フィリップス問題(2)2016年12月07日 07時16分50秒

まず、少し回り道をして、フィリップス社の歴史を振り返っておきます。
この点については、以下のページに簡潔なまとめがあったので、それをそのまま摘録しておきます。

Grace’s Guide to British Industrial History:George Philip and Son
 http://www.gracesguide.co.uk/George_Philip_and_Son

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フィリップス社の初代、ジョージ・フィリップ(彼には同名の息子がいますが、ここでは父親の方)は、1800年にスコットランドのアバディーンシャー在のハントリーの町に生まれ、19歳でリバプールに出て、書店奉公をしたあと、1834年に同地で自分の店を持ちました。

彼は本の販売ばかりでなく、地図・教育書の出版事業にも手を広げ、著名な地図製作者の協力を得て、地図の版元としてのし上がります。この間、1848年には息子のジョージ2世(1823-1902)が、1851年には甥のトーマス(1829-1913)が商売に加わり、ここに「Philip, Son and Nephew」社が成立したのでした(1859年)。

フィリップス社といえば、リバプールよりもロンドンの印象が強いですが、同社がロンドンのフリート街に進出したのは1851~52年のことです。最終的に、出版・販売部門はロンドン、印刷部門はリバプールと、機能分化を図りました。さらに最新の多色石版を高速でこなす蒸気駆動の印刷機を導入して、その商売はいよいよ盛んになっていったのでした。

1870年には、学校向け教育用品の卸販売がそのビジネスに加わります。
そんな中、1882年に初代ジョージ・フィリップが死去。1800年生まれの彼は、まさに19世紀とともに生き、産業化の進む英国社会の真っ只中を歩んだ人、と言えそうです。

父の死後も、息子のジョージは亡父の路線を継承して、地図の出版や教育用品の販売を続け、20世紀に入り、息子のジョージや、そのいとこ(初代の甥)であるトーマスが亡くなった後も、同社は長きにわたって同族経営を続け、商売は順調でした。

上記のリンク先ページには、戦後の1947年に開かれた「英国産業博」に同社が出展した際の紹介文が引用されていますが、そこには地図、地図帳、海図、球儀、レリーフ模型、および地理・教育・海事関連の出版社(Publishers of Maps, Atlases, Charts, Globes, Relief Models and Geographical, Educational and Nautical Works.)」とあり、その商売内容に、いささかのブレもないことが見てとれます。

そんな同社ですが、創業150年を超えた1988年、ついにオクトパス出版(ロンドンのリード・インターナショナル・グループ・オブ・カンパニーズ傘下)に身売りし、初代ジョージ・フィリップの血脈は絶えました。しかし、社名は今も「ジョージ・フィリップ社」の看板のまま商売を続けています。

   ★

…というのが、「フィリップス社(今は単数形のフィリップ社(※))」の足掛け3世紀に及ぶ歩みです。

上記の記事には、星座早見盤への言及は特にありませんが、この歴史の中でそれが登場するのはいつか?

(この項つづく)

)そのため、昔は「Philips' Planisphere」と書きましたが、現行製品では「Philip's Planisphere」と表示されます。

コメント

_ メルキュール骨董店 ― 2016年12月07日 23時29分51秒

ご無沙汰しております。
フィリップス問題(1)から興味津々で拝見しております。
これは私にとっても悩ましい問題でして、上記Grace's Guideもあたりましたが決定打がなく、最近少々うっちゃり気味でした。
この後のお話しを早くお聞きしたくてたまりません。
わくわくしながらお待ちしております。

_ 玉青 ― 2016年12月08日 07時35分57秒

こちらこそご無沙汰をしております。
ネット上では眼福の数々を頂戴し、ありがとうございます。(^J^)
私の方は相変わらず取り散らかしておりますが、年末に向けて、ちょっとした大掃除のつもりで、これまで気になっていたことに取り組むことにしました。ご笑覧いただければ幸いです。

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