地学の歌 ― 2015年01月13日 07時01分21秒
高校の「地学」って、最近ふるわないそうだねえ…ということを耳にします。
そんな中、昨日の新聞を開いたら、次のような歌が「朝日歌壇」に掲載されていました(分かち書きは引用者)。
そんな中、昨日の新聞を開いたら、次のような歌が「朝日歌壇」に掲載されていました(分かち書きは引用者)。
二時間目 地学の終わりに 冬が来た
雨がみぞれに みぞれが雪に (富山市 松田梨子)
雨がみぞれに みぞれが雪に (富山市 松田梨子)
選者の馬場あき子氏評。「第一首はリアルな高校生の冬感覚。地学の時間の「終わり」も生きている。自然と眼が外に向いたのだろう。」
私も一読いい歌だなと思いました。
教室の窓から見上げる鉛色の空。気が付けば、雨はいつの間にか霏々と降るみぞれとなり、それがやがてふわりとした雪に変わる瞬間―。
「ああ冬が来たな」という、しみじみした思い。
地球のこと、宇宙のことを学ぶ地学の授業の後だけに、そこにある種の連想が働いているのも感じます。その場の光景も、それを歌に詠んだみずみずしい思いも、ともに美しいと感じました。
★
ところで地学って、今どうなっているのだろう?
…と改めて調べてみたら、どうも最近また指導要領が変って、昔の「地学Ⅰ」と「地学Ⅱ」の区分はなくなり、今は「地学基礎」と「地学」(発展科目)に分かれているのだそうです。
…と改めて調べてみたら、どうも最近また指導要領が変って、昔の「地学Ⅰ」と「地学Ⅱ」の区分はなくなり、今は「地学基礎」と「地学」(発展科目)に分かれているのだそうです。
そして、ややこしい単位履修の話を端折って結論を言うと、「地学基礎」は以前の「地学Ⅰ」よりも大幅に履修率が上がり、今や4分の1ぐらいの高校生が「地学基礎」を学んでいるという話。
天文や鉱物の知識の普及という点では喜ばしい限りですが、どうもその後に控えている「地学」の方はいっそう痩せ細ってしまい、平成25年度には、ついに「地学」の教科書が新たに発行されなかったという、衝撃的な事実を知りました。
■新課程「地学」は、“新教科書なき入試”に!
(旺文社教育情報センター「今月の視点」)
http://eic.obunsha.co.jp/viewpoint/20120901viewpoint/html/1
(旺文社教育情報センター「今月の視点」)
http://eic.obunsha.co.jp/viewpoint/20120901viewpoint/html/1
どうやら、教える側の理科の先生も、地学には苦手意識が強く、地学の退潮には、かなり構造的な問題がひそんでいるようです。
コメント
_ S.U ― 2015年01月13日 18時19分05秒
_ ガラクマ ― 2015年01月14日 00時04分19秒
地学大好きではありますが、母校の地学の先生に聞くと、わが県に地学の先生は3人しかいないとのこと。
たくさんいる都道府県もあるし、なんと一人もいない県もあり、地学をやりたくとも履修できない高校も多いとのことで残念です。
背景として、センター試験で地学を許さない大学も多いためだと思います。
理学部地学科を目指すとか、地学によっぽどこだわりがある学生でなければ、受験の為に履修するものが多いイメージがあります。
ちなみに娘の友人で、国際地学オリンピックで日本代表の子も、地学は履修もせず、受験でも使わず(使えなかった?)確か医学部に進んだと思います。
たのしい学問ではありますが、昔に比べ軽んじられているようで残念です。
たくさんいる都道府県もあるし、なんと一人もいない県もあり、地学をやりたくとも履修できない高校も多いとのことで残念です。
背景として、センター試験で地学を許さない大学も多いためだと思います。
理学部地学科を目指すとか、地学によっぽどこだわりがある学生でなければ、受験の為に履修するものが多いイメージがあります。
ちなみに娘の友人で、国際地学オリンピックで日本代表の子も、地学は履修もせず、受験でも使わず(使えなかった?)確か医学部に進んだと思います。
たのしい学問ではありますが、昔に比べ軽んじられているようで残念です。
_ 玉青 ― 2015年01月14日 06時46分34秒
S.Uさま、ガラクマさま
コメントありがとうございます。
これを好機として、日本における「地学」誕生のいきさつと盛衰について、少し資料に目を通してみようと思います。想がまとまりましたら、改めて記事にまとめる予定ですので、その際は、またどうぞ議論にお付き合いください。
それにつけても、ガラクマさんの娘さんのご友人の例は、うーん…と深く唸りますね。
地学の明日はいったいどうなるのでしょうか。
コメントありがとうございます。
これを好機として、日本における「地学」誕生のいきさつと盛衰について、少し資料に目を通してみようと思います。想がまとまりましたら、改めて記事にまとめる予定ですので、その際は、またどうぞ議論にお付き合いください。
それにつけても、ガラクマさんの娘さんのご友人の例は、うーん…と深く唸りますね。
地学の明日はいったいどうなるのでしょうか。
_ S.U ― 2015年01月14日 07時06分37秒
玉青様、ガラクマ様、
どうやら多数の(大半の?)高校で履修したくても履修できない、という状況になっているようですね。これは明らかに目に見える不都合な点だと思うのですが、どういう問題意識になっているんでしょうね。また、調査、ご議論、よろしくお願いします。
どうやら多数の(大半の?)高校で履修したくても履修できない、という状況になっているようですね。これは明らかに目に見える不都合な点だと思うのですが、どういう問題意識になっているんでしょうね。また、調査、ご議論、よろしくお願いします。
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その後、球面天文学、測量学、鉱山学、農林漁業の実用の用途は、一般からは廃れてしまいました。早い話が、つい50年ほど前まで、野外の仕事や夜道の移動の必要上、あるいは農林漁業、土木作業に、太陽の位置や本日の月齢や土壌についての知識が誰にも(ある部分は子どもにも)必要でした。それが今、梯子をはずすように抜けてしまい、現在の高校「地学基礎」は、このリベラル・アーツの骨と皮だけ残ったもののように感じます。考えてみると、今更、球面天文学、測量学、鉱山学が、専門家は別として、一般の実学にもリベラル・アーツにもならないことは明瞭なように思います。自然を観る手段の典型として、地学に新たな価値を創生しないといけないのかもしれません。そんなことを言っても意味のある結果が出るとは思えないので、どうしたものでしょうか。再び、宮沢賢治や野尻抱影にすがるしかないのでしょうか。