アルビレオ出版社の快挙(3)2014年11月07日 21時19分09秒

昨夜は帰りが遅くなりました。
23時を過ぎ、南上りの坂道を登っていたら、正面に彼がいました。
冬の王者、オリオン。いよいよ彼の季節がやってきました。

   ★


昨日の画像再掲。
太陽系を描いた図ですが、この中心部を拡大します。


この画像の左右は約55mm、中央の太陽の直径は約5mmです。


さらに拡大。この画像はおよそ左右18mm。ここまで拡大すると、印刷のドットが見えてきますが、もちろん肉眼では識別できません。


別の彩色部。原図の左上に当たります。この画像の左右は約80mm。
もちろん原本は見たことがないのですが、そしてまた私の写真の拙さもありますが、印象としては良くニュアンスが再現されていると思います。

そして、これは重要な点ですが、マットな紙なので、そこに非常にリアリティが伴います。どんなに精細な印刷でも、ツルツルの紙では興醒めでしょう(まあ、精細に再現するためにツルツルな紙を使用しているのでしょうが)。
何というか、これが画集や図録であれば、それでもいいのです。むしろツルツルの紙の方が、モダンな美術館の冷たい床を思わせていいぐらいです。しかし、「モノとしての本」を再現しようするときには、この紙のテクスチャーの要素は非常に大きな問題で、それによって本の存在感がまるで違ってきます。


図版ページの裏面。紙の表情が出ています。


同じく裏面。この星図帳は、要するに1枚ずつ独立した版画を、二つ折りにして綴じたものなので、図版ページの裏はそれぞれすべて白紙になっています。ユリウス氏は、ここでも手をゆるめることなく、原本の汚れ、しみ、裏写り、手ずれの跡を印刷で完璧に再現しています。

元の図に戻って、今度は線刻部を見てみます。


右下に見える天使の一部拡大。画像サイズは、左右約28mm。


こちらは天使の隣に微笑む女神。同じく約32mm。

   ★

どうでしょう、これだけ再現できていれば、少なくとも私にとっては十分です。
最美の星図アトラスが、こうしてリーズナブルな価格で楽しめることは、本当に嬉しいことで、この偉業を成し遂げたユリウス氏に、この場を借りて、改めて敬意と感謝を捧げます。

   ★

支払いはpaypalで可。ユリウス氏への連絡や質問は英語でOKです。

コメント

_ S.U ― 2014年11月08日 08時06分37秒

 きれいな本ですね。
 ところでこの星図は本文もラテン語ばかりで書かれているのでしょうか。

 ちょっと疑問なのですが、当時の人は(もちろん、ちゃんとした本にアクセスできる人に限りますが)、ドイツでもオランダでも、みんなラテン語が読めたのでしょうか。もちろん国際的に活躍する学者や社交人は読めたでしょうが、市井のブルジョアやインテリゲンチャも読めたかという疑問です。

_ 玉青 ― 2014年11月08日 10時36分21秒

文章は徹頭徹尾ラテン語です。ですから、自分の名前もDoppelmaiero ですし、先人もTychonis De Brahe のような感じで登場します。

>みんなラテン語が読めた

ラテン語は「語学」ではなく「古典」教育の一環として講じられてきたので、日本でいうと、「英語」ではなくて「漢文」の立ち位置ですよね。学者でなくても、商人や官吏、少なくとも中等教育を受けた人ならば、ラテン語は親しい存在で、有名な古典のさわりぐらいは暗唱できたでしょうし、簡単な文章なら綴れたんじゃないでしょうか(でも、そこから自由に読み書きできるまでには、だいぶ距離があったことでしょう)。

ドッペルマイヤーの頃とは、ずいぶん時代が違いますが、ラテン語教育というと、ヘッセの『車輪の下』の受験勉強のシーンや、『チップス先生さようなら』で、主人公が新参の若手校長とラテン語の発音方式をめぐってケンカするシーンなんかが思い浮かびます。ラテン語というのは、あんな風に学校教育に組み込まれていたんだなあ…と、さらにその昔のこともボンヤリ想像します。

_ S.U ― 2014年11月08日 12時48分00秒

近代のラテン語能力は、経済的地位とか知識階級とかいうよりは、子どもの時に興味を持って授業に取り組んでいたか、という問題なのかもしれませんね。いやはや・・・

 確かに、「ギムナジウムもの」小説の場合、ラテン語の授業中にいたずらや喧嘩をして先生ににらまれたり、ラテン語の試験に失敗して落第しそうになって落ち込んだり、そういうシチュエーションがよく似合うように思います。

_ 玉青 ― 2014年11月09日 08時12分37秒

そういえば…

古い魔術書を意味する「グリモワール」という語について、ウィキにこんな記述がありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB

「グリモワール(grimoire)という言葉の由来については「文法(書)」を意味するフランス語の grammaire から派生したとの説が有力である。フランスではかつて grammaire はラテン語で書かれた書物を指した。中世ヨーロッパで「文法」(grammatica)といえばラテン語の文法や教養を意味したが、一般の人々にとってラテン語は聖職者などの限られた人だけが読める“ちんぷんかんぷん”なものであった。民衆の中でしばしば「文法」と「魔法」が関連付けられたであろうことは、イギリスで grammar の異形 gramarye が「魔法」の意味で用いられたという事実からも窺知される。」

西洋にも、ご隠居が諭し示す論語の一節に振り回された熊さん、八っつぁんのような人が大勢いたんでしょうね(笑)。漢文を習う高校生が必ず発する「ちんぷん漢文」も思い出しました。

_ S.U ― 2014年11月09日 15時47分57秒

 私もこのトシになったので、故事や語源の解釈で、聞いたようなデッチ上げたような怪しげな説を述べたてて若い人をケムに巻きたがるお年寄りの気持ちが何となくわかるようになりました。洋の東西にその差はないようですね。困ったものです(笑)。

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