コレクションのコレクション ― 2014年11月22日 14時25分33秒
よく分からぬまま、さあ選挙だと言われて、ポカーンとしています。
「国民の信を問う」のも結構ですが、ご都合主義的に信を問われても困るわけで、常日頃から民意をもっと大事に、いっそ畏れてもらいたいと衷心から思います。
「国民の信を問う」のも結構ですが、ご都合主義的に信を問われても困るわけで、常日頃から民意をもっと大事に、いっそ畏れてもらいたいと衷心から思います。
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さて、ボンヤリした頭で日ごろの行いを振り返り、今日はコレクティングとコレクション、すなわち収集行為と収集物について書いてみます。
最近、自分なりに分かってきたのは、自分はコレクティングよりもコレクションが好きなんだという事実。本当にその道に心を寄せている人であれば、こつこつと、1つずつ自分の目で対象を精選し、その結果として、自分だけのオリジナル・コレクションを作り上げるというのが、本来の姿だと思います。というか、それが普通でしょう。
しかし、私の場合はモノがズラッと並んでいると、それだけで心が躍ってしまうので、いわゆる「標本セット」の類にきわめて弱く、その手のものをこれまでも頻々と買ってきました。
例えば、東京サイエンス社の「鉱物標本60種」という品。
たぶん同社は、今も同等品を扱っていると思いますが、私がこれを買ったのはずいぶん以前で、今ではすっかり紙箱も変色してしまっています。
中身はいわゆるマイクロマウントの鉱物標本が、60種ちんまり入っているというもの。
こういうのは、当然のことながら鉱物マニアからは重視されず、子供の学習教材に奮発するとか、目先の変わったものを欲しがるお父さんへのプレゼントとか、その辺に主たるニーズがあるのでしょう。世間にはそういう商品が結構あります。
ここで何よりも大事なのは、個々の鉱物種がどうかということより、ともかく標本がズラッと並んでいる「ズラッと感」です。その魅力は図鑑のそれに通じるもので、私はこうしたコレクションを、一種の「立体図鑑」として賞玩している気がします。
コレクターにとって、自分のコレクションは己の分身ですから、そこから極力他者の意志を排したいんじゃないかと思うんですが、私の場合、他人が作ったお仕着せのコレクションでも何でも、「ズラッと感」さえあれば、唯々諾々と受け入れて、得々としています。結局、私はコレクター気質から遠い、単なる「ズラッと好き」なのでしょう。
あるいは強いて言えば、「コレクションのコレクター」なのかもしれませんが、いかにも取り留めのない収集行為ではあり、自分の部屋が乱雑で、いつまでも統一感が生まれないのも当然です。しかし、反省と悔悟のいっぽうで、やっぱり性根は直らないという諦念もあります。
この機会に、他にも「ズラッと感」の漂う品をちょっと見てみます。
(この項つづく)
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