コメント

_ かすてん ― 2010年08月08日 22時17分34秒

函館には夏期出張で7年間通いました。弥生小学校のある旧市街は特にお気に入りの場所でした。
この校舎へ入ったことは無かったですが、今時こんな校舎で学べた子どもたちは、それが財産だったことに将来気づいてくれるでしょうか。それにしても絵に描いたような理科標本室。21世紀の今でもこんな空間が残っていたのですね。取り壊しは残念なことでした。

_ 玉青 ― 2010年08月09日 21時21分12秒

おお、函館とそんなご縁があったとは。

それにしても、外野の無責任な言い分だというお叱りは覚悟の上で、やっぱりこれはぜひ残してほしかったですね。願わくは、新しい校舎が、この建物以上に子どもたちのことを思いやって設計されたものでありますように…。(そうでなければ、旧校舎が浮かばれません。)

_ S.U ― 2010年08月10日 07時54分59秒

言ってもしかたないことですが、このような立派な校舎を持っている学校は都市部の伝統校で、土地の有効利用のために取り壊さざるを得ないのでしょうね。文化財指定をしてもらうとかしないとなかなか難しいのではないかと思います。
 いっぽうで、統合・廃校になった地方の古い木造校舎は残されていますが、こちらは取り壊しの費用もないのかも。有志の方々が管理されている間はいいのでしょうが、こちらも少し不安になります。

 ところで、私の通っていた小学校は、木造モルタル造りでした。内部は木造、外から見ると一見コンクリート造り、というものです。理科室も木造で、準備室と資料室が隣接していました。今は建て替えられてしまいました。校舎のモルタル造りというのは戦後まもなくだけだと推測しますので、それなりの歴史を示すところにいたのだと自負しています。

_ 玉青 ― 2010年08月10日 22時21分47秒

木造モルタル。懐かしい響きですね。

工法としては戦前からありましたが、広く普及したのは、建築基準法の改正と、防火地区の拡大が行われた、戦後のことのようです。特に、学校建築に応用されたのは、昭和20~30年代にほぼ限局されるので、まさに時代の申し子ですね。(以上、ネットでのチラ見情報)

木造モルタルというと、何となくチープ感が漂いますが、児童だけはワンサカいた、元気いっぱいの時代ですから、学校文化という点では間違いなく豊かな時代だったのでしょうね。理科室の怪談なんかも、真に迫って語られたことでしょう。

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