非を難ずることの非を難じ…2022年03月20日 09時21分14秒

ロシアのウクライナ侵攻では、当然のことながら、ロシアを非難する声が圧倒的に大きいです。

それに対して、「じゃあアメリカのやってきたことはどうなんだ?フランスやイギリスがやってきたことは?その血まみれの手でテーブルを叩き、血まみれの口で正義を語っても、全然説得力がないじゃないか」という意見も耳にします。

趣旨は分かるし、その通りだとも思いますが、大切なのは、そのことでロシアが免責される余地はないということです。アメリカも他国も、非は非として非難されるべきだし、同様にロシアも非難されるべきです。

仮にロシアの行為が「三分の理」で正当化されるなら、アメリカや他国の行いも同様の理由で正当化されてしまうでしょう。それが許されないからこそ、上のような意見も出るわけで、ロシアを正当化することは、上の意見の論者の本意ではないはずです。

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ここで雑駁に「ロシア」とか「アメリカ」とか書きましたけれど、例えばロシアにしても、「ロシアという長い歴史をもった国」、「今のロシア共和国」、「時のプーチン政権」、「ロシアの市井の人々」…etc.を、概念的に区別しないといけません。

そこがボンヤリしていると、今回の件とは全然関係のない、在外ロシア料理店がならず者に襲われたりする、「坊主憎けりゃ」的な珍事件が起きたりもします。もちろん今非難されるべきは、プーチン政権であることは言うまでもありません。

あるいはまた、「中世にさかのぼれば、キエフはロシアと一体だったんだから、ロシアの行為を単純に侵略と言ってはいけない」とか、「ゼレンスキーも陰で悪辣なことをしているんだから、侵略されても文句は言えない」とか、これまた奇妙な言説をネットで目にしました。これも概念的な区別ができていない例ですね。

中世に一体だったからといって、現在の国境を武力で侵していい理由にはならないし、ゼレンスキー大統領が本当に悪辣かどうか私は知りませんが、仮に悪辣だとしても、それがウクライナの国を破壊し、ウクライナの人を犠牲にしてよいという理由にもなりません。まあ、当たり前といえば当たり前のことです。

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非を難ずることの非を難ずることの非を難じ…。

一応、自分としては正しいことを書いているつもりですが、私の論にもきっとどこかほころびはあるでしょう。非想非非想は知らず人間において、過ちを逃れることはとても難しいことです。でも、そのことを自覚していれば、多少は安全じゃないかと思ったりもします。

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