エディンバラ天文台 ― 2006年03月01日 06時16分03秒
絵葉書よりもさらにアンティックな世界を求めると、版画収集に行き着きます。
ただ、西洋版画の世界もなかなか奥が深いようです。
元々ものぐさなので、最近は何でもeBayで買ってしまうんですが、売り手は「本物のアンティーク!」と称しても、やっぱり現代の複製品だったり、「オリジナルの手彩色」を謳いながら、露骨に最近色塗りしたものだったり、そこには少なからぬリスクも伴います。まあ、私は初めから蚤の市感覚の、チープな品しか買わないので、何だこりゃ!という品をつかまされても“ご愛嬌”の範囲ですが。
こうした品は、古い本や雑誌をばらして、図版頁のみ切り売りしているものが殆どで、愛書家はこうした所業を「屍肉喰い」と忌み嫌うそうです。本好きとしては複雑な気持ち。ただマーケットとして相当古くから成立しているのも確かで、多くの古書店がこの手の版画を扱っています。
さて、掲出の作品も明らかに何かの本の挿絵。出典は不明ですが、19世紀前半のものでしょう。
エディンバラのカルトン・ヒルに立つ天文台の雄姿。1818年に建築家プレイフェアによって建てられたギリシャ風の建物です。ちょっと驚きですが、この天文台は今も現役です。
★今の様子 http://scotland.archiseek.com/edinburgh/caltonhill_observatory_lge.html
ここは昔エディンバラ王立天文台でしたが、19世紀末に同天文台が市内ブラックフォードに移転するとともににエディンバラ市に譲渡され、現在は市民天文台となっています。
ちなみに、カルトン・ヒルは2月26日付けの朝日新聞(be on Sunday)でも紹介されていました。
理科室の起源? ― 2006年03月02日 05時58分01秒
(珍品部屋の陳列棚。17世紀の絵画)
理科室の歴史というのも、調べてみるとずいぶん面白そうです。
今のところまったくの想像ですが、そのルーツをたどると、ルネッサンス期の王侯貴族が作り上げた「珍品部屋(cabinets of curiosities)」に行き着くのではないでしょうか。
そこにはあらゆる種類の珍獣・珍石・カラクリ仕掛けのコレクションが詰め込まれ、有名なハプスブルグ家のそれは「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」の名で知られます。バロック期の好事な貴族たちは、それを発展させると同時に、私設実験室を邸内に設け、新奇な科学実験を趣味として楽しんだといいます。
その後博物学が大衆化し、博物学ブームともいえる状況が生まれ、自然史コレクションの形成が教養人の嗜みとなり、最終的にそれが学校教育に組み込まれたときに、「理科室」という特異な空間が生まれたのではないか…と、仮に想像しています。
もしそうだとすれば、理科室が自然の驚異を詰め込んだワンダーランドであるのも至極当然なわけです。
理科室の歴史というのも、調べてみるとずいぶん面白そうです。
今のところまったくの想像ですが、そのルーツをたどると、ルネッサンス期の王侯貴族が作り上げた「珍品部屋(cabinets of curiosities)」に行き着くのではないでしょうか。
そこにはあらゆる種類の珍獣・珍石・カラクリ仕掛けのコレクションが詰め込まれ、有名なハプスブルグ家のそれは「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」の名で知られます。バロック期の好事な貴族たちは、それを発展させると同時に、私設実験室を邸内に設け、新奇な科学実験を趣味として楽しんだといいます。
その後博物学が大衆化し、博物学ブームともいえる状況が生まれ、自然史コレクションの形成が教養人の嗜みとなり、最終的にそれが学校教育に組み込まれたときに、「理科室」という特異な空間が生まれたのではないか…と、仮に想像しています。
もしそうだとすれば、理科室が自然の驚異を詰め込んだワンダーランドであるのも至極当然なわけです。
理科室追想(2)…大岡小学校旧校舎写真集 ― 2006年03月03日 06時06分09秒
高橋 晃『日記「学舎・1982・夏」-横浜市立大岡小学校旧校舎写真集-』(1995)表紙
心に沁みる理科室の画像は、ネット上には意外に少ないのですが、ここは文句なしに素晴らしいです。
理科室に限らず、この校舎をくまなく歩いてみてください。本当に懐かしさで目がうるみます。
http://www.coollab.org/diary/1st/index.html
(左側メニューの「ギャラリー」からご覧下さい。)
私自身は木造校舎で学んだ経験はなく、むしろここで紹介されているような「戦前のコンクリート校舎」に強いノスタルジーを感じます。4年生のときに取り壊された母校の「旧校舎」が、まさにこんな雰囲気でした(建てられたのがちょうど同時期、関東大震災の復興期にあたります)。
理科室関係の写真をセレクトすると…
▼理科実験室からガラス戸越しに見る長い廊下
http://www.coollab.org/diary/gallery/04.html
▼理科準備室1
http://www.coollab.org/diary/gallery/47.html
▼理科準備室2
http://www.coollab.org/diary/gallery/26.html
▼理科室
http://www.coollab.org/diary/gallery/46.html
▼おまけ(理科室と並んで図書室も好きでした......)
http://www.coollab.org/diary/gallery/38.html
心に沁みる理科室の画像は、ネット上には意外に少ないのですが、ここは文句なしに素晴らしいです。
理科室に限らず、この校舎をくまなく歩いてみてください。本当に懐かしさで目がうるみます。
http://www.coollab.org/diary/1st/index.html
(左側メニューの「ギャラリー」からご覧下さい。)
私自身は木造校舎で学んだ経験はなく、むしろここで紹介されているような「戦前のコンクリート校舎」に強いノスタルジーを感じます。4年生のときに取り壊された母校の「旧校舎」が、まさにこんな雰囲気でした(建てられたのがちょうど同時期、関東大震災の復興期にあたります)。
理科室関係の写真をセレクトすると…
▼理科実験室からガラス戸越しに見る長い廊下
http://www.coollab.org/diary/gallery/04.html
▼理科準備室1
http://www.coollab.org/diary/gallery/47.html
▼理科準備室2
http://www.coollab.org/diary/gallery/26.html
▼理科室
http://www.coollab.org/diary/gallery/46.html
▼おまけ(理科室と並んで図書室も好きでした......)
http://www.coollab.org/diary/gallery/38.html
トリノ天文台 ― 2006年03月04日 10時31分53秒
トリノ五輪の余韻がまだ残っていますが、画像はトリノ天文台の絵葉書です。(1910年頃)
イタリア式の典雅な宮殿の頂に、ちょこんとドームが乗っています。
同天文台は1759年に創設され、その後1822年に写真の「パラッツォ・マダマ(貴婦人宮;昔の女城主にちなんだ名)」に移転し、1912年には観測適地を求めて、さらに郊外の現在地へと移転して行きました。
パラッツォ・マダマ時代の同天文台は、外見の壮麗さだけではなく、ライヒェンバッハとフラウンホーファーの新式子午環(当時世界最大)とメルツ製30センチ屈折望遠鏡をそなえ、天体力学の分野ですぐれた業績をあげました。
(ちなみに当時の台長、ジョバンニ・プラナは「ラグランジュ・ポイント」で有名なジョゼフ・ルイ・ラグランジュの弟子にあたります。ラグランジュもトリノ出身だったことを今回初めて知りました。)
現在のパラッツォ・マダマはすぐれた古美術コレクションを持つ博物館になっており、ドームはすでにありません。
参考:http://www.to.astro.it/
東日天文館…リーフレット(1) ― 2006年03月05日 08時15分08秒
最近の買い物から。
昭和13年(1938)、東京有楽町にできた「東日天文館」のリーフレット(昭和15年版)。東日天文館は、前年大阪に完成した「電気科学館」に次いで、日本で2番目のプラネタリウムです。
表紙を飾るツァイスII型機の雄姿。
「天象儀」の文字がいいですね。
これを見ると、ただちに長野まゆみ氏の名作『天体議会』の冒頭の章を思い出します。(というより、この手の品から発想して長野氏は文章を紡がれたのか?)
★ ★ ★
「…正面に見えるプラネタリウムの広告塔(ネオン)が、ぱッと黄昏のように染まる。銅貨と水蓮がプラットフォームのこの地点を好んでいるのは、ひとえにこの広告塔を見たいがためである。南十字星の煌(かがや)く夜天(よぞら)を背景に旧式の投影機を描いた広告塔は、もう相当に古びていたが“天象儀館(プラネタリウム)”と書いてあるところなど、少年たちはおおいに気に入っていた。…」
(カッコ内はルビ。銅貨と水蓮というのは主人公とその友人の名前です。)
★ ★ ★
裏面の解説文がまた名文なのですが、それはまた明日。
昭和13年(1938)、東京有楽町にできた「東日天文館」のリーフレット(昭和15年版)。東日天文館は、前年大阪に完成した「電気科学館」に次いで、日本で2番目のプラネタリウムです。
表紙を飾るツァイスII型機の雄姿。
「天象儀」の文字がいいですね。
これを見ると、ただちに長野まゆみ氏の名作『天体議会』の冒頭の章を思い出します。(というより、この手の品から発想して長野氏は文章を紡がれたのか?)
★ ★ ★
「…正面に見えるプラネタリウムの広告塔(ネオン)が、ぱッと黄昏のように染まる。銅貨と水蓮がプラットフォームのこの地点を好んでいるのは、ひとえにこの広告塔を見たいがためである。南十字星の煌(かがや)く夜天(よぞら)を背景に旧式の投影機を描いた広告塔は、もう相当に古びていたが“天象儀館(プラネタリウム)”と書いてあるところなど、少年たちはおおいに気に入っていた。…」
(カッコ内はルビ。銅貨と水蓮というのは主人公とその友人の名前です。)
★ ★ ★
裏面の解説文がまた名文なのですが、それはまた明日。
東日天文館…リーフレット(2) ― 2006年03月06日 06時19分01秒
裏面の解説文を掲げます。
★★★★★★★
『宇宙天体の再現-プラネタリウムの機能について』
解り難い天文現象を手に取るやうに理解させる天象儀であります。すなはち、難解な天文学もプラネタリウムの実験によつて其理解を速成させてくれるのです。
☆
日常生活と密接な関係を有つ天文現象がわれわれ人類に判つてゐないでは「話」になりません、況んや、あらゆる文化の華咲く今日において、天文諸現象が迷信的対象であるなど以ての外であります。そこでかうした難解な天文現象を、最も手軽に判り易く理解させるために生れたのがこのプラネタリウムであります。要するに、人工宇宙の再現装置と申すべきものでありませう。
☆
直径二十米、高さ十八米の丸天井を仮りの空として、其内面に日月星辰を実物そのまゝに映出し、併せて天の赤道、黄道、子午線、春秋分点、夏至、冬至点等の基準線まで現はして天体の運行を手易く見る人々をして理解せしめます。解説台のスヰツチの操作によつて南極、北極への空の旅も全く一瞬の間に行はれます。過去の空、例へば皇紀元年頃の空も判れば、未来の空即ち一万年後の空まで判ります。プラネタリウムの機能こそは千変万化であり、唯驚くばかりでありますが、これを製作しましたのは独逸のカール・ツァイス会社でありまして、この機械は正確に言へばツァイス・プラネタリウムです。
(以下略)
★★★★★★★
こういう文は声に出して読むといいですね。
こうした文体を自家薬籠中のものにできると良いのですが。
東日天文館…絵葉書 ― 2006年03月07日 06時20分23秒
太っちょの可愛らしい土星。
色使いが“モダン”ですね。
東日天文館は、昭和13年に誕生してから同20年の東京大空襲で焼け落ちるまで、わずか7年に満たぬ生涯でした。戦前の華やかな大衆文化の掉尾を飾る、まさに仇花的な存在と言ってもよいでしょう。
あるいは、失われたがゆえに永遠に美化される存在と成り得たのか…。
色使いが“モダン”ですね。
東日天文館は、昭和13年に誕生してから同20年の東京大空襲で焼け落ちるまで、わずか7年に満たぬ生涯でした。戦前の華やかな大衆文化の掉尾を飾る、まさに仇花的な存在と言ってもよいでしょう。
あるいは、失われたがゆえに永遠に美化される存在と成り得たのか…。
たんぽぽのペーパーウェイト ― 2006年03月08日 06時24分30秒
さて、明日から日本ハーシェル協会主催のハーシェル・ツアーでイギリス行きです。1週間ほど留守にします。
ブログ開設以来ここまで皆勤で来たので、ここで中断するのもちょっと癪ですが、止むを得ません。
写真は去年のハーシェル・ツアーに参加したとき、ナショナル・トラストの店で買ったペーパーウェイト。最初見たとき、イギリスのタンポポは何て大きな花をつけるんだろうと思いましたが、実はガラス球がレンズの働きをしているため大きく見えるのでした。(底部の平らな面から見ると、やっぱり日本のタンポポと同じ大きさの綿毛だと分かります。)
それにしても不思議です。ふわふわの綿毛をどうやってガラスに封じ込めたのでしょうか?封入する前に固化したのかな?まるで手品を見る思いです。
★ ★ ★
向こうで何か面白い品が手に入れば、またここでご紹介します。では1週間後に…。
オックスフォード自然史博物館(2) ― 2006年03月16日 08時42分59秒
前に取り上げたオックスフォード自然史博物館に一昨日行ってきました。
とにかくすさまじい展示量です。古き時代のイギリスが持つ強迫的な蒐集癖を改めて見る思いがしました。残念ながら時間の関係で駆け足で見ただけですが、時間をかけて見たらもっといろいろ発見があったと思います。
12時の開場間際に行ったんですが、10歳くらいの男の子が一人、門が開くのを今か今かと待っていました。イギリスの理科少年か…と大いに親近感を覚えました。
何か面白いものはないかな?とミュージアムショップに期待したんですが、こちらは完全に期待はずれ。案内してくれたイギリスの人も「ロンドンの自然史博物館に較べると、ショップが全然しょぼいね」という意見でした。それでも、大判の地質図(複製)に風情を感じて購入。そちらは、別項でご紹介します。
イギリスの地質図 ― 2006年03月17日 08時51分07秒
昨日触れた、W・スミスの手になる "A New Geological Map of Emgland and Wales" (1820) の複製品。79センチ×65センチの大判の地図です(写真は部分)。
淡彩の施された、いかにもアンティーク調の地図。まあ1820年といえば、ビクトリア時代よりも前、まだジョージ王(3世、4世)の時代なので、相当古いといえば古いものです。
一緒に買った現代の地質図と較べると、その表現は甚だ大雑把ですが、それでも大きな骨格は違っていない点は感嘆に値します。
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