桐一葉 ― 2020年08月28日 22時11分55秒
今日、ひとつの時代が終わりました。
私にも惻隠の情はあれど、しかし、どれだけ悪事が露見しようが、人が死のうが、頑として辞めなかったのに、自分の健康状態が傾けばあっさり辞めるんだな…と、多少皮肉の混じった気持ちになるのを抑えがたかったです。そしてまた、それ以外に辞めさせることができなかったことに、少なからず苦いものも感じます。さらにまた、これですべてが水に流れるわけでもないと、これはきっぱり言っておかなければなりません。
ともあれ、ひとつの時代が終わりました。
この世の思い出に、私は引き続き人間社会の観察に励むつもりです。
今日も帰りの電車の中で、周りの人々の様子に気を配っていましたが、あまりにもいつもと変わらない様子だったので、逆に驚きました。世の中は私が思ったよりも頑健なのかもしれない…と、これは早速今日気づいたことです。
コメント
_ S.U ― 2020年08月29日 06時14分05秒
_ 玉青 ― 2020年08月29日 11時35分35秒
お返事が追いつきませんが、とりあえずこちらに。
意とするところを敷衍していただき、ありがとうございます。
安倍という人物の非行が今後どのように明らかになるのか、その前提として、とりあえず「次」に注目ですが、「総裁選 貫く棒のごときもの」ではお話になりませんから、そのプロセスを懈怠なく注視したいと思います。
意とするところを敷衍していただき、ありがとうございます。
安倍という人物の非行が今後どのように明らかになるのか、その前提として、とりあえず「次」に注目ですが、「総裁選 貫く棒のごときもの」ではお話になりませんから、そのプロセスを懈怠なく注視したいと思います。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
外部からの圧力だったらよくありませんが、実は病気はたいしたことはなく本人の反省と良心の呵責が大きいことを、私は多少なりとも期待したいと思います。まあ、病気の深刻さというのは、診断書から客観的に判断するものではなく、本人の受け止め方の自由度であるべきでしょうから、追及しても実効はないように思います。世の中の多数の人も、個人の病気についてはさておいて、世全体の秩序としては正常に復したと見ているので動揺は少ないのだと思います。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。まったくその通りで、人は憎みたくないものだと思います。しかし、この言葉は、罪を憎むことが大前提で、首相までした著名人の罪を忘れてしまうようでは話になりません。それを記録し調査し、出すところには出して追及し、後世まで執念深く検討して、ことあるごとに蒸し返せねばならないと思います。
それからもう一つ大事なことは、罪であることを知りながらも罪を憎まないような人たちに、後続の政治を任せてはいけないということだと思います。これまで彼らは「反省のない人たち」だと思っていましたが、単に反省に欠けるというレベルではなく、どうやら「罪を憎まない人」(悪人の側に分類される)ではないかと最近思えてきました。