ヴァチカン天文台廃絶?2008年01月06日 14時44分17秒

(上空から見たヴァチカン天文台。出典:「週刊朝日百科・世界の歴史75-天文と解剖-」、1990、朝日新聞社)

去年、ヴァチカン天文台の話題を書きましたが(11月2日、4日)、昨日になって「ヴァチカン天文台廃絶か?」というニュースを耳にしました。

「え、じゃあ次はサザビーズの出番?」「まあまあ落ち着いて、記事をよく読んで。ヴァチカン天文台がなくなるとはどこにも書いてないでしょ。」…というようなML上のやりとりを読んで、私も改めて問題の記事に目を通してみました。

■「科学、神学に屈する。教皇、ヴァチカン天文台を解体」
 ザ・インデペンデント紙 1月4日付
 http://news.independent.co.uk/europe/article3307586.ece

(以下、かいつまんで適当に意訳)
 教皇が夏場を過ごす別荘地、カステル・ガンドルフォ(Castel Gandolfo)の一画に、75年以上の長きにわたって存続してきた天文台が、教皇の外交活動のため近々立ち退くことになった。外交団受け入れのために、教皇がより多くの部屋を必要としているためである。

 研究者と機材は、1マイル離れた元女子修道院に移転の予定だが、これは教皇と「僧衣をまとった天文学者たち」との1世紀以上にわたる蜜月関係の終わりを告げるもの、と現地紙は報じている。

 現天文台長Jose G Funes 神父は、「ヴァチカンで科学の地位が低下したわけではありません。この城館にとどまることには、せいぜい象徴的な意味合いしかありませんし、移転予定先のほうが我々にとってむしろ好都合なのです」と語っており、Funes 神父の前任者である George Coyne 神父もそれに同意している。

 しかし、ベネディクト16世に近い筋の見方では、この移転にはまさに象徴的意味合いがあり、現教皇が科学に不寛容であることを立証するものだとしている。現教皇は、前天文台長の意見に反対して、知的存在による進化創造説(intelligent design)に賛意を表したことなどは、その一例である。

 歴代教皇は、ガリレオの頃から天文学と愛憎劇を繰り広げてきた。彼らが興味を示したのは、例えば、2千年前に東方三賢者をベツレヘムに向かわせた惑星は何だったのか、それを確定しようとする天文学者たちの努力であり、また16世紀後半には、暦の改良という世俗的な問題も教皇の気を惹いた。最近まで続くような関係を築き上げたのはレオ13世であり、1891年のことだった。そして、1935年、天文台はローマの大気汚染を逃れて現在地に移転してきた。

 1978年、Coyne 神父がヴァチカン天文台長となり、ヨハネ・パウロ2世の長期にわたる在位期間中ずっとその職にあった。ヨハネ・パウロ2世は、神学的には保守の立場だったが、同時に科学上の発見を熱心に受け入れ、1996年のスピーチでは、ほとんど進化論を受け入れる寸前まで行った。

 ヨハネ・パウロ2世の没後、2006年8月にCoyne 神父が台長職を解かれた際には、知的存在による進化創造説に反対したことが、彼の身を滅ぼしたと噂された。ベネディクト16世が、啓蒙主義とそれがもたらした科学的真理に反対していることは、最早明らかである。

 Coyne 神父の旧領は、今や解体目前である。ただし、2つの天文ドームはそのまま残され、博物館に改装される予定だとのこと。

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上の記事に対するB氏のコメント(ML投稿)

 「ヴァチカンから何かニュースが聞こえてくると、常に教皇をあざけるような論調に傾きがちだということをお忘れなく。ヴァチカン天文台は、すでにカステル・ガンドルフォではなく、アリゾナのグラハム山に事実上の観測拠点を置いていますし、また同天文台はこれまで何度も移転を経験しており、カステル・ガンドルフォとの結びつきは比較的最近のものに過ぎません。それに、これまでの例からすると、カステル・ガンドルフォに、教皇が外交団を迎えるというのも妙な話です。全てはまだ噂に過ぎません。教皇ベネディクトは、科学の敵であるどころか、科学と芸術を神から与えられた最高の贈り物であると述べていますし、科学と宗教の境界を定めるために、宗教者と科学者が対話することにも深い関心を示しています。」

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真相はまだ明らかではありませんが、いずれにしろ「廃絶」ではないですね。
それにしても、宗教と科学の対立がこれほど話題となること自体、問題の複雑さを感じさせます。いや、依然それが世界の大勢であって、日本の方が少数派なのかもしれませんが…。

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「カステル・ガンドルフォ」…いい名前ですね。ルパン3世に出てきそうです。