「星を売る店」のドアを開ける(5)…玩具の王国「汽車」編2015年06月28日 09時46分49秒

 店へはいってみると、花ガスの下の陳列箱の上に、おもちゃのレールに載った機関車と風車が置いてある。背をこちらに向けていた店員が、ふいな客の入来に泡をくって
「いらっしゃいませ」をやった。

さて、主人公はいよい店内に踏み込みます。

冒頭の「花ガス」というのは、辞書には「広告・装飾用のガス灯」とあって、要するにガス応用のネオンサインみたいなものらしいです。画像検索して、小林清親の明治錦絵にも、その場面があったのを思い出しました。

(イルミネーション(明治十年勧業博覧会瓦斯館之図)、出典:集英社版 『浮世絵体系12』)

本物のネオンサインについては、以前も話題にしましたが、日本での初点灯は1926年だそうで、さすがのハイカラ神戸でも、「星を売る店」発表時にはまだ存在しなかったことになります。

■ジョバンニが見た世界「時計屋」編(2)…ネオン灯
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/11/05/6189331

で、この「花ガス」について、「星店」再現にあたって一寸考えていることがあるのですが、それは後回しにして、その次に登場するモノに注目します。

   ★

「星店」になぜおもちゃの機関車と風車があるかといえば、「星店」は元々おもちゃ屋だったからです(この後の方に、「この汽車は以前扱っていたおもちゃの一つでございますが」云々という店員のセリフがあります)。

この辺の記述は、作品発表時(1923)の初期形態においていっそう詳しく、そこにはこんな描写があります。

 唐草模様のついたピンク色の壁紙が張られた六坪ばかりの店のなかには、花瓦斯にてらされた陳列箱の上に、オモチャの汽車と汽船が載っているじゃないか?その向うの戸棚にも、そんなふうな風車や、ビックリ箱のようなものや、絵本などがゴタゴタとつみ重って、その上に、私にはよめないドイツ語がならんだやはりそんなピストルや人形の広告らしい絵ビラがたくさんに下っている。それはハイカラな、しかしこの都会には格別めずらしくもない舶来の玩具店である事を証している。

なかなか愉しげな雰囲気ですが、あんまりゴタゴタさせると、肝心の「星」が目立たなくなってしまうので、作者としては大幅に削る必要を感じ、結果的に汽車と風車だけ残したのでしょう。

我が家の小さな「星店」にも、当然、汽車と風車のおもちゃがなければなりません。

(箱の大きさは約12×17cm)

「星店」の経営者は、別の箇所に「ドイツの東洋更紗商人」とあり、副業として玩具屋をやっていたとおぼしく、いきおい扱う商品もドイツ製が多いのでしょう。このおもちゃも1920年代のドイツ製ですが、表記が英語になっているのは、輸出仕様だからのようです。


箱絵は実に大がかりですが、これは完全に羊頭狗肉。中身は小さな円形レールセットと、機関車と客車1両のみです。

   ★

物語の中では、このおもちゃの汽車が、星の持つ不思議な力をまざまざと見せてくれます。

「こりゃ何です―いったい?」
 と私は、ぶっきら棒にガラス箱の中のコンペイ糖を指した。
「しばらくお待ち下さいませ」
 なんだか女性めく、若い、色の白い男がつくり声で云ってから、かれの背後の棚にピラミッド形につみ上げてある小箱を一つ取った。その中から出したゼラティン紙の包みを破ると、かれの手のひらに、心持青く見えるコンペイ糖が一箇ころげ出た。かれはそれをつまんで、円形のレールの上にある汽車を示した。

(線路の直径は約22cm。ごく小さなものですが、例のガラス棚には入らないので、風車のおもちゃと一緒に、これは棚の隣に並べて置くことにします。)

「この汽車のエントツの中へ、このものを入れてお眼にかけます。それッ!」
 とたんにピーと可愛らしい笛が鳴って、汽車が動き出した。
「たねも仕掛もございません。それにガラスの上に載っていますから電気がかようわけもありません。オッとどっこい!」
 だんだん
速力をまして、レールを外れそうになった機関車を店員は両手でうけ止めた。

(ここに星を入れると、とたんにピーと汽笛が鳴る…ことはありませんが、星ならぬゼンマイの力で勢いよく走り出します。そしてガタガタのレールをすぐに外れてしまいます。)


(この項つづく。次回は風車編)

コメント

_ S.U ― 2015年06月28日 12時16分27秒

 あぁ、「花ガス」というものがあったのですね。
 私は、今までこの単語を読み過ごしていました。「花ガス」は本物のネオンサインができるまでは、可燃性ガスを使っていたのだと思いますが、これは平たく言えば、今あるガスコンロの穴を花などの形に開けたものと考えて良いのでしょうか。

 でも、私が「花ガス」を読み飛ばしていたのにはレッキとした理由があって、私はその直前の行の

―― 一応問いただしておく必要があった。

という文章が酔いしれるほど大大好きでなのです。神戸にある新技術的なものは、何でもその正体を見極めておく必要がある、あっぱれな責任感ではありませんか!

_ 蛍以下 ― 2015年06月28日 15時56分02秒

100年近く前の玩具にしては保存状態が良さそうですね。
レールを直せたら、より一層楽しいのではないでしょうか。

_ geomet ― 2015年06月28日 18時15分50秒

 「星を売る店」の神戸編、ドア編と、心憎いばかりの展開の妙に、まさに固唾をのむようにしてその推移を見守っております。
 S.U. さんの「―― 一応問いただしておく必要があった」。ここは確かに、何とも言えないいい感じがありますね。しかし何なんでしょうね、これは。このよさを足穂愛読者以外の人に説明するのはかなりの難問かもしれません。しいて言えば、それまでの「おあつらえ向きの山ノ手の夏の夜」、つまり自分がかねて抱いていた理想通りの光景が次々に展開されていく中で、それらに翻弄されるがままに愉悦の境地にあった躁状態の「私」が、ここで、ン?、何だこれは、と我に返る、その気持ちの冷め具合の妙でしょうか。ここから物語的には全く違う世界が展開されるわけで、前後の二つの世界をつなぐジョイントがここにあるのですね。それはいわば、夢(眠っているときの)の中でいつの間にか場面が変わるときの感じに似ていなくもありません。そういえば、前半は寝入りばなから深く寝入っているときの夢、後半は目覚め前の夢、という雰囲気的な違いも感じます。それに加えて、数行の英文を読み、「――」と一瞬の戸惑いを挟みつつも、「一応問いただしておく必要があった」という雄々しい結論に至る「私」のキャラクターの好ましさ。迷いがなく、シンプルであり、しかしそれがちょっと極端なのでユーモラスな感じを伴う。
 ところで私も、本ブログの情報によって初めて「日本SF古典集成1」のことを知り、初掲載版「星の売る店」を目にする事ができました。chanson dada さんと玉青さん(と横田順彌さん)に深く感謝します。一読して、自分がこれまで親しんできた後の改訂版とのあまりの違いに驚かされるとともに、足穂における改訂という作業の持つ意味の大きさに今さらながらに気づかされた思いがします。この「―― 一応問いただしておく必要があった」の部分は、「と。よみあげて私は、さらにまぶたをパチクリとやった。(中略)『冗談じゃないぞ!』私は店のなかに飛び込んだ」となっていて、全然印象が異なりますね。

_ 玉青 ― 2015年06月29日 07時27分23秒

○S.Uさま、geometさま

いやあ、私が省略してしまった一行に、そこまで思い入れのある方々がいらっしゃったとは!たしかに、そのきっぱりした名調子、それによって意識の流れと場面が鮮やかに転換する妙は、実に小気味良いものがありますね。芝居でいえば、ちょうど拍子木が入って見得を切る場面でしょうか。「タルホ見巧者」の方々に、またまた見所を教えていただきました。(^J^)

(花ガスについてはS.Uさんの仰るような感じだと想像するのですが、実際のところはよく分かりません。可燃物だらけのところに、そんなボーボー焔が燃えていたら危なっかしい気もするのですが、何か安全策があったんでしょうかね。)

○蛍以下さま

ありがとうございます。このレールは材が軟らかいので、手で簡単にひねることができます。少し工夫すれば、もうちょっと何とかなりそうな気がしますが、でも調子に乗るとボキッといってしまうので、その辺は用心しいしいですね。

_ 野村 一紅 ― 2015年06月29日 23時57分34秒

こんにちは。
“星を売る店”に時空を超えて出会える幸せをお裾分けさせていただいております。
花ガスにつきましては、小平市にあります「がす資料館」で開館日は毎日数回、(復元品の)点灯実演を行なっております。
偶々、玉青さまがこの記事を書かれた昨日、現地に“ノエル・ヌエット展”を観に行っており、実演も拝見いたしました。近付けば確かに熱さを感じますが、それほどボーボーと焔が上がっているというものではなく、現代の感覚からしますといたって静かな感覚の装飾です。
ご参考になりましたら。

それでは、今後とも素敵な世界を愉しみにしております。

_ 玉青 ― 2015年06月30日 20時49分52秒

これはありがとうございます!
なるほど、ボーボーというよりは、「とろ火」ぐらいの感じですね。
当時の店舗装飾としての花ガスの実例については、引き続き調べてみようと思いますので、また何か情報がありましたら、ぜひよろしくお願いいたします。<(_ _)>

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