火星来たる(3) ― 2016年07月03日 07時18分00秒
故郷の火星を飛び出して、宇宙空間を放浪し、地球に捕捉されて落ちてくるまで。
隕石が語り出せば、長い思い出話をしてくれることでしょう。
隕石が語り出せば、長い思い出話をしてくれることでしょう。
それにくらべれば、ずっとささやかですが、隕石が商品として流通する過程にも、いろいろ有為転変のエピソードがあるものです。
この品は、フランスの隕石ディーラーから買いました。
これは1997年に、12,000個作られたうちの1つで、通販専門チャンネルのQVCで売られたものだそうです(発売当時は、「Mars Owner’s Manual(火星オーナーの手引き)」というパンフが付属していましたが、手元の品にはありません)。
これは1997年に、12,000個作られたうちの1つで、通販専門チャンネルのQVCで売られたものだそうです(発売当時は、「Mars Owner’s Manual(火星オーナーの手引き)」というパンフが付属していましたが、手元の品にはありません)。
こう聞いただけでも、実に商魂たくましい、人間臭い背景がうかがえると思います。
1997年にこれを売り出したのは、Darryl Pittという人で、私はピット氏のことは何も知りませんでしたが、ネット上を徘徊しているうちに、次のような興味深い記事を見つけました。1997年11月18日付けの、ニューヨークタイムズの記事です(意味の取れない箇所が複数あったので、以下、かなり適当訳)。
■Where Prices Are Out of This World (途方もない値段がつくところ)
http://www.nytimes.com/1997/11/18/us/where-prices-are-out-of-this-world.html
アリゾナ州ペイソン。マーヴィン・キルゴアは、探鉱者たち――金の粒を求めてアメリカ南西部中をくまなく探し回った武骨な男たちの流れを汲む者だ。
「俺は言葉を覚えるよりも早く、金を探していたよ。」あたりにメスキートやチョヤサボテンが繁る、フェニックス近郊の、ここシエラ・アンチェス沙漠を歩きながら、キルゴア氏は言った。彼は片手につるはし、もう片方の手には金属探知機を持ち、汚れたテンガロンハットが、その顔に影を落としている。「俺の脳味噌はいつも石のことでいっぱいさ。」
このところ、キルゴア氏(42歳)の心は浮き立っている。金のせいではない。隕石のせいだ。彼は金鉱探しをやめて、地球大気を通って焼けつくような旅を経験した、この貴重な天体に鞍替えしたのだ。
その美しさと希少な成分を賞される標本の中には、1グラム――1オンスのわずか28分の1――当たり500ドル以上の値を付けるものもある。さらに火星からやって来た隕石(回収された隕石のうち、それはわずか12個に過ぎない)ともなれば、その値段は1グラム当たり1,000ドル以上に跳ね上がる。キルゴア氏は最近チリの沙漠まで旅したが、そこで隕石から得た収入は、1日あたり2,000ドルだった。
「こいつは薄汚れた黒い石ころに見えるかもしれない。でも、どんな金ぴかの奴よりも、こいつの方がいいのさ。」と彼は言う。
去年の夏、マーズ・パスファインダーが火星に着陸したことや、火星の隕石から原始的生命の痕跡が発見されたこと、さらに宇宙の塵(cosmic detritus)の価格が天文学的上昇を見せていることにより、アメリカ人は、今や熱い隕石ブームに巻き込まれつつある。1836年にナミビアで発見された鉄隕石――高さ16インチで並外れた曲線美を持っている――は、3年前に2,000ドルで売却されたが、去年オークションに出た際は4万ドルの値を付けた。
惑星間を漂う物質の商いは、今や天井知らずである。ロレン・ヴェガは、通販専門チャンネル「QVC」で売られた火星隕石を、1個90ドル支払って買った4,000人の視聴者のうちの1人だ。彼が買ったのは、ナイジェリアで見つかったザガミ隕石の細粒入りの赤いキャップの小壜が、アクリルキューブ中に浮かんでいる品である。
ニュージャージー州フランクリン・パークのレントゲン技師、ヴェガ氏(39歳)は語る。「テレビ番組で火星の写真を見ながら、『もしあの惑星の小石1個でも手にできたら、どんなに嬉しいだろう』と、私はひそかにつぶやいたんです。」
まだキューブが届く前から、ヴェガ氏は書斎の棚にそれを置くための専用スペースを用意した。アラスカで手に入れた、毛の生えたマンモスの牙の化石と、ニューヨーク訪問中に買い入れた古代シュメールの石板のかけらの中間だ。
マンハッタンのアッパーウエストサイドにある博物系ショップ「マキシラ&マンディブル(Maxilla & Mandible)」では、隕石のかけらを、ペンダントに加工した並品59ドルから、ウエハース大の火星隕石の切片2,000ドルまで販売している。
「別の世界からやってきた品を所有するという考えに、人々は憑り付かれつつあるんです。」と、ショップオーナーのヘンリー・ガリアノは言う。「隕石は干し首の隣に置きたくなるような品なのでしょう。」
ガリアノ氏は、総額3万ドルの隕石を昨年販売したが、買い手の中には、株よりも有利な投資先を探している者もいるという。「そういう人に、私は隕石を勧めるんです。絶対に大損はしませんからと。」
しかし、最後には重力がものをいって、その価格も地に落ちるのではないかと懸念する業者もいる。「正直言って、そのうちバブルがはじけるんじゃないかと心配です。」と語るのは、コロラドの隕石蒐集家で、販売も行っているブレーン・リードである。「マーケットはいささか制御不能に陥っているように思います。」
このブームは誰からも歓迎されているわけではない。青天井の価格上昇によって、趣味をあきらめざるを得ないコレクターもいるし、多くの科学者は標本マーケットに価格破壊をもたらした業者を呪っている。
「こうした貴重な素材がスライスされ、イヤリングやアクセサリーに加工されるなんて、まったく恥ずべきことですよ。」と、テネシー大学地質学教授で、1,000人の会員を擁する隕石学会前会長のハリー・マクスウィーンは言う。「我々が隕石から学ぶべきことは、まだまだ多いのです。しかし、今のような状況では、博物館や科学者が真に重要なものを買うことはできません。我々はこの手の競争に不慣れなのです。」
ニューヨークで音楽会社を経営するダリル・ピット(42歳)は、個人としては世界最大の隕石コレクションの1つを所有しており、彼こそ隕石マーケットをその頂点にまで持って行った人物かもしれない。
2年前、ピット氏とそのパートナーは、1962年にナイジェリアで発見されたザガミ火星隕石(元の重さは40ポンド)から取った、握りこぶし大(400グラム)の石板を入手した。ピット氏は数か月かけて、その大きな塊を、販売に適した粒状にする方法を発見した。マンハッタンに製剤用具を備えた診療室を構え、最初は隕石の一部を粉状にしてしまったせいで、何千ドルも損をしたが、最後にはそのプロセスをマスターし、彼は2.5インチ角のアクリルキューブに入った微粒子を売り出した。
このコレクター向けキューブの中身が、“車道の砂利”のように見えることはピット氏も認めるが、彼はこの“宇宙のパン粉”の販売こそ、消費者平等主義を促進する行いだと雄弁に語る。「金持ちだけが自分専用の火星のかけらを所有できるなんて、そんなことがあっていいのでしょうか?」と彼は言う。
恐竜の化石とは異なり、多くの隕石は科学的価値や金銭的価値を減ずることなく分割できると、ピット氏は主張する。しかし、彼は多くの科学者の非難を浴びている。
「隕石は複合的な物体であり、全体として研究されるのがいちばんです。」と、ヘイデン・プラネタリウムの学芸員であるマーティン・プリンツは言う。「端っこならちょっと削ってもいい、とはいかないんですよ。」
とはいえ、隕石採集の経済的誘因が強まることは、もしそうでなかったら見過ごされたであろう隕石が見つかる可能性を高めると考える研究者もいる。「私はこの手の隕石屋が大っ嫌いなんですが、でも石を求めて何か月もサハラ砂漠をふるいにかけて歩こうなんていう人間は、結局あの連中ぐらいのもんでしょう。」と、匿名を条件に語ってくれた有名な某地質学者は言う。「せいぜい望みうるのは、彼らが見つけたものの一部と、あなたが余分に持っているものとを、彼らが交換してくれることでしょうね。」
ニューヨーク在住の、フィリップス・インターナショナル・オークショナー社のオークション担当者で、評価鑑定人でもあるクローディア・フロリアンは、蒐集対象として隕石に対する関心が高まっていることに気づいた最初の一人である。2年前、彼女はフィリップス社として最初の隕石オークションを手がけ、30万ドルの売り上げを記録し、さらに2回目のオークションでは、売り上げは70万ドルに達した。
「すべての標本が驚くようなストーリーを秘めています。」と彼女は言う。
実際、魅力的なストーリーを秘めていればいるほど、その石の価値も高まる。5年前、ニューヨーク州ピークスキルで1台のシボレー・マリブを直撃したソフトボール大の隕石は、その組成に特に変わった点はなかったにもかかわらず、後に3万9,000ドルで売れた。
フロリアン氏は、芸術的オブジェとして星間物質を熱狂的に愛しているものの、投資の対象としては推奨しない。「あなたも、たぶん地道に株をやったほうがいいと思われるでしょうね。」
マーヴィン・キルゴアは隕石で金持ちになるつもりはないと言う。「俺は隕石を探し出して、そいつを眺めるのが大好きなのさ。もっとも、世界中旅を続けようと思ったら、見つけた物のいくつかは売りはらう必要があるがね。」と彼は言う。
ペイソンにある隕石でいっぱいのリビングルームで、繁盛しているメールオーダービジネスを切り盛りしていないとき、彼と妻のキティは、二人して地球の果てまで新たな物質を求めて歩き回る。
「何日たっても、何一つ見つからないこともあるよ。」と彼は言う。「だけど、言ってみりゃ金鉱にぶち当たるような時もあるのさ。」
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これを読んで、例のキューブ誕生の詳細や、隕石ブームに沸いた当時の世相を、まざまざと知ることができました。このキューブは、火星の素顔ばかりでなく、当時の熱気を伝える「文化史的資料」でもあったのです。さらに、1990年代はヴンダーカンマー・ブームのはしりでしたが、隕石はその文脈で語られていた節もあることが分かりました。
気になるのは、20年経った現在、隕石マーケットがどうなっているかですが、その辺は事情にうといので、よく知りません。
それにしても、人が隕石に注ぐ視線の何と人間的なことか。
金銭的欲望は言うまでもありません。
そして宇宙への憧れも、それに劣らず人間的な感情だと思います。
おそらく或る高みから望めば、両者にあまり隔たりはないでしょう。
金銭的欲望は言うまでもありません。
そして宇宙への憧れも、それに劣らず人間的な感情だと思います。
おそらく或る高みから望めば、両者にあまり隔たりはないでしょう。
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