雪のリック天文台(3) ― 2012年01月21日 19時20分33秒
暦の上で今日は大寒。
雪の天文台の話題をつづけます。
雪の天文台の話題をつづけます。
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ときに、昨日の記事のタイトルを改めました。
調べたら、自分は以前も「雪のリック天文台」という記事を書いていたので、昨日の記事は「雪のリック天文台(2)」に変更します。そして今日の記事は「その(3)」です。
で、昨日思い出したことというのは、まさにこの記事と関係しています。
以前と同じ絵葉書ですが、改めて画像を拡大できるように貼り直してみました。
この絵葉書には、1946年の消印がありますが、絵葉書自体はもう少し前に作られたものかもしれません。画面はすっかりセピア色になっています。
ここで注目したいのが、斜面についたソリのあと。
これは天文台スタッフの子供たちが遊んだあとかな?…と昔の記事では書きました。
おそらくは、そうなのでしょう。最近、リック天文台での人々の暮らしぶりを知り、それがこの1枚の絵葉書と、頭の中であざやかに結び付いた…というのが今日の話題です。
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昨年、マーシャ・バトゥーシャク著、長沢工・永山淳子訳、『膨張宇宙の発見-ハッブルの影に消えた天文学者たち』 (地人書館、2011)という本を読みました。1920年代から30年代にかけて、ひと癖もふた癖もある天文学者たちが、たがいに覇を競いながら「膨張宇宙論」を確立するまでのドラマを、生き生きと描いた好著です。
そのドラマの舞台の1つがリック天文台で、本の中にはそこでの生活が、いろいろ顔を出します。
リック天文台は、ジェームズ・リックという富豪の寄付で、1870年代に建設が始まりました(リックの遺骸は、巨大望遠鏡の真下に埋葬され、今もそこに眠っています)。
同天文台には、天体観測ドームのほか、住居、作業場、事務所、図書館、学校などの施設が備わり、スタッフは家族とともに現地で暮らし、生活用品はふもとの町から毎日馬車で(後には自動車で)運び上げたそうです。
まさに、ここは1つの町であり、別名「小さな科学の共和国」とも呼ばれます。
まさに、ここは1つの町であり、別名「小さな科学の共和国」とも呼ばれます。
1900年の直前の時点で、ここには上級天文学者が3人、助手の天文学者が3人、作業員たち、その家族、使用人等、総勢約50名の人が暮らしていました。人々は余暇には手作りのゴルフコースでクラブを振るい、雲のある晩にはパーティーを催し、互いを招待しました。子どもたちのための学校では、女性教師が毎年のように雇われた…というのは、彼女達は若い天文学者と結ばれ、退職することがしばしばだったからで、ロマンスにも事欠かない場でした。
ちなみに、1908年に稼働を始めた、同じカリフォルニアのウィルソン山天文台では、天文学者たちは「通い」で観測に当たりましたから、リックのような定住方式が、当時の標準だったわけではありません。やはり、リックは特異な環境だというべきでしょう。
リックには現在も20家族以上が暮らし、交番と郵便局も置かれ、科学の共和国は依然健在です。
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上のようなことを念頭に、あのソリのあとを見ると、子どもたちがこの科学の共和国で明るい歓声を上げてソリ遊びをしていた様子が、まざまざと目に浮かびます。
1世紀を超える「共和国」の歴史の中で、数多くの子供たちがここで暮らし、野生動物と触れ合い、遠くの尾根を眺め、そして満天の星を見上げたことでしょう。心も頭も柔らかな、そして身体中にエネルギーが満ちあふれた子供時代を、こういう場所で過ごせた人は幸いですね。
コメント
_ どうだいらのてら ― 2012年01月21日 22時55分44秒
_ 玉青 ― 2012年01月22日 13時55分35秒
>晩酌
いやあ、これは欠かせないですよね。(笑)
今日の記事でも触れさせていただきましたが、熱き漢(おとこ)たちの知られざるエピソードがありましたら、どうぞもっともっと語り聞かせてください。
いやあ、これは欠かせないですよね。(笑)
今日の記事でも触れさせていただきましたが、熱き漢(おとこ)たちの知られざるエピソードがありましたら、どうぞもっともっと語り聞かせてください。
_ Gravitino ― 2012年02月02日 06時57分40秒
シリコンバレーに赴任していたときに、毎年Summer Visitor ProgramでLick Observatoryに遊びに行っていました(^^)。
とても懐かしいです。
シリコンバレーからでも、真東の方にこの天文台が見られるのですが、ほとんどの人はその事を知りません...^^;
とても懐かしいです。
シリコンバレーからでも、真東の方にこの天文台が見られるのですが、ほとんどの人はその事を知りません...^^;
_ 玉青 ― 2012年02月02日 23時00分39秒
Gravitinoさま、コメントありがとうございます。
あの天空の城を親しくご覧になったのですね!いいなあ。
カリフォルニアの地図が頭に入ってなかったのですが、改めて見ると、たとえばアップル本社からリック天文台はまさに真東の方向、距離は45キロ弱といったところでしょうか。ちょうど東京駅~八王子ぐらいの距離ですね。
記事の中で取り上げた本によると、1906年の大地震の際、リック天文台の望遠鏡でのぞいたら、シリコンバレーよりもずっと遠いサンフランシスコの業火や崩れたビルが、まざまざと見えたそうですから、シリコンバレーはまさに指呼の間と言っていいのでしょう。知らぬは「谷間」の住人ばかりなり…と言ったところかもしれませんね。(^J^)
あの天空の城を親しくご覧になったのですね!いいなあ。
カリフォルニアの地図が頭に入ってなかったのですが、改めて見ると、たとえばアップル本社からリック天文台はまさに真東の方向、距離は45キロ弱といったところでしょうか。ちょうど東京駅~八王子ぐらいの距離ですね。
記事の中で取り上げた本によると、1906年の大地震の際、リック天文台の望遠鏡でのぞいたら、シリコンバレーよりもずっと遠いサンフランシスコの業火や崩れたビルが、まざまざと見えたそうですから、シリコンバレーはまさに指呼の間と言っていいのでしょう。知らぬは「谷間」の住人ばかりなり…と言ったところかもしれませんね。(^J^)
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時代も約半世紀近く違いますし、家族同伴や天文台村ではありませんでしたが、日本でも昔は乗鞍のコロナ観測所や堂平観測所で雪の中楽しくやっていたようですね。寒いときは夜の観測前に少し晩酌していたそうです。乗鞍のスキーは最高だったと聞きました。