足穂氏、アメリカに上陸す(2)2018年01月12日 23時43分59秒

(前回のつづき)

ここでサンプルとして、「一千一秒物語」中の4作品について、その原文と英訳を並べてみます。(原文は英語版が底本にした新潮文庫から採りました。また、句読点のない足穂の原文を英訳するに際して、訳者は文中に長短のスペースを挿入して、そのニュアンスを出しています。引用にあたって、この点は訳文を踏襲しました。)

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まずは巻頭第1話。

★月から出た人
 夜景画の黄いろい窓からもれるギターを聞いていると 時計のネジがとける音がして 向うからキネオラマの大きなお月様が昇り出した
 地から一メートル離れた所にとまると その中からオペラハットをかむった人が出てきて ひらりと飛び下りた オヤ! と見ているうちに タバコに火をつけて そのまま並木道を進んで行く ついてゆくと 路上に落ちている木々の影がたいそう面白い形をしていた そのほうに気を取られたすきに すぐ先を歩いていた人がなくなった 耳をすましたが 靴音らしいものはいっこうに聞えなかった 元の場所へ引きかえしてくると お月様もいつのまにか空高く昇って静かな夜風に風車がハタハタと廻っていた

★THE MAN WHO CAME FROM THE MOON
I was listening to the strains of a guitar escape through a yellow window in a painting of the night when   I heard the uncoiling spring of a clock   From across the way a magnificent dioramic Mr. Moon arose.
 It halted at a spot one meter off the ground whereupon   a man appeared from within wearing an opera hat   and nimbly leapt out   Wow!   While I was watching    he lit a cigarette   and walked along the boulevard   As I followed him   the shadows of trees cast fascinating patterns on the pavement   In the instant that my attention was diverted  that man walking just ahead of me disappeared  I listened intently but    could hear nothing resembling the sound of footsteps    Returning to the place where I started before I knew it Mr. Moon was climbing high as the pinwheels spinned and flittered in the evening breeze

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次いで、一種の言葉遊びを含む作品。

★A PUZZLE
――ツキヨノバンニチョウチョウガトンボニナッタ
――え?
――トンボノハナカンダカイ
――なんだって?
――ハナカミデサカナヲツッタカイ
――なに なんだって?
――ワカラナイノガネウチダトサ

★UN ÉNIGME
――onamoonlitnightabutterflyturnedintoadragonfly
――Huh?
――blowthedragonflysnose
――Whadya say?
――wrapthefishinapaperttissue
――Say whadya mean?
――nonsenseisayhasavalue

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さらに私の好きな話2題。

★黒猫のしっぼを切った話
 ある晩 黒猫をつかまえて鋏でしっぽを切るとパチン!と黄いろい煙になってしまった頭の上でキャッ!という声がした 窓をあけると、 尾のないホーキ星が逃げて行くのが見えた

★ON CUTTING A BLACK CAT’S TAIL
One evening   I caught hold of a black cat and   with a scissors cut off its tail   Snip!   As it turned into yellow smoke   from overhead came a screech!   When I opened the window a tailless comet could be seen making a getaway


★星を食べた話
 ある晩露台に白ッぽいものが落ちていた 口へ入れると 冷たくてカルシュームみたいな味がした
 何だろうと考えていると だしぬけに街上へ突き落された とたん 口の中から星のようなものがとび出して 尾をひいて屋根のむこうへ見えなくなってしまった
 自分が敷石の上に起きた時 黄いろい窓が月下にカラカラとあざ笑っていた

★ON EATING A STAR
One evening a whitish substance was falling onto the veranda   When I put it in my mouth   it had a cool milky flavor   I was wondering what it could be when   all of a sudden I was shoved down onto the pavement   Just then   a starlike object flew out of my mouth   dragged its tail over the rooftops and disappeared without a trace
 When I got up from the pavement   a yellow window was laughing with scorn in the moonlight

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どうでしょう、いずれもなかなか達意の訳と感じます。

ただ一寸思ったのは、英語で読むタルホと聞くと、「バタ臭さ」が一層増すような気がするんですが、実際には、むしろ英語の方が「薄味」に感じられることです。もちろん、私の英語力の問題もあります。でも、英訳の過程で濾過されるニュアンス(いわば雑味)こそ、作家・足穂の文章作法の極意だという気もします(甲類焼酎と乙類焼酎の違いみたいなものですね。そして、これは足穂に限らず、文学作品を翻訳する際、常に付きまとうことでしょう)。

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ちなみに、この翻訳を手がけ、収録作品の選定も行ったTricia Vitaさんは、巻末の訳者紹介によれば、以下のような経歴の方だそうです。

 「Tricia Vitaは京都で3年間暮らした。これまで日本の集英社で文学スカウト〔新人発掘担当者〕として、またニューヨークにある日本美術ギャラリーで翻訳家として勤務。その小説・記事・評論は、「Ms.」、「Art&Antiques」、「New Art Examiner」の各誌に掲載され、童話作品『婦人用10人乗り自転車(The Ten-Woman Bicycle)』は、イギリス・オランダ・スウェーデンの各国で出版された。彼女が手掛けた日本語からの翻訳作品として、本書は最初の単行本である。」


コメント

_ S.U ― 2018年01月13日 08時16分38秒

訳者は女性なんですね。なんとなく嬉しいです。

 タルホ文学の魅力の一つは、そのたどたどしいとも言える変則拍子で、これは三島も高く評価しているところですが、訳者はそこに注目したようですね。何というか、サッカーのドリブルの達人が、予測できないリズムで動いて相手をかわし、よいのよいのとゴール前までボールを運んでいる味がでれば成功と思います。ただし、メッシのようにあまりに軽やかに進んではダメで、久保か原口程度がよろしいです。

 バタ臭さが薄まる件は、確かにそうですね。なかなか面白いと思います。タルホのバタはミント入りですから、産地によりまたは混ぜ方により、中和されたり増幅されたりするのかもしれません。

 それから、もう一つの可能性として、我々がタルホを大正文学と納得してしまったところから強いバタ臭さが出ているのかもしれません。私が一千一秒物語を初めて読んだ時は、これが大正時代に書かれたことは知っていましたが、とてもそう信じることはできませんでした。その時は、そんなにバタ臭いという感じはしなかったように思います。つまり、大正文学という刷り込みの有無も関係するのかもしれません。タルホ文学は「モダン」ですが絶対的な時代に属するものではないので、外国人や今の若い人のように、大正期も進駐軍時代も高度成長期もバブル期もさして区別のつかない人なら、感じ方が違うのかもしれません。

 それから、当時の神戸の外国人の国籍の分類もありがとうございました。ゲルマン系に接することが多かったのですね。
 これにタルホの少年時代のことを加えますと、関西学院は確かカナダのキリスト教系でした。英国系かフランス系かは存じません。それから、ヒコーキについては、当時はアメリカとフランスが競い合っていましたが、タルホは特にどちらにも肩入れしてはおらずフェアな判断であったように感じます。文学的、コッピー鉛筆的にはドイツびいきであったように思います。ただし、一千一秒の原題はフランス語でしたよね。使い分けていたのかもしれません。

_ S.U ― 2018年01月13日 08時47分58秒

関西学院がカナダ系かアメリカか英国かフランスか、いい加減なことでは失礼なので調べてみました。

 関西学院中学部のWebのスクールモットー紹介等によると、初めの設立は米国の南メソジスト監督教会の聖職者によるようですが、タルホがいた頃は、カナダ・メソジスト協会と共同で、のちに院長になりキリスト教精神を広めたベーツ氏(カナダ・オンタリオ出身)も高等学部長に赴任していました。タルホが接した当時の院長のニュートン氏は米国出身でした。ということで、依然としていいかげんですが、米国とカナダ、フランス系どれも正解のようです。

_ 玉青 ― 2018年01月13日 17時43分54秒

関西学院について、ご教示ありがとうございました。
では、ここは大雑把に「北米」ということにしておいてください。

ときに、再び神戸の町の性格を考えると、あそこは外国人居留地であり、港町であり、ハイカラ文化の入口でしたけれど、そこに展開した「西洋」は、いかにも急ごしらえの、無国籍な感じのする西洋だった気がします。言い方を換えると、あの町の特徴は、伝統の窮屈さを離れた自由や清新さにあり、そこに強いて伝統を重ねるならば、それは「新教」を奉じる文化であった…と、まとめることができるのではないでしょうか。

あまり深く考えずに書いていますが、足穂作品に漂うハイカラさから遠いのは、ローマ・カトリック的な、「ヤニ色の西洋」「なよなよした西洋」かもしれませんね。

_ S.U ― 2018年01月14日 08時30分15秒

 初期の足穂文学が神戸や学校のキリスト教の影響を受けていたかというと明瞭なものは感じられませんが、清新の方向ではあったように思います。「ヤニ色」ではないですね。

 むしろ、すでに耽美主義(谷崎の作品に見るような)の色鮮やかな断片が積極的に含まれていて、この辺が英語に盛り込みにくいという仮説はどうでしょうか。

_ 玉青 ― 2018年01月14日 15時02分47秒

真実が奈辺にあるかは分かりませんが、翻訳って本当に難しいですね。

例示した中で、私がいちばん違和感を覚えたのは、「冷たくてカルシュームみたいな味」を「a cool milky flavor」と訳した箇所です。もちろんcalciumは英語の語彙にもありますが、これをcalciumと言ったのでは、英米の読者に伝わらないと判断したから、Vitaさんは「冷たいミルクのような風味」と訳したのでしょう。でも日本の読者にすれば、この「カルシューム」の一語には、化学やサイエンスの匂いとか、スキッと無機的な感じが込もっているように思うので、ミルクはちょっと違うぞ…と思うはずです。あるいはVitaさんも、そうしたニュアンスをつかみ損ねたのかもしれません。

「カルシュームはcalciumにあらず。ましてやミルクとは程遠い」となると、うーん、本当に翻訳って難しいですね。

_ S.U ― 2018年01月14日 17時47分58秒

>calciumと言ったのでは、英米の読者に伝わらないと判断した

これは、日本文を読んだのでは気がつきませんでしたが、面白いですね。

 仮説ですが、カルシウムというのは、食物あるいは肥料の栄養素あるいは軽金属元素の意味であって、多数のアメリカ人には特に味を思い出すイメージはないのかもしれません。栄養素ならまずミルクであり、味を特定するには、炭酸カルシウム(calcium carbonate)あるいは石灰質(calcareous)とせねばならなかったのかもしれません。

 ナトリウムやマグネシウムなら日本語でも、食物あるいは肥料の栄養素あるいは軽金属元素の意味に限られていて、その味は思い浮かばず、塩化ナトリウムや塩化マグネシウムでなくてはなりません。カルシウムの味といわれると、貝殻や石灰質の「味」を思い出すのがかえって不思議です。

_ 玉青 ― 2018年01月16日 06時43分23秒

大正時代の日本における「カルシューム」のイメージの広がりとなると、現代の我々にもちょっと分かりにくいところがありますね。まこと言葉は生き物です。足穂の場合は、ひょっとしたら、元素のCaよりも、例の「ファンタシューム」と隣り合わせのイメージを持ってたかも。
(こちらで恐縮ですが、ご連絡ありがとうございました。お返事はまた後ほど。リファレンの記載は修正しておきました。)

_ S.U ― 2018年01月16日 07時47分20秒

歴史や人種に関係あるかどうかわかりませんが、カルシウム味についてネットで調べているとすぐにひっかかったことがあります。

 カルシウム味は第6の味覚の可能性があるということが出ていました。

https://gigazine.net/news/20180108-sixth-taste/

 5つの基本味で、初めの4つは古代から知られている味ですが、5番目のうま味が、昆布だしの味が気になった池田菊苗が成分分離をして認められたことは定説だと思います。

 6番目の可能性が、タルホの感覚の件と関係するのかどうか、「新しく発見された根源的な味」ということで何かタルホ的意味があるのかもしれないと思います。

_ S.U ― 2018年01月16日 07時49分21秒

(書き忘れ) Webの修正ありがとうございました。自分で間違っておいて、あとで読んで一時的に混乱してしまいました。

_ 玉青 ― 2018年01月17日 07時22分36秒

いやあ、本当にカルシューム味ってあったんですね!
となると、「カルシウム味って、一体どんな味なんだろう?」と誰もが思うと思うんですが、関連記事を見ていて、

「研究チームのマイケル・トルドフ博士は「カルシウム味は苦みに酸味が少し加わったようなものだ。適切に表現する言葉はなく、『カルシウムっぽい』としかいいようがない」と話している。」

とあるのを見て、まあ実際その通りなんでしょうけど、何だかちょっとおかしかったです。(^J^)

_ S.U ― 2018年01月17日 12時31分39秒

英語圏で「カルシウムの味」というのが正しく特定できるかというのが最初の問題でしたが、引用サイトで

This means that being able to sense (read: taste) calcium could be essential for our survival.

と表現されているのを見ると、英語圏でもおそらく「カルシュームの味」は言葉としては成立するみたいですが、一般米国人に即座に研究者の意図する具体的な理解が得られるほどではないかも、という気がします。

 なんかカルカルシンが食べたくなってきました。

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