、スベスベマンジュウガニ!」とふざけていたのも懐かしい思い出です。
…そんなことを考えていたら、いつのまにか心のザラザラも消えました。

ライト&レフト2016年07月09日 11時44分43秒

今日は閑語ではなく、真面目に書きます。

明日の選挙は、改憲との絡みで、歴史のターニングポイントになる選挙である可能性がきわめて高いです(与党がその争点化を必死に回避していることから、逆にその意図が透けて見えます)。

繰り返しますが、私は現政権にはっきりと反対の立場なので、野党に投じるつもりですが、こういうと「あいつはサヨクだな」と反射的に思う人も出てくることでしょう。

   ★

このウヨク、サヨクという言葉。

時代の閉塞感が増して、社会の右傾化や、戦前回帰を憂える声も強いですが、戦前を振り返るとき、私はそこに少なからず違和感を覚えます。
私の目に映る現今の世相は、むしろ右翼の衰退です。

今のウヨクは、「保守、体制、資本主義」などのタームと親和性が高くて、「革新、反体制、社会主義」のサヨクと対立するイメージですが、これは21世紀の日本という、かなり限定された状況での理解ではないでしょうか。

昭和戦前の右翼には、「革新、反体制、反資本主義」という、現在とは真逆の主義主張がありました。血気盛んな彼らは、はっきりと反資本家の立場であり、右翼革命を志向していたのです。一人一殺主義を掲げ、政財界の要人を狙った、例の「血盟団事件」を想起すれば、この点は明らかでしょう。

昭和維新を呼号した人たちにとって、時の政治家や資本家は、いわば江戸時代の「幕閣」であり、自分たちこそ筋目正しい尊王の志士だ…というヒロイズムがあったのだと思います。彼らは為政者にとって、きわめて危険な存在として、目を付けられていました。

今のネトウヨ的な人々は、資本家の走狗となって、反資本家勢力を叩きのめすのに力を注ぐ「愚連隊」に近い存在で、戦前の右翼の衣鉢を継ぐ者とは、到底言えません。

   ★

ここで思い出すのは宮沢賢治のことです。

賢治が故郷岩手を出奔して、出入りしていた「国柱会」というのは、その名前から想像がつくように、はっきりいえば日蓮主義を掲げた右翼団体です。血盟団を組織した井上日召も日蓮宗の僧籍にある人でしたが、日蓮の思想はファナティックなものと結びつきやすく、日蓮主義を思想的バックボーンとした右翼団体は、当時いろいろありました。

賢治は抒情の人であるとともに、民衆愛の人であり、反権力の人でしたから、現代の区分でいうと、サヨクと親和性が高いと思いますが、昔の物差しでいえば、はっきりと右翼です。

   ★

もちろん、私は戦前の右翼を支持しているわけではありません。
左右どちらの看板を掲げていようと、私はあらゆる全体主義に反対です。
そしてまた「自由主義」の名で行われる不正義にも反対です。

おそらく、今の「ウヨク vs. サヨク」の図式から欠落しがちなのは、権力者 vs. 民衆(貧者)」のテーマです。お奉行様と越後屋が結託して民衆をいじめる…というのは、何も時代劇の世界ばかりではなくて、今目の前で起こっている事態は、まさにそういうことです。

おそらく今の為政者が警戒しているのも、「権力者vs. 民衆」の対立軸が、露骨に可視化することではないでしょうか。そういう語り口が、今は世間の表面から巧妙に隠蔽されていますが――あるいは、目くらましとして身近な「小金持ち」や他国に対するルサンチマンを刺激して、権力者への怒りをそらしていますが――でも、こういうことは、もっとあけすけに語った方が良いのです。そうでないと、とにかく民衆からは搾れるだけ搾ってやろう…という普遍的な悪だくみが、またぞろ繰り返されることになります。

   ★

一人一殺は過去の悪夢です。
今はぜひ一人一票を。

星とまつりごと2016年07月10日 11時26分58秒

広大な宇宙を相手に、研究に余念のない天文学者たち。
彼らは、ちっぽけな惑星の、ちっぽけなエリアに棲息する、ヒトという生物種のディテール、すなわち政治のことなんて眼中にないかというと、そんなことはなくて、むしろ、天文学と政治は密接な関係の下、長い歴史を歩んできました。

天文学は常に為政者に影響を与え、また翻弄されてきました。
ケプラーだって、ガリレオだって、渋川春海だってそうです。
星を祭るのも、昔は文字通り「まつりごと」の一環だったわけです。

今だって、天文学のプロジェクトが、いかに時の政府の思惑に左右されるか、その内実はつぶさに知りませんが、研究の予算取りこそプロジェクトリーダーの才覚であり、政治手腕の振るいどころであるのは間違いないでしょう。

試みに、「astronomy politics」で検索すると、ざざーっと大量のページがヒットします。(今日現在トップに表示されるのは、ブラウン大学(米)のJ.M. Steeleという人が書いた、ずばり「天文学と政治(Astronomy and Politics)」という文章です。)

もちろん、私はアカデミックな天文学とは無縁のところで、天文を冠したブログを書いているだけのことですが、そうであればなおさら、水に浮く木の葉の如く、政治に翻弄され、その帰趨に気を揉んでも許されるのではありますまいか。

   ★

…というようなことをわざわざ書くのは、やっぱりあんまり政治向きのことを書くと、このブログの「風趣」――そんなものがあればの話ですが――を損ねるのではないかと、若干気が咎めるからです。でも、大事な選挙の時ぐらいは、おぼしきことを言わないと腹が苦しくなるので、諸賢是ヲ諒トセラレヨ。

では投票に行って来ましょう。

新しい朝2016年07月11日 06時46分21秒

切に忍びないです。
EU残留を志向したイギリスの人の気持ちがよく分かります。
しかし、歴史の転換点に立ち会うというのは、愉快かどうかは別にして、とても興味深いことです。

悪者さがし…というのとは、ちょっと違うんですが、今回の選挙の「立役者」は何といってもマスコミで、ネットの普及でマスコミの衰退が言われて久しいですが、まだまだマスメディアの影響力は健在なことを知りました。そして、マスコミを掌握するとは、これほど効果があることなのか…ということを実地に学び、「ナチスの手口に学べ」と言った麻生氏の先見の明に、改めて感服しました。

これから先、我々は(というか私は)さらに多くのことを学ぶでしょうが、その授業料はずいぶん高いものにつくでしょう。

   ★

呑気が取り柄の「天文古玩」も、この先どうなることでしょう。
ここで、10年前に自分が書いた記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/11/05/)から、天文趣味が持つ或る可能性について、先人の言葉を引いておきます。


 「およそ知性ある者、美しい光景に心を動かす者であれば、たとえ貧弱きわまりない望遠鏡であれ、起伏に富んだ白銀の三日月が、紺色の空でうち震える様をひと覗きすれば、すばらしい喜びに感極まり、今や地上の俗生活を離れて、宇宙旅行の最初の停泊地を訪れているのだと感じるのではあるまいか?

 およそ思慮深い魂ならば、4つの衛星を従えた壮麗な木星を、神秘の環で囲まれた土星を、はたまた緋色とサファイアブルーに輝く二重星を無限の夜空に眺め、しかも驚異の念で心が満たされぬということがあろうか? まさに然り!

 もし人類が――野良仕事のつましい農夫や、都市で苦役につく労働者、教師や自立できるだけの資産を持ち、今や富と名声の絶頂にある人々、果ては浮薄この上ない社交界の女性に到るまで――どんなに深い内的な喜びが、宇宙を眺める人々を待ち受けているかを知ったなら、そのときこそフランスは、いや全ヨーロッパは、銃剣ではなく望遠鏡で覆い尽くされ、世界の幸福と平和は大いに増進するに違いない。」


フランスにおける天文趣味の偉大な指導者、カミーユ・フラマリオン(1842-1925)が、1880年に自著に記した言葉です。

たしかに、現実の歴史はフラマリオンの期待を裏切ったことを、我々は知っています。
しかしそれでもなお、時々首をぐっと反らせて、自分の頭上に広がる無限の空を眺めることには深い意味があり、自分を豊かにすることだと思います。

このブログでは、そのことを倦まず語っていきます。
心を無限の空で満たして、また歩き出すとしましょう。
そして、「銃剣ではなく、望遠鏡を!」と、何度でも口にするのです。

星の子ども2016年07月14日 06時53分55秒

いろいろなことが次々に起こる中、人との結びつきに救われることが多いです。
そして、私は「縁(えん、えにし)」というものを、言葉の綾ではなく、現に在るものとして感じる傾向が強いです。

   ★

ささきさhttp://www.junk-club.net/)――私には以前の「我楽多倶楽部」の方が耳に親しいですが――として制作活動をされているTOKOさんとは、10年前に東大の総合研究博物館で偶然お会いして、あれこそまさに「縁」というものだろうと、今でも不思議に思っています。

TOKOさんの描く世界は、どこか遠くで風の音が聞こえるような、静かな澄んだ世界です。そして作品の主要なモチーフにしても、そこに漂う情調にしても、理科趣味との結びつきが強固です。

そうした世界を追求される作家さんは、その後ずいぶん増えたように思いますが、TOKOさんの創作活動は、10年どころか20年に及ぶとお聞きし、その持続力と尽きせぬ内面の豊かさに驚くほかありません。

そのTOKOさんの創作活動20周年を記念する個展が、来週から始まります。


■星の子ども / TOKO 20th anniv. exhibition

○会期 2016年7月22日(金)~26日(火)
     12:00-19:00 (22日のみ17:00開場)
○会場 gallery cadocco(http://cadocco.jimdo.com/
    東京都杉並区西荻北3−8−9
    (最寄駅:JR中央線・西荻窪 MAPhttp://cadocco.jimdo.com/about-1/
○公式ページ http://www.junk-club.net/2016/

今や「老舗」の貫禄…というと、TOKOさんの軽やかさに照らして、ちょっと違和感がありますが、とにもかくにも20年という歳月を経て、一人の表現者の中で何が変わり、何が変らないのか、おそらく作者ご自身にとっても、多くの気づきを得られる催しではないかと、傍から推察しています。

(TOKOさんが「ルーチカ」名義で制作されたミニチュア星座早見盤ほか)