暦の歴史を振り返る ― 2023年04月16日 10時17分36秒
暦の作成には古来、大きな難所がありました。
それは太陽が示すサイクルと、月が示すサイクルがどうにも噛み合わず、両者を整合させた暦がどうしても作れなかったことです。
農事の基礎となる季節の循環は、基本的に太陽のサイクルで考える必要がありました。でも、暦を作る立場からすれば、月の満ち欠けを基準にしたほうがはるかに簡単でしたし、実際、その方が月明かりや、潮の干満に生活を支配されていた人々には、実用的でもあったのです。
この2つのサイクルを不都合なく両立させるために、昔から多くの人が知恵を絞り、「太陰太陽暦」という折衷案を採用した国も多くありました。もちろん日本もその一つです。
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夜が明ければ新しい一日が訪れ、日が重なれば季節はめぐり、やがて新しい年がやってくる…そういう意味で、我々は円環構造をした時の流れを生きています。
しかし同時に、過ぎ去ったときは二度と帰らず、赤ん坊は若者になり、若者は老い、やがて死んでいきます。宇宙もまた生成から衰退に至る道をたどり、いずれは無に帰すことを多くの神話が語り、現代の宇宙論もそれを支持しています。その意味で、時の矢は常に一方向に容赦なく飛んでいくものです。
暦学はもっぱら暦作成の技術を説くテクニカルな学問ですが、そこで生まれた暦は、上記のような多義的な「時」を表現するものとして、単なる参照ツールを超えた、人々のさまざまな思いがこもった存在です。そして、同じことは暦のみならず時計についても言えます。
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…というような、暦と時をめぐる人々の歴史を、美しく、印象的に表現しているページを、天文学史のメーリングリストで教えてもらいました。
■Jason Farago
Searching for Lost Time in the World’s Most Beautiful Calendar
(世界で一番美しい暦のうちに、失われた時を求めて)
2023年4月14日公開
https://tinyurl.com/yckb4rkv
Searching for Lost Time in the World’s Most Beautiful Calendar
(世界で一番美しい暦のうちに、失われた時を求めて)
2023年4月14日公開
https://tinyurl.com/yckb4rkv
15世紀に制作された『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』をメインに据えて、他にも多くの図版とともに、人々が時の流れとどう向き合ってきたか、その歴史を縦スクロールの動的画面を使って簡潔な、そして詩的な文章で説いています。
この問題に関心のある方は、ご一読されることをお勧めします。
さまざまな思索と感慨を誘われる内容です。
パブ 「THE ASTRONOMER」 ― 2023年01月09日 13時38分45秒
ロンドンの中心部に、「ジ・アストロノマー」というパブがあります。
公式サイトは「ガリレオと飲もう」と誘いかけていて、大いにそれっぽい感じです。
看板を見ると「1990年創立」とありますが、こちらのサイトの説明によれば、以前は「ザ・シューティングスター」という名前だったのが、2016年に経営者が替わって以来、今の店名になったんだそうです。
テーブルに付くと、さっそく「ガリレオパイ」や「ケプラープディング」、あるいは「彗星トニック」や「銀河エール」が出てくると楽しいのですが(日本で同様の店ができたら、きっとそうなりますよね)、どうもメニューに関しては、普通のパブと大差ないようです。
ただ、インテリアに天文関連の品があしらってあるのと、「ハッブルルーム」と称する部屋にいくつも設けたアルコーブに、それぞれ天文学者の名前が付けられているのが、天文好きには嬉しい工夫です。
以下はGoogleマップの360度ツアーへのリンクが張られたページ。
当面ロンドンに行く予定はないし、仮に行ったとしても、わざわざ足を運ぶかどうかは分かりませんが、でもそこに行けばこういう店があって、今日も人々がグラスを傾けて談笑しているんだろうなあ…と想像するのは楽しいことです。
(ストリートビューで、周りの雰囲気も写し込むとこんな感じです)
天文趣味史を究める人々(後編) ― 2022年03月21日 06時55分39秒
天文趣味の歴史を追究して、大いなる深みに達しているもう一つのサイト。
それはこのブログに折に触れてコメントをいただき、そのたびに強い衝撃を受けた、HN「double_cluster」さんのブログ、「中村鏡とクック25cm屈折望遠鏡」です。
■中村鏡とクック25cm屈折望遠鏡
アーカイブをさかのぼると、double_clusterさんが、このブログを開設されたのは2018年のことです。そこにはさらに前史があって、それはブログの紹介文に書かれています。ここに内容を引用させていただきます。
「2016年3月、1943年製の15cm反射経緯台を購入しました。ミラーの裏面を見ると、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きた熱き天文家達の活躍の足跡を、同時期に製造された、クック望遠鏡の話題と共にお送りします。」
戦前の京都で活躍した天文家・中村要氏(なかむらかなめ 1904-1932)。そして大正12(1923)年、神戸海洋気象台に設置され、後に神戸市立青少年科学館に移設されたクック製25センチ屈折望遠鏡。――この両者にまつわる話題と、そこからさらに発展して、両者と同時代を生きた天文家たち(主に戦前の関西で活躍したアマチュアの方が多いです)の史伝を、貴重な生資料とともに詳述しているサイト、それがこの「中村鏡とクック25cm屈折望遠鏡」なのです。
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最近、コメント欄でdouble_clusterさんからお知らせいただいたのは、私が「貧窮スターゲイザー」と呼んだ、草場修氏(1898?-1948)の天文ライフの一端を伝える、鮮明な写真の数々についてで、それを拝見して、私は本当に言葉にならないぐらい驚きました。
■草場 修氏
■第3回合同ハイキング
草場氏については私も随分気にして、自分なりに調べたことを、このブログでも書きました。あるいは中村要氏のことや、神戸のクック望遠鏡のことも、過去の記事で取り上げたことがあります。
しかし、double_clusterさんの記事は、それとはレベルが全然違います。
私が書いているものは、要はウィキペディアをはじめとする2次資料のつまみ食いに過ぎませんが、double_clusterさんの記事は、ほぼすべてが第一級の1次資料に基づくものです。それによって生み出される人物像のリアルなことと言ったら…!まさに彼らが今ここにいて、肉声で語りかけてくるような感じがあります。この辺が「にわか」と本格派との間にある、越えられない一線なのでしょう。
double_clusterさんが現在進めているお仕事は、もちろん私ひとりが手を叩いて喜べばいいという類のものではなくて、これまで茫洋としていた初期の日本アマチュア天文史に明瞭な道筋をつけていく地道で貴重な作業として、文化史的にも評価されねばならないと考えます。どうか今後も永くブログが続きますように。
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昨日の児玉さんといい、double_clusterさんといい、素晴らしい人々との出会いのきっかけが得られたことは、ブログの「徳」のひとつに違いなく、拙いながらもこうして続けていて本当に良かったと思います。
天文趣味史を究める人々(前編) ― 2022年03月20日 09時49分38秒
「にわか」という一種のネットスラングがあります。
「新参者」という意味合いから派生して、付け焼刃というか、半可通というか、薄っぺらい知識で知ったかぶりする人をネガティブにいう言葉のようです。
そういう意味でいうと、この「天文古玩」はまさに「にわか」に違いありません。
まあ、15年以上も同じようなことを書き続けて、にわかも何もない気もしますが、付け焼刃で、半可通で、知ったかぶりというのは、まさにその通りです。しかも、何年経ってもその状態を脱却できないとしたら、本来の「にわか」よりも、状況はもっと悪いかもしれません。
その原因はいろいろあるんでしょうが、根気のなさがやっぱり最大の原因かと思います。自分は何をするにも、とことん突き詰めるエネルギーに欠ける中途半端さがあって、永遠のにわかから抜け出ることができません。これは私という人間の性分なので、今さら反省してどうにかなるものでもなく、正直諦めていますが、そこに一抹の寂しさもあります。
★
いきなり自分語りを始めてしまいましたが、エネルギッシュで、本格的で、深く透徹した、まさに「にわか」の対極にあるような方々を拝見するたびに、自分に欠けているものを強く意識します。そして賛嘆の思いが胸の底から湧いて出ます。
このブログでは「天文趣味史」の話題をたびたび取り上げていますが、そんな付け焼刃とはレベルが違う、本格派のサイトを2つご紹介します。
★
1つは、プラネタリウムメーカーの五藤光学のサイト「ドームなび」で、児玉光義さんが2013年7月から連載中のコラム「星夜の逸品」です。
■連載:星夜の逸品
児玉さんは五藤光学の社員として、長くプラネタリウム開発の中心にいらした方で、その傍ら、戦前・戦後の日本の天文界のあれこれ――望遠鏡史、観測史、プラネタリウム史等――を研究され、このコラムはその一端をまとめられたものです。(そのご経歴から、昨日の平野光雄氏を図らずも連想しました。)
その徹底ぶりは、何よりも記述密度の高さに現れています。
例えば、今年の1月に始まった最新の連載テーマは「異色の天文学者・山崎正光~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~」というものですが、最新の連載第10回は、「第一部 No.1 10/13」と銘打たれています。つまり、山崎正光という異能の学者を語るのに、今はまだ「第一部」の、そのまた「No.1」の、さらにその途中(全13回の第10回)に過ぎないというのです。
これに限りません。これまでの連載テーマの一端を挙げれば(各連載第1回にリンク)、
…等々、いずれもこれまであまり知られていなかった事柄について、一次資料を博捜してまとめられた濃密なものばかりです。こういう方を真の趣味人とお呼びすべきなのでしょう。まさに「にわか」の対極です。
★
児玉さんには、一度だけお目にかかったことがあります。
そればかりでなく、ご自宅までお邪魔して、その宝物庫のような資料の山を拝見し、そこで同好の方々と存分に愉しいひと時を過ごすという、今の世情を考えると、夢のような経験をさせていただきました(そのことは以下でちらりと書きました)。
■レンズの向こうには星があり、夢があった
早くあのような自由が戻ってくること、そして私の「にわか体質」が改まることはないにしろ、そこで再びプラスの刺激を受けることを願わずにおれません。
(ここで記事を割って、もう1つのサイトは次回ご紹介します)
ヴィクトリア時代のプレパラート標本 ― 2021年02月28日 14時52分57秒
顕微鏡趣味の世界も奥が深いです。
そういう世界に生きる人を指す「microscopist」という言葉があって、ふつうに「顕微鏡愛好家」と訳せばいいのでしょうが、もっとニュアンスを出せば「顕微鏡マニア」や「顕微鏡オタク」です。
マイクロスコーピストの中には、最新の機材でバリバリ極微の世界を覗き見る人もいるし、アンティーク顕微鏡を愛でることに特化している人もいます。さらにそこから派生して、アンティークのプレパラート標本をコレクションする人もいます。鉄道ファンと同じで、顕微鏡趣味も一つの根っこから、いろいろニッチな趣味が派生しているわけです。この辺は、私のように漫然と古い理科趣味や博物趣味を愛好する程度のゆるいファンには、到底うかがい知れぬディープな世界です。
イギリスには「クケット顕微鏡クラブ」という、1865年創立の伝統ある団体があって、そのWEBサイトを見れば、顕微鏡趣味の奥深さの一端を感じ取ることができます。
■The Quekett Microscopical Club
(クラブのホームページ)
■Antique microscopes and slides
(同・アンティーク顕微鏡のページ)
■Historical Makers of Microscopes and Microscope Slides
(上からリンクを張られたアンティーク・プレパラート情報の豊富な個人サイト)
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手元にずいぶん前に買った、古いプレパラート標本の木箱入りセットがあります。
何でもかんでも形から入ればいいというものでもありませんが、こういう風情に強く惹かれる自分がいます。野外で虫を追い、貝を拾い、シダ植物を掘り、真鍮の顕微鏡を熱心に覗きこんだ、ヴィクトリア時代の人々の面影。昔の博物趣味の香気…。
とはいえ、これを買った当時の気分を、実は私自身ちょっと思い出しにくくなっています。そして、それを思い出そうとして、15年前に自分が書いた文章を読み返すと、そこにもある種の深い感慨が伴います。大人になってからの15年間は、そんなに長い時間ではないと思っていましたが、やっぱり15年には15年の重みがあります。あの頃は今より元気で、子供たちも小さく、人との出会いがあり、モノとの出会いがあり、それに一喜一憂し…。
そう、ここには二つの思いが重なっているのです。
ヴィクトリア時代の博物趣味への懐旧と、ゼロ年代を生きた私自身のライフヒストリーへの懐旧が。
まあ、こういうのは他の人にはどうでもよいことでしょう。どうでもよいというか、私には私の物語があり、他の人には他の人の物語があり、皆が互いにそれを尊重することが大事なのでしょう。
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話が横滑りしましたが、既にその歴史の1割ぐらいを我が家で過ごした、古いプレパラート標本を久しぶりにのぞき込んで、新たな気分でその風情を楽しもうと思います。
(この項つづく)
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【余談】
ところで、日本語の「プレパラート」のことを、英語ではシンプルに「microscope slide」と呼びます。日本語の方はドイツ語の「Präparat」から来ているそうですが、これは英語の「prepartion」と同義で、文字通りの意味は「準備」です。何の準備かといえば、材料を薄片にしたり、染色したり、カバーグラスの下に封入したり…つまり顕微鏡観察の準備です。
したがって、そうした準備作業の結果でき上った標本までも「プレパラート」と呼ぶのは本来変なのですが、日本では慣用的にそう呼ぶようです。(「プレパラート標本」と呼ぶ方が一層適切だと思いますが、それでも「赤血球のプレパラート標本を作る」というと、「馬から落ちて落馬する」的な冗長表現に感じられます。「赤血球の標本をプレパラートする」というのが、たぶん最も正しい言い方だと思いますが、あまりそうは言わないようです。)
暦メモ ― 2020年09月06日 20時00分02秒
暦について考える際の参考リンクをメモしておきます。
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暦の話題は、単なるカレンダーという出版物にとどまらず、もっとはるかに大きな――たぶん私が思っているよりもさらに大きな――話題で、人間と時間をめぐる歴史のすべてにかかわってくるはずです。
日本は暦の後発地域で、大陸や半島から暦学が伝わってから、まだ千数百年といったところですが、それでも暦をめぐる話題は尽きません。そういう大きなテーマを、ナショナル・ギャラリーのレベルでは、どこで取り扱うべきなのか?
もちろん編暦を一手につかさどる国立天文台は、現代の土御門家みたいなものですから、暦学の歴史については詳しいです。
したがって、上のページで明らかなように、暦に焦点を当てた企画展も多いです。たとえば、2016~17年にかけて行われた「二十四節気と暦」をはじめ、「月と暦」、「渋川春海と『天地明察』」(その1、その2、その3)…等々。
さらに、科学史全般を扱う国立科学博物館でも、暦に関する資料をせっせと収集し、展観しています。
上のページは、「理工」分野で「暦」をキーワードに検索した結果一覧です。
今日現在でヒットするのは42件。暦とはダイレクトに関係なさそうな品も表示されていますが、多くは天体観測や、測地・計時に関する品で、暦をめぐる科学の広がりを知ることができます。
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ところで、今日気が付いたのですが、国立国会図書館もまた非常に充実した、暦に関する特設ページを設けていました。
■日本の暦
ビジュアル的にも凝った、見て楽しい内容で、国会図書館は、書物に関することは何でも扱うとはいえ、暦本という特殊な出版物に、これほど力を入れていたとは意外でした。担当者の熱意に打たれると同時に、大変頼もしい気がしました(最近、文化行政の退潮が著しく、やらなくて済むことはやらないのがデフォルト化していますから)。
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そんなこんなで、暦については引き続き関心を向けていこうと思います。
天文アンティークの広大な世界 ― 2019年03月11日 22時02分45秒
3.11。今日は職場に弔旗が掲げられました。朝からの雨も上がり、薄日に照らされて、ポールの先で黒い布きれが揺れているのを窓越しに眺めていたら、窓に一匹のカゲロウが止まっているのに気づきました。それは命の儚さの象徴であり、刹那に「ああ、結局誰もかれも、みな死んでしまうんだなあ…」と思いましたが、でも風に吹き飛ばされないよう、ガラスに必死にしがみついているその姿を見るにつけ、「それにしたって、やっぱりこうして生きていくしかないんだな…」とも同時に思いました。
★
さて、天文アンティークを取り上げて間口が広い…というと、この「天文古玩」もそうですが、それ以上に間口の広いところは当然たくさんあって、やっぱり世間は広いです。
たとえば、「History of Astronomy」(@ HistAstro)というツイッターアカウントが、その一例。フォロアー数2万を超える有名どころですから、ご存知の方も多いでしょう。
アカウントの主はVoula Saridakisさんという女性で、本業はシカゴのサイエンス・インダストリー博物館で学芸員をされている方です。
プロフィール欄に「Multidisciplinary & multicultural history of astronomy」とあるとおり、さまざまな分野・地域・文化を往来しながら、天文学史のあらゆる事象を取り上げているアカウントです。2015年3月の開設以来、この4年間でツイート数は1万を超え、まあ日常瑣事をつぶやくだけなら、いくらでもツイート数は伸びますけれど、すべて中身のある話題で、このツイート数はすごいです。
私がサリダキスさん(ちょっと変わった姓ですが、ギリシャ系かも)のツイートに、一方的に親近感を覚えるのは、彼女がやっぱりモノに強く惹かれているように見えるからです。これは学芸員という仕事柄もあるでしょうし、ツイッターという媒体の特性にも因るのでしょうが、サリダキスさんが天文学史の話題を語るとき、そこには常に形あるモノが伴っています。ですから、そのツイートをさかのぼれば、広義の天文アンティーク総まくりに近く、これは好きな人にとって実に頼もしく、且つありがたい話です。
★
ちょうど一昨日がアカウント開設4周年で、それを記念して、直近1年間の「トップ10ツイート」が発表されていました。その顔ぶれは以下のとおり。
1 金・赤・青で彩色された、15世紀の医師の懐中暦に描かれた食現象のダイアグラム
2 サクロボスコ著『コンプトゥス』に描かれた月相図(1230~1399年)
3 ジャン・マルティノ作の天球儀(1609年)
4 医神アスクレピオスの胸像を刻んだビザンツのホロスコープリング(4世紀)
5 「賢者の石」の異なる錬成段階に適合した占星図(15世紀)
6 真鍮球に銀で星を象嵌したインド-ペルシャ製天球儀(1700年頃)
7 ドイツのロストックに立つ聖マリア教会の天文時計
8 紀元前190年3月14日の日食を記録した楔形文字粘土板
9 アルカズヴィーニ著『創造の驚異』(16世紀の写本)に収められた、擬人化された太陽・月・惑星
10 12世紀英国の『アストロラーベ論』に描かれた12星座のダイアグラム
2 サクロボスコ著『コンプトゥス』に描かれた月相図(1230~1399年)
3 ジャン・マルティノ作の天球儀(1609年)
4 医神アスクレピオスの胸像を刻んだビザンツのホロスコープリング(4世紀)
5 「賢者の石」の異なる錬成段階に適合した占星図(15世紀)
6 真鍮球に銀で星を象嵌したインド-ペルシャ製天球儀(1700年頃)
7 ドイツのロストックに立つ聖マリア教会の天文時計
8 紀元前190年3月14日の日食を記録した楔形文字粘土板
9 アルカズヴィーニ著『創造の驚異』(16世紀の写本)に収められた、擬人化された太陽・月・惑星
10 12世紀英国の『アストロラーベ論』に描かれた12星座のダイアグラム
渋い選択です。そして渋いばかりでなく、その画像を見ると、いずれも目と好奇心に訴えかける、不思議な美しさにあふれています。このラインナップだけだと、ヨーロッパの、それもかなり古い時代に偏っている印象ですが、実際には文字通り古今東西、その視野の広がりに圧倒されます。
★
別に較べてどうこういう問題でもないですが、「天文古玩」の方は、現に手元にある品の紹介に力点を置いている点が、サリダキスさんとは少しく異なります。まあ、博物館を飾るようなお宝とは無縁でも、その点は酔狂なモノ好きの徒として、一本筋が通っていると言えなくもないかな…と、これはちょっと自己弁護です。
倫敦ヴンダーめぐり ― 2018年02月17日 10時39分16秒
十年一日のごとき拙ブログですが、それでも常に同じ位置にとどまっているわけではなくて、地球の歳差運動のように、興味の重心はゆっくり移動しています。何となく以前も書いたな…という話題が、周期的に顔を覗かせるのは、そのせいです。
ただ、それは過去の完全な焼き直しではなくて、自分としては、そこにわずか成長や成熟も感じているので、主観的にはアサガオの蔓のように、ぐるぐる回りながらも前進・上昇しているイメージです(客観的にはまた違った見方があるでしょう)。
最近の傾向は、ヴンダー路線への回帰。
しばらく話題に乏しかった、動物・植物・鉱物の「三つの王国」や、種々の珍物への関心がまたぞろ復活して、その手の品を手にすることも増えています。
★
そんな気分でいたところに、素敵なサイトを知りました。
■ロンドンのミュージック&ミュージアム
書き手の清水晶子さんは、『ロンドンの小さな博物館』(集英社新書)、『ロンドン近未来都市デザイン』(東京書籍)などの著書がある、ロンドン在住のジャーナリストの方です。
ミューズから人類への偉大な贈り物である<音楽と博物館>。
清水さんの筆は、この両者をテーマに、ロンドンの過去・現在・未来の魅力を存分に紹介して止むことがありません。
2枚看板のうち、<ミュージアム>のページは、2014年にスタートして以来、博物館と展示会の情報が、ほぼ月1回のペースで、コンスタントに掲載されています。そのいずれもが、何というか内容が<濃い>んですね。下世話なことを恥じずに言えば、本当にこれをタダで読めてよいのか…というためらいすら感じます。
現在サイトの冒頭に来ている、昨年12月(LINK)と今年1月(LINK)の記事は、17世紀のコペンハーゲンで、せっせとヴンダーカンマーづくりに励んだ医師、オーレ・ワーム(1588-1654)を、2回にわたって取り上げています。(そこで紹介されている図版を見れは、驚異の部屋好きの人なら、「ああ、アレを作った人か!」とピンと来るでしょう。)
そして、オーレ・ワームの登場は、昨年11月の記事(LINK)で、ワームの後輩世代にして、これまた奇想のコレクターであった、イギリスのサー・トマス・ブラウン(1605-1682)を取り上げたことがきっかけになっています(ブラウンは、ワームのコレクション・カタログを所持していました)。
そしてさらに、ブラウンの記事からは、オカルティズムが流行したエリザベス一世治下でその名をはせた、万能の天才にして奇人、ジョン・ディー(1527-1609)の記事(LINK)へとリンクが張られ…という具合で、本当に<濃い>です。
読んでいるうちに、何だかこちらまで非常な物識りになったような気分になりますが、それは清水さんの筆が冴えているからに他なりません。
こうしたヴンダーカンマー的な展示も含め、清水さんの関心は、自然科学系・美術系の垣根を超えて広がっていますが、そこに共通するのは、いずれも「奇想のミュージアム」と呼ぶのがふさわしい内容であることです。とにかく、これはもうご覧いただいた方が早いですね。
★
先日、個人ブログの可能性について思いを巡らせましたが、この「ロンドンのミュージック&ミュージアム」は、その一つの範となるものではないでしょうか。
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▼閑語(ブログ内ブログ)
読み応えのあるブログをご紹介した後で、日本の報道人にも一言申し上げたい。
好漢・枝野氏の国会での活躍を仄聞するにつけて、それに沈黙するマスコミの惰弱さが印象づけられます。
本来、報道人というのは、同僚を出し抜くこと、他社を出し抜くこと、世間を唸らせることに大いに生きがいを感じる、ケレン味の強い人たちのはずですから、これほどまでに無音状態が続いているのは、それ自体不思議なことです。そこには「寿司接待」とか「忖度」の一語で片づけられない、何か後ろ暗いことがあるんじゃないか…と、私なんかはすぐに勘ぐってしまいます。
裏の世界というのは、いつの世にもあると思いますが、いわゆる裏稼業に限らず、公の世界にも、公安をはじめ、内調とか、公調とか、きわどい仕事に手を染めている組織はいろいろあると聞きます。しかも、その中には、さらに秘匿性の高いダークな組織が存在する…と、まことしやかに囁かれていますが、そんな手合いがマスコミ対策の一翼を担っているとしたら、ジャーナリストが腰砕けになるのも頷けます。
それでも、ジャーナリストを以て自ら任じる人には、ここらで勇壮な鬨(とき)の声を挙げてほしい。別に高邁な理想で動く必要はありません。ケレンでも十分です。
とにかく唄を忘れて裏の畑に棄てられる前に、美しく歌うカナリアを、鋭く高鳴きする百舌を、深い闇夜を払う「常世の長鳴鳥」を思い出して、ぜひ一声上げてほしいと思います
これなむ邂逅 ― 2017年09月15日 23時25分52秒
このブログも開設10年を超えて、ずいぶん草臥れてきました。
でも、10年かそこらで、いっぱしの古ツワモノのような顔をしてはいけない…ということを、このあいだ思い知らされました。
このブログでも以前取り上げましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/05/25/)、前回のハレー彗星接近を前にした1985年、1冊の写真集がアメリカで出ました。
それは、前々回のハレー彗星接近(1910年)を機に世間にあふれた「ハレー彗星グッズ」のコレクターである、スチュアート・シュナイダー氏による、素晴らしいハレー・コレクションの本です。
私はそのコレクションに目を奪われ、私自身の収集も、この本にずいぶん影響を受けたのでした。
★
…とまあ、それだけなら、「そんな話もあるよね」で済むのですが、先日、そのシュナイダー氏が、ご自分のWEBサイトを開設し、今も盛んに収集に励んでおられることを知って、大いに驚きました。
(Halley’s Comet http://www.wordcraft.net/comets1.html)
上記サイトによれば、シュナイダー氏の本業は弁護士だそうです。
ここにも、余暇を天文アンティークの収集に賭けた、偉大な(あるいは奇態な)先達の姿があったのでした。
それにしても、1985年から今年で32年、はや3分の1世紀です。
シュナイダー氏がコレクションを始めたのは、さらにそれ以前に遡るはずですから、10年やそこらでは、まだまだひよっ子もいいところです。
★
上のページで紹介されているのは、彗星の古星図、彗星のパーティー用品、彗星のブローチ、彗星のステレオ写真。そしてページの一番下まで来ると、次のページにリンクが張られていて、2ページ目には彗星講演会のチケット、彗星の絵葉書。さらに3ページ目には…
まあ、これは実際に見ていただいた方が早いですね。
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ちょっと興味深く思ったのは、シュナイダー氏のコレクションと、私の手元にある品の重複率です。これは私がシュナイダー氏から大きな影響を受けたので、ある意味当然ですが、それだけでは説明しきれないほど、重複は頻繁に生じています。(シュナイダー氏の本で直接目にしたことがない品でも、重複はたびたび起きています)。
このことは、ハレーグッズの、ひいては天文アンティークの現存量を示唆するもので、もし私が統計学に熟達していれば、いくつかの前提を置くことで、天文アンティークの「母集団」の規模を推計することも、不可能ではないかもしれません。
★
ともあれ、世の中は広いです。
前回の記事を書いてから8年、ふたたびシュナイダー氏に活を入れられた思いです。
天文台の亡霊 ― 2016年04月26日 06時34分03秒
「うわ、こんなものを見せられた日には!」
…と、目を見張るようなページを、メーリングリストで教えられました。
地質図の話の途中ですが、これはぜひご紹介したいので、載せておきます。
…と、目を見張るようなページを、メーリングリストで教えられました。
地質図の話の途中ですが、これはぜひご紹介したいので、載せておきます。
■The Loneliness of the Long-Abandoned Space Observatory
(打ち捨てられた天文台の孤独)
http://io9.gizmodo.com/abandoned-space-observatories-are-monuments-to-science-1479519920
(打ち捨てられた天文台の孤独)
http://io9.gizmodo.com/abandoned-space-observatories-are-monuments-to-science-1479519920
役目を終え、廃墟と化した天文台の数々。
人の気配は絶えて久しく、すっかり荒れ果て、壁にはスプレーで落書きまでされて…
人の気配は絶えて久しく、すっかり荒れ果て、壁にはスプレーで落書きまでされて…
ここに紹介されている天文台のいくつかは、古絵葉書の収集を通じて、何となく昔馴染みの感覚があります。でも、私の脳裏にある彼らは、みな世に出たばかりの青年であったり、働き盛りの壮年の姿をしているので、それと「今」との落差に愕然とします。
複雑な思いですが、でも、そこにある種の「情緒」が漂っていることは認めます。少なくとも何か心に訴えかけるものがあります。天文好きあり、同時に廃墟マニアでもある人にとっては、少なからず惹かれるものがあるでしょう。
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「あれ、でも何となく既視感があるぞ…」
と思ったら、2年前にも似たような記事を書いていました。
上記の記事でリンクを張ったのは以下のページで、確認したらまだ生きていました。
併せてごらんください。
併せてごらんください。
■Web Urbanist “Watch Out: 15 Eerie Abandoned Observatories”
http://weburbanist.com/2012/07/08/watch-out-10-eerie-abandoned-observatories/
http://weburbanist.com/2012/07/08/watch-out-10-eerie-abandoned-observatories/
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永遠の宇宙を覗き見る天文台にも、静かに「死」は訪れます。
彼らの眠りが安らかならんことを。
彼らの眠りが安らかならんことを。
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