彗星ビール ― 2022年10月22日 19時15分37秒
昨日の話題から「彗星ビール」のラベルを話題にしたことを思い出しました。
で、紙物の整理帳を開いたら、上の2枚と同じところに、オランダの彗星ビールのラベルも綴じ込んであったので、そちらも登場させます。
左のラベルは、アムステルダムから40kmばかり東にあるアメルスフォールトの町で営業していた、クラーファー社の「コメット印のライトラガービール」、右は「コメット・ラガービール」とあるだけで、メーカー名は書かれていませんが、やはりクラーファー社のものかもしれません。時代ははっきりしませんが、いずれも石版刷りで、1930~50年代のものと思います。
この絵柄を見ると、いずれも彗星から白く伸びた尾が、ビールの泡立ちと重なるイメージで捉えられていたのかなあ…と想像します。彗星は頭部からサーッと尾を曳くし、ビール壜の口からは見事な泡が「It’s Sparkling」というわけです。
こうしてみると、コメットブランドのビールって、結構あちこちにありますね。
ひょっとして日本にもあるんじゃないか?と思って検索すると、果たして「赤い彗星」という発泡酒が、わりと最近売り出されたのを知りましたが、これはもちろんガンダムファン向けの品のようです。
★
以下余談。
エールとビールって何が違うんだろう?とよく思います。
思うたびに調べて、そのつど分かった気になるのですが、しばらくするとまた「エールとビールって何が違うんだろう?」と思います。やっぱり分かってないのでしょう。ネット情報のつまみ食いで恐縮ですが、今回は記憶の定着のために、ここに書いておきます。
改めて分かったのは、「エールとビールって何が違うんだろう?」というのは、そもそも変な質問であり、エールは紛れもなくビールの一種だということです。つまりビールの下位区分に「エール」と「ラガー」の2種があり、本当は「エールとラガーは何が違うんだろう?」と問わないといけないのでした。でも、今では「ビール」イコール「ラガー」と思っている人が、英語圏の人にも多いらしく、英語サイトにも「エールとビールは何が違うのか?」というページがたくさんあります。たぶん、両者を「エールビール」と「ラガービール」と言い分けると、その辺の誤解は少なくなるのでしょう。
では、エールとラガーの違い何かといえば、それはずばり製法の違いです。
エールは上面発酵で醸造期間が短く、ラガーは下面発酵で醸造期間が長いという違いがあり、それが自ずと風味の差を生み、芳醇なエールに対し、軽くのど越しのよいラガーという違いがあるのだ…というのが、話の結論です。
(昨日の記事を書く一助に、「English style ale」を謳う缶ビールを買ってきましたが、肌寒くて飲まずにおきました。今日は日中汗ばむほどだったので、芳醇なエールが美味しかったです。)
コメント
_ S.U ― 2022年10月23日 08時24分29秒
_ 玉青 ― 2022年10月23日 12時53分21秒
コメット・ヴィンテージの濫觴はよく分からないのですが、どうも1811年以前には例がないらしく(パッと検索した範囲では見つかりませんでした)、やっぱりハレー彗星の回帰性が確認されて以降の観念のようです。
そして、彗星が凶兆でなくなったのは、まさにハレーの功績だと思います。人々が彗星を恐れたのは、それが予測できない出来事だからであり、だからこそ、そこに天意を読み取ったのだと思いますが、それが惑星同様の存在であり、その出現が予測可能なものになれば、何も恐れる必要はないからです。
まあ、彗星が地上に及ぼす不思議な影響力を認める点で、コメット・ヴィンテージを言いはやした人は、彗星を恐れた前代の人とあまり変わらない気もするんですが、一方的に恐れおののくのではなく、何となくカジュアルな存在として、余裕をもって彗星と対峙できたのは、やはり時代の変化なのでしょう。
+
ときにコメントの後段を拝見し、大いに膝を打ちました。
それは、以下のやりとりをパッと思い出したからです。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/05/15/8560254
この5年前のコメント欄では、さらに4年前のやりとりについて言及されており、仔細に見ると、前回と今回の間隔が5年5か月、前回と前々回のそれが4年4か月と、かなり摂動の影響が大きいようですが、ほぼ5年弱の周期で、この話題は回帰していることが推測されます。その都度話題は深化しているようでもあり、ビールとワインの周辺にとどまっているようでもあり、なかなか評価は難しいですが、次回はおそらく2027年あたりでしょうかね(笑)。
(業務連絡になりますが、英国側への連絡の件、何卒よろしくお願いいたします。)
そして、彗星が凶兆でなくなったのは、まさにハレーの功績だと思います。人々が彗星を恐れたのは、それが予測できない出来事だからであり、だからこそ、そこに天意を読み取ったのだと思いますが、それが惑星同様の存在であり、その出現が予測可能なものになれば、何も恐れる必要はないからです。
まあ、彗星が地上に及ぼす不思議な影響力を認める点で、コメット・ヴィンテージを言いはやした人は、彗星を恐れた前代の人とあまり変わらない気もするんですが、一方的に恐れおののくのではなく、何となくカジュアルな存在として、余裕をもって彗星と対峙できたのは、やはり時代の変化なのでしょう。
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ときにコメントの後段を拝見し、大いに膝を打ちました。
それは、以下のやりとりをパッと思い出したからです。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/05/15/8560254
この5年前のコメント欄では、さらに4年前のやりとりについて言及されており、仔細に見ると、前回と今回の間隔が5年5か月、前回と前々回のそれが4年4か月と、かなり摂動の影響が大きいようですが、ほぼ5年弱の周期で、この話題は回帰していることが推測されます。その都度話題は深化しているようでもあり、ビールとワインの周辺にとどまっているようでもあり、なかなか評価は難しいですが、次回はおそらく2027年あたりでしょうかね(笑)。
(業務連絡になりますが、英国側への連絡の件、何卒よろしくお願いいたします。)
_ S.U ― 2022年10月23日 17時02分56秒
コメント・ヴィンテージのお調べありがとうございました。
案外新しいのですね。ハリーさんのもたらした、新しい科学知識に乾杯申し上げたい気分です。
この彗星を「凶兆」と見る歴史的な因習については、ずっと気になっており、あるいは彗星ファンとして、心を痛めているものです。何らかの周期性を持って議論させていただいていることの詳細は、すっぽりと私の記憶からは抜け落ちております。繰り言は、深化の可能性の一過程とご容赦いただき、それでも今回も、おかげさまで(おそらくは)新しい視点をご指摘できるということになると思います。
それは、彗星を「凶兆」あるいは「吉兆」とみるのは、非専門家の民間人だけで、古今東西を問わず、天のことを知っている知識人や占星術の専門家は、昔からいちように天の仕事の「結果」とみていたのではないかということです。
今の例でいきますと、民間ではハリーさんが新科学理論を発見しますと、彗星凶兆説はあっさり捨てられるわけです。その程度の信念の知識なのです。しかし、占星術には、ホロスコープというものがありまして、あるいは東洋には暦註や八卦や四柱推命というものがあって、ずっと昔から周期性がすでに完全に知られている日月惑星の動きで占いが成立し、現在に至るまで行われているという事実があります。専門家は、惑星の周期性には、ビビらないわけです。周期性があるということは、原理的には未来にわたって計算可能、決定済事項ということですから、そこに「天意」による予言も自由度もあるはずはなく、単に古来の天の法則の結果ということになります。結局、占星術師がやっていることは、昔からどこでも、天の法則の適用を天体の動きという理論と現象を媒介にして、人間界の事象に応用しているだけで、いわば、共通の法則の「異なる派生」をみているに過ぎないことにならないでしょうか。
ただ、彗星や客星は、古くは予報不可能だったので、占星術師がどう考えたのかは私にはわかりません。何らかの学説があったにしても、確固とした占いの方法論はなかったでしょう。しかし、惑星の動きが天の仕事の結果である以上、彗星や客星も天の何らかのコントロール下にある同様のものであるはずで、彗星が凶兆であったり吉兆であったり、現政権を批判しているとみたりするのは、いずれも、素人民間人のための俗流に迎合した「方便」のようなのかもしれません。もっとも、専門の知識人といえども、方便を駆使して口に糊しておれば、何が方便だか原理だかわからなくなる人もあるでしょう。
ここまで切り分けをするとスッパリやり過ぎの気分もしますが、少なくとも方便として、こちらのほうが説明がわかりやすい気がしてきました。
案外新しいのですね。ハリーさんのもたらした、新しい科学知識に乾杯申し上げたい気分です。
この彗星を「凶兆」と見る歴史的な因習については、ずっと気になっており、あるいは彗星ファンとして、心を痛めているものです。何らかの周期性を持って議論させていただいていることの詳細は、すっぽりと私の記憶からは抜け落ちております。繰り言は、深化の可能性の一過程とご容赦いただき、それでも今回も、おかげさまで(おそらくは)新しい視点をご指摘できるということになると思います。
それは、彗星を「凶兆」あるいは「吉兆」とみるのは、非専門家の民間人だけで、古今東西を問わず、天のことを知っている知識人や占星術の専門家は、昔からいちように天の仕事の「結果」とみていたのではないかということです。
今の例でいきますと、民間ではハリーさんが新科学理論を発見しますと、彗星凶兆説はあっさり捨てられるわけです。その程度の信念の知識なのです。しかし、占星術には、ホロスコープというものがありまして、あるいは東洋には暦註や八卦や四柱推命というものがあって、ずっと昔から周期性がすでに完全に知られている日月惑星の動きで占いが成立し、現在に至るまで行われているという事実があります。専門家は、惑星の周期性には、ビビらないわけです。周期性があるということは、原理的には未来にわたって計算可能、決定済事項ということですから、そこに「天意」による予言も自由度もあるはずはなく、単に古来の天の法則の結果ということになります。結局、占星術師がやっていることは、昔からどこでも、天の法則の適用を天体の動きという理論と現象を媒介にして、人間界の事象に応用しているだけで、いわば、共通の法則の「異なる派生」をみているに過ぎないことにならないでしょうか。
ただ、彗星や客星は、古くは予報不可能だったので、占星術師がどう考えたのかは私にはわかりません。何らかの学説があったにしても、確固とした占いの方法論はなかったでしょう。しかし、惑星の動きが天の仕事の結果である以上、彗星や客星も天の何らかのコントロール下にある同様のものであるはずで、彗星が凶兆であったり吉兆であったり、現政権を批判しているとみたりするのは、いずれも、素人民間人のための俗流に迎合した「方便」のようなのかもしれません。もっとも、専門の知識人といえども、方便を駆使して口に糊しておれば、何が方便だか原理だかわからなくなる人もあるでしょう。
ここまで切り分けをするとスッパリやり過ぎの気分もしますが、少なくとも方便として、こちらのほうが説明がわかりやすい気がしてきました。
_ 玉青 ― 2022年10月24日 06時39分27秒
この辺は、まず東アジア(中国文化圏)と西方世界(ヘレニズム文化圏、後のキリスト教世界とイスラム世界)を分けて考える必要がありそうですね。
大雑把にいうと、前者では彗星は立派な「客星」扱いで、その「天変占星術」の体系にしっかり組み込まれていたのに対し、後者ではアリストテレスの権威によって、彗星は単なる気象現象とみなされ、彼らの「宿命占星術(ホロスコープ占星術)」の体系に入り込む余地はなかった…という違いがあるかと思います。
S.Uさんが今回問題にされたのは、もっぱら前者の話でしょうか?(コメントを拝読しながら、そこがちょっと難しく感じました。)
とはいえ、東アジア世界にしろ、西方世界にしろ、それぞれ上記のような「オフィシャルな学」としての天文学・占星学がある一方、他方には素朴な民間信仰もあり、それに応じて世の占星術師にも、当時の文化的指導者もいれば、同時代人からも「迷信の徒」と切って捨てられるような怪しいまじない師もおり、それらが複雑に絡み合って、その時代の「星の文化」を形作っていたので、なかなかこの問題(彗星の解釈)をクリアに論ずるのは手強い感じです(見る角度によって、見えるものもだいぶ異なりそうです)。
結局、S.Uさんのコメントに対して何のお答えにもなっていませんが、現時点での所感を記しました。
大雑把にいうと、前者では彗星は立派な「客星」扱いで、その「天変占星術」の体系にしっかり組み込まれていたのに対し、後者ではアリストテレスの権威によって、彗星は単なる気象現象とみなされ、彼らの「宿命占星術(ホロスコープ占星術)」の体系に入り込む余地はなかった…という違いがあるかと思います。
S.Uさんが今回問題にされたのは、もっぱら前者の話でしょうか?(コメントを拝読しながら、そこがちょっと難しく感じました。)
とはいえ、東アジア世界にしろ、西方世界にしろ、それぞれ上記のような「オフィシャルな学」としての天文学・占星学がある一方、他方には素朴な民間信仰もあり、それに応じて世の占星術師にも、当時の文化的指導者もいれば、同時代人からも「迷信の徒」と切って捨てられるような怪しいまじない師もおり、それらが複雑に絡み合って、その時代の「星の文化」を形作っていたので、なかなかこの問題(彗星の解釈)をクリアに論ずるのは手強い感じです(見る角度によって、見えるものもだいぶ異なりそうです)。
結局、S.Uさんのコメントに対して何のお答えにもなっていませんが、現時点での所感を記しました。
_ S.U ― 2022年10月24日 08時25分52秒
コメントありがとうございます。
まいどまいど、書き方が不十分で、しかも回帰ごとに視点が微妙に変わっていて(変わっていないこともありますが)、ご面倒をおかけします。
おっしゃるとおり、彗星は近代以前の西洋では「気象現象」でしたが、ここでは天文も気象も敢えて区別せず、すべて広義の「天変」であると捉え、それはすべて「天の法則の結果」ではないかと捉えてみたものです。彗星がホロスコープの宿命に載らないことはその通りですが、西洋の占星術師も、彗星出現の報を聞けば、たとえ干ばつや疫病流行と同じレベルであっても、何らかの占い解釈を試みたものと思います。その時に、彗星の正体や性質は未知としても、その発生の根本原理が法則なのか自由意志なのか? に思いをはせたと思います。
天に自由意志があるのかどうかはわかりませんが(神に心があればそれはあるのでしょう)、ここでは、天が自由意志を自然界に表現することがあるのかという、学問的体系中に絞った自然哲学的問いと取っていただきたく思います。とりあえず、神様の心情にすがる民衆信仰レベルでは、神の意志が自然現象に現れることは日常的に自明と思いますので、今回はそこは問いません。
自由意志は決定論の裏返しであり、古来より、哲学、神学、近代では量子力学(今年度のノーベル物理学賞になりました)で議論されてきた問題に関わるものと思います。そのような、東西を問わず、古来の哲学、神学の諸流派の多数派あるいは最大公約数的なところを考えたつもりです。まずは、キリスト教神学を勉強すればとっかかりがわかると思うのですが、それすら、なかなか的確に正しい答えを勉強するのは容易ではないように思います。
まいどまいど、書き方が不十分で、しかも回帰ごとに視点が微妙に変わっていて(変わっていないこともありますが)、ご面倒をおかけします。
おっしゃるとおり、彗星は近代以前の西洋では「気象現象」でしたが、ここでは天文も気象も敢えて区別せず、すべて広義の「天変」であると捉え、それはすべて「天の法則の結果」ではないかと捉えてみたものです。彗星がホロスコープの宿命に載らないことはその通りですが、西洋の占星術師も、彗星出現の報を聞けば、たとえ干ばつや疫病流行と同じレベルであっても、何らかの占い解釈を試みたものと思います。その時に、彗星の正体や性質は未知としても、その発生の根本原理が法則なのか自由意志なのか? に思いをはせたと思います。
天に自由意志があるのかどうかはわかりませんが(神に心があればそれはあるのでしょう)、ここでは、天が自由意志を自然界に表現することがあるのかという、学問的体系中に絞った自然哲学的問いと取っていただきたく思います。とりあえず、神様の心情にすがる民衆信仰レベルでは、神の意志が自然現象に現れることは日常的に自明と思いますので、今回はそこは問いません。
自由意志は決定論の裏返しであり、古来より、哲学、神学、近代では量子力学(今年度のノーベル物理学賞になりました)で議論されてきた問題に関わるものと思います。そのような、東西を問わず、古来の哲学、神学の諸流派の多数派あるいは最大公約数的なところを考えたつもりです。まずは、キリスト教神学を勉強すればとっかかりがわかると思うのですが、それすら、なかなか的確に正しい答えを勉強するのは容易ではないように思います。
_ 玉青 ― 2022年10月24日 21時00分35秒
むむむ…どうやら今回は(今回も)手に余る感じがしてきたので、どうか芳醇なエールに免じて、この件はそろそろ語り納めといたしましょう。何とか次回の回帰までには、見通しを持てるようにしたいと思います。
ときに英国へのご連絡ありがとうございました!引き続きよろしくお願いいたします。
ときに英国へのご連絡ありがとうございました!引き続きよろしくお願いいたします。
_ S.U ― 2022年10月25日 08時30分26秒
ちょっと勇み足の試論ですので、エールの熟成を何度かご確認ののち、またご一考いただければありがたく存じます。
なお、キリスト教には、確かに天意を伝える人がいて、預言者(予言者とは区別されるというのが標準的な解釈です)と呼ばれていますね。これは単なる職業技術のレベルではなく、天の使命を受けた人として聖書に載ったり聖人に列せられるレベルと思いますので、占星術師とはまったく異なると思います。
なお、キリスト教には、確かに天意を伝える人がいて、預言者(予言者とは区別されるというのが標準的な解釈です)と呼ばれていますね。これは単なる職業技術のレベルではなく、天の使命を受けた人として聖書に載ったり聖人に列せられるレベルと思いますので、占星術師とはまったく異なると思います。
_ 玉青 ― 2022年10月29日 08時22分02秒
何でもビールのうちには、ワインのように、年単位で熟成させて味わう種類もあるとのことですから、ぜひそんな塩梅でコクを深めて、再度テイスティングすることにいたしましょう。
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泡を彗星の尾とみる点については、ワインよりビールに長がありそうです。
日本の古来に、発泡酒があったかどうかは存じませんが、彗星の和名として「稲星」「穂垂れ星」「豊年星」という穀物に由来する目出度い名前があるので泡でなくても讃える気持ちは通じるように思います。
さて、西洋で、彗星に悪いイメージがなくなったのは、エドモンド・ハリーさんの周期性の発見がきっかでそれ以後なのでしょうか。それとも、彗星ワインという売り出しはハリー以前(1758年以前)からあったのでしょうか。
ちなみに、西洋天文学が広まる以前の昔の日本ではどうだったかというと微妙で、私見では、少なくとも彗星出現は一般的には「凶事の前兆」というものではなかったのではないかと思います。もちろん、占星術師が個別にそのような判断を下すことはあったと思いますが。もうちょっと広い現実的な見方で、何らかの因果の結果として、天にそのような状況が生じたとみたのだと思います。