ブール・プラネタリウム…アメリカの夢、理科少年の夢。 ― 2009年10月29日 20時49分18秒
(↑下記サイトより)
先日ML経由で、このプラネタリウムが開館70周年を迎えたこと、その詳細は以下のページにあることを教えられました。
■History of The Buhl Planetarium and Institute of Popular Science,
Pittsburgh, Pennsylvania (http://buhlplanetarium.tripod.com)
地元のプラネタリウムを愛する「ツァイス友の会」がまとめた、内容盛り沢山のサイトです。
とりあえず、Brief History(http://buhlplanetarium.tripod.com/Buhlbriefhistory.html )やQuick History(http://venustransit.pghfree.net/fotz/quickhistory.html)のページを読んで、ブールの概要を知ることができました。
ページタイトルにあるように、ブールはプラネタリウムと公共天文台、それに科学館から成る複合施設です。日本にもその種の施設は多いと思いますが、両者の歩みを比べると、いろいろ考えさせられます。以下、上記ページをつまみ食いしながら、ブールの歴史を振り返ってみようと思います。
★
アメリカ東部の街、ピッツバーグ。そこのデパート王、ヘンリー・ブールJr.(1848-1927)の遺贈によって出来たのが、このブール・プラネタリウムです。ブールの遺贈金は、当時の金で1100万ドル以上だそうで、何とも豪気な話。天文台にしろ、プラネタリウムにしろ、富豪の寄付でできるパターンがアメリカは多いですね。
開館は1939年10月24日。
アメリカ最古のプラネタリウムは、1930年創設のシカゴのアドラー・プラネタリウムで、ブールはアメリカで5番目のプラネタリウムになります。
その建設費用は大富豪の財布から出ましたが、アイデアを出したのはアマチュア天文家だったというのは、愉快な話です。アドラーのニュースを聞くや、ピッツバーグ・アマチュア天文家協会(AAAP)の面々が、噂に聞く最新式の天文教具とは一体何ぞや?とシカゴまで出かけて、その実力にいたく感激し、これはぜひピッツバーグにも!とアピールしたことが、ことの発端でした。
建物の建設費はブール財団が全面的に負担し、土地はピッツバーグ市が同財団に99年契約で、年額1ドル(!)で貸すことになって、めでたく開館にこぎつけたというのですから、なかなかの美談です。大恐慌のさなかに、そういう義挙が行われたというのは、アメリカの底力を感じさせる話。
このブール・プラネタリウム、設備も実に豪華でした。
425席を擁する直径20メートルのドーム。昇降式のツァイスⅡ型投影機(床下に機械を格納して、その上が舞台として使えるようになっていました)。完備した空調設備。聴覚障害者用の骨伝導装置も備えた音響設備…。昭和14年当時の日本を思い浮かべると、何だか夢のような世界です。もっとも、これらはアメリカでも当時最新の設備であり、いかにピッツバーグの人々が、このプラネタリウム建設にエネルギーを注いだかの証左でしょう。
一昨日載せた、瑞雲たなびくカラフルな絵葉書は、開館間もない頃に発行されたものと思いますが、あれを見ても、この堂々たる白亜の殿堂が、当時の人々の目にどれほどまぶしく映ったか、想像することができます。(現在はちょっと草臥れた感じですね。先回りして言うと、最早この建物にブール・プラネタリウムは存在しません。その顛末は下述。)
(この項つづく)
先日ML経由で、このプラネタリウムが開館70周年を迎えたこと、その詳細は以下のページにあることを教えられました。
■History of The Buhl Planetarium and Institute of Popular Science,
Pittsburgh, Pennsylvania (http://buhlplanetarium.tripod.com)
地元のプラネタリウムを愛する「ツァイス友の会」がまとめた、内容盛り沢山のサイトです。
とりあえず、Brief History(http://buhlplanetarium.tripod.com/Buhlbriefhistory.html )やQuick History(http://venustransit.pghfree.net/fotz/quickhistory.html)のページを読んで、ブールの概要を知ることができました。
ページタイトルにあるように、ブールはプラネタリウムと公共天文台、それに科学館から成る複合施設です。日本にもその種の施設は多いと思いますが、両者の歩みを比べると、いろいろ考えさせられます。以下、上記ページをつまみ食いしながら、ブールの歴史を振り返ってみようと思います。
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アメリカ東部の街、ピッツバーグ。そこのデパート王、ヘンリー・ブールJr.(1848-1927)の遺贈によって出来たのが、このブール・プラネタリウムです。ブールの遺贈金は、当時の金で1100万ドル以上だそうで、何とも豪気な話。天文台にしろ、プラネタリウムにしろ、富豪の寄付でできるパターンがアメリカは多いですね。
開館は1939年10月24日。
アメリカ最古のプラネタリウムは、1930年創設のシカゴのアドラー・プラネタリウムで、ブールはアメリカで5番目のプラネタリウムになります。
その建設費用は大富豪の財布から出ましたが、アイデアを出したのはアマチュア天文家だったというのは、愉快な話です。アドラーのニュースを聞くや、ピッツバーグ・アマチュア天文家協会(AAAP)の面々が、噂に聞く最新式の天文教具とは一体何ぞや?とシカゴまで出かけて、その実力にいたく感激し、これはぜひピッツバーグにも!とアピールしたことが、ことの発端でした。
建物の建設費はブール財団が全面的に負担し、土地はピッツバーグ市が同財団に99年契約で、年額1ドル(!)で貸すことになって、めでたく開館にこぎつけたというのですから、なかなかの美談です。大恐慌のさなかに、そういう義挙が行われたというのは、アメリカの底力を感じさせる話。
このブール・プラネタリウム、設備も実に豪華でした。
425席を擁する直径20メートルのドーム。昇降式のツァイスⅡ型投影機(床下に機械を格納して、その上が舞台として使えるようになっていました)。完備した空調設備。聴覚障害者用の骨伝導装置も備えた音響設備…。昭和14年当時の日本を思い浮かべると、何だか夢のような世界です。もっとも、これらはアメリカでも当時最新の設備であり、いかにピッツバーグの人々が、このプラネタリウム建設にエネルギーを注いだかの証左でしょう。
一昨日載せた、瑞雲たなびくカラフルな絵葉書は、開館間もない頃に発行されたものと思いますが、あれを見ても、この堂々たる白亜の殿堂が、当時の人々の目にどれほどまぶしく映ったか、想像することができます。(現在はちょっと草臥れた感じですね。先回りして言うと、最早この建物にブール・プラネタリウムは存在しません。その顛末は下述。)
(この項つづく)
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