草場星図アゲイン ― 2012年04月19日 21時28分19秒
天網恢恢疎にして漏らさず。
本日、霜ヒゲさんから、例の草場修氏とその星図について、貴重な情報をコメント欄でお寄せいただきました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/04/14/6411179#c6419130)。
本日、霜ヒゲさんから、例の草場修氏とその星図について、貴重な情報をコメント欄でお寄せいただきました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/04/14/6411179#c6419130)。
それは、山本一清(編)『図説天文講座1 天球と星座』(恒星社厚生閣)に、草場星図に関する重要な事実と、草場星図の現物が載っているというご指摘です。私の手元にあるのは、霜ヒゲさんのものより一寸後に出た、昭和12年12月12日発行のものですが、内容的には霜ヒゲさんが言及された版と同じもののようです。
(『天球と星座』 表紙)
うーむ…編者と出版のタイミングを考えれば、これはもっと早くにピンとくるべきでしたが、大迂闊でした。頭を叩きながら、関連部分を引用します(以下敬称略)。
うーむ…編者と出版のタイミングを考えれば、これはもっと早くにピンとくるべきでしたが、大迂闊でした。頭を叩きながら、関連部分を引用します(以下敬称略)。
上掲書の中で、村上忠敬が分担執筆した「星座の歴史と境界線」の章に、当時の星表・星図についての解説があるのですが、「容易に入手出来る肉眼星図」という節にはこうあります。
「尚ほ花山天文台で草場修氏が山本博士監督の下に昨年完成した大型星図がある。約三万二千の恒星と東洋西洋の学名星名等を入れ、各種の色彩を用ゐ、世界一美麗な星図である。近いうちに出版される筈である。
草場氏は今又ボン星図の改正版を画いてゐる。星数約百万、五ヶ年事業である。一部は出版中。」(p.148)
なんと!!!!!
昭和9年(1934)に世間をアッと言わせた草場のオリジナル星図は、コストの壁に阻まれて世に出なかったのかと思いきや、さにあらず。実際には、山本一清の監修を経て、近々(というのは、遅くとも昭和13年中のことでしょう)出版を待っていたというのです。
しかも、草場・山本コンビは、さらに星数約100万という詳密星図の刊行をもくろみ、5ヶ年事業に営々と取り組んでいたという、驚愕の事実。
これらの偉業も、すべては山本一清の失脚によって消し飛んだのでしょうが、これぞ日本星図史における最大の痛恨事と言わずして、何と言いましょう。(まあ、失脚の件がなくとも、戦争の激化と敗戦によって、事業の完遂はおぼつかなかったでしょうが…)
さらに続けて「掛図式の星図」という節には、こうあります。
「次には我国で普通に使用されてゐる一枚刷即ち掛図式の星図には、日本天文学会編の新撰恒星図、東亜天文協会発行の古賀恒星図、同草場恒星図(一九三六年版)、海軍水路部編の星図などがある。草場氏のは六等まで、他は皆五等星迄である。もっと簡単なものとしては東亜天文協会編の新版簡易星図である。」 (pp.148-9)
そして、上掲書には巻末付録として、この「新版簡易星図」が貼付されています。
以上の記述から、一連の草場星図の書誌が一層はっきりしたような気がするのですが、これは「気がする」だけで、まだ頭の中がちょっとごちゃごちゃしています。もう一度気持ちを落ち着けて、再度情報を整理の上、一覧の形で提示したいと思います。
コメント
_ 霜ヒゲ ― 2012年04月20日 18時41分52秒
_ S.U ― 2012年04月20日 20時47分48秒
>皇紀2600年~1940年分点 (すみません。こちらへ引っ越しです)
霜ヒゲ様のご情報を拝見するにこの簡易星図はおそらく1910.0分点なのですね(いて座γ2星が赤経18h00mにくるのが1910年分点という識別法を会得しました)。 私の予想はちょっと外れたようですが、その次に計画されていた星図が1940年分点で、山本氏の指揮によりすでにほぼ完成していた可能性はまだ残っています。
村上忠敬氏は日本の星図とともに昭和を生きてこられた方ですので、おそらく、草場星図については後々のことまでもご存じだったかもしれません。どこかに書き残してられるとよろしいのですが。
それからもう一つ疑問なのですが、中之島の図書館に『ボン掃天星表』があったということになるのでしょうか(原書? or 日本版??)
霜ヒゲ様のご情報を拝見するにこの簡易星図はおそらく1910.0分点なのですね(いて座γ2星が赤経18h00mにくるのが1910年分点という識別法を会得しました)。 私の予想はちょっと外れたようですが、その次に計画されていた星図が1940年分点で、山本氏の指揮によりすでにほぼ完成していた可能性はまだ残っています。
村上忠敬氏は日本の星図とともに昭和を生きてこられた方ですので、おそらく、草場星図については後々のことまでもご存じだったかもしれません。どこかに書き残してられるとよろしいのですが。
それからもう一つ疑問なのですが、中之島の図書館に『ボン掃天星表』があったということになるのでしょうか(原書? or 日本版??)
_ 玉青 ― 2012年04月21日 11時03分23秒
○霜ヒゲさま
いえいえ、流れというほどのものはなく、どちらかと言えば淀んでますので、どうぞどんどん新鮮な流れを作り出していただければと思います。
追加のお知らせをありがとうございます。
戦前(というか戦中ですね)の「山本版」の草場星図は、戦後の「神田版」と同じく6000個余りの星数だったことから、全体の構成も似たような感じだったのかなあ…と漠然と思っていましたが、やはりよく似た体裁のものだったわけですね。となると、結局、神田版は山本版を下敷きに、元期を1910.0から1940.0に改めただけという可能性も高そうですね。なるほど、だんだん雲が晴れてきました。
私なりに整理した結果は、後ほど記事としてアップする予定です。
○S.Uさま
>いて座γ2星が赤経18h00mにくるのが1910年分点
だんだん星図鑑定歴ウン十年みたいな感じになってきましたね。(笑)
星図道も実に奥が深いです。
さて、ご示唆にひらめいて、近所の図書館で1949年に再版された『天球と星座』を見てこようと思います。再版なので、内容は戦前のままかもしれませんが、ひょっとしたら草場星図に関して、一部記述が差し替わっているかもしれません。
大阪府立図書館(中之島と中央の両図書館)は、戦前の分も含め、全所蔵資料がデータベース化されているようですが、独・和ともボン掃天星表は確認できませんでした。
ここでまた、しかし!
全然話題が変わって恐縮ですが、府立図書館の戦前の天文関係の資料を見ていたら、『前原寅吉天文論文集』という、とんでもない珍本が所蔵されているのを発見。
日本アマチュア天文史に異彩を放つ、八戸の時計店主・前原寅吉氏については、以前粘着的な記事を書いた記憶がありますが、これはその実像に触れることのできる、すこぶる貴重な資料かと思います。幸い、国会図書館にも所蔵されているようなので、コピーを頼んでみます。これをネタにまた新たな記事が書けそうです。
いえいえ、流れというほどのものはなく、どちらかと言えば淀んでますので、どうぞどんどん新鮮な流れを作り出していただければと思います。
追加のお知らせをありがとうございます。
戦前(というか戦中ですね)の「山本版」の草場星図は、戦後の「神田版」と同じく6000個余りの星数だったことから、全体の構成も似たような感じだったのかなあ…と漠然と思っていましたが、やはりよく似た体裁のものだったわけですね。となると、結局、神田版は山本版を下敷きに、元期を1910.0から1940.0に改めただけという可能性も高そうですね。なるほど、だんだん雲が晴れてきました。
私なりに整理した結果は、後ほど記事としてアップする予定です。
○S.Uさま
>いて座γ2星が赤経18h00mにくるのが1910年分点
だんだん星図鑑定歴ウン十年みたいな感じになってきましたね。(笑)
星図道も実に奥が深いです。
さて、ご示唆にひらめいて、近所の図書館で1949年に再版された『天球と星座』を見てこようと思います。再版なので、内容は戦前のままかもしれませんが、ひょっとしたら草場星図に関して、一部記述が差し替わっているかもしれません。
大阪府立図書館(中之島と中央の両図書館)は、戦前の分も含め、全所蔵資料がデータベース化されているようですが、独・和ともボン掃天星表は確認できませんでした。
ここでまた、しかし!
全然話題が変わって恐縮ですが、府立図書館の戦前の天文関係の資料を見ていたら、『前原寅吉天文論文集』という、とんでもない珍本が所蔵されているのを発見。
日本アマチュア天文史に異彩を放つ、八戸の時計店主・前原寅吉氏については、以前粘着的な記事を書いた記憶がありますが、これはその実像に触れることのできる、すこぶる貴重な資料かと思います。幸い、国会図書館にも所蔵されているようなので、コピーを頼んでみます。これをネタにまた新たな記事が書けそうです。
_ S.U ― 2012年04月21日 19時07分07秒
ボン掃天星表について、お調べありがとうございました。私は、ご紹介の新聞記事を見て、草場氏が星表というものがあることを知っていたのか、と驚きました。同じ頃、彗星捜索を始めた本田実青年は、星図というものがあることすら知らなかったそうですから。
村上忠敬氏は、私が学生だった時に同じ都市の別のところで先生をしていて、私もそれを何となく知っていました。会って聞いておけば良かったのに惜しいことをしました(笑)。でも、そんな天文の本を通じて知っている大先生に会いたいなどという発想は当時はまったくありませんでした。昭和も遠くなりにけり、です。
前原寅吉氏の論文集があるのですか! 中身のご紹介が楽しみです。
村上忠敬氏は、私が学生だった時に同じ都市の別のところで先生をしていて、私もそれを何となく知っていました。会って聞いておけば良かったのに惜しいことをしました(笑)。でも、そんな天文の本を通じて知っている大先生に会いたいなどという発想は当時はまったくありませんでした。昭和も遠くなりにけり、です。
前原寅吉氏の論文集があるのですか! 中身のご紹介が楽しみです。
_ 玉青 ― 2012年04月21日 21時23分40秒
草場氏は結局「文の人」だったのかな…という気がします。
まったくの想像ですけれど、草場氏は実観測よりも、資料読解にいっそう長けていたのではないでしょうか。氏がその後天文界に名を残さなかったのは、その点が根本原因ではあるまいか…と思ったりします。
村上氏の件、本当に惜しいことをしましたね。でも、まあ世の中そんなものかもしれません。
ときに、1つ前のコメントで書いたことの結果報告ですが、1949年の再版本は、本文はまったく戦前の版と同一で、草場星図に関する新情報はありませんでした。
ただし、巻頭に土居客郎氏の「再版の辞」というのが付け加わっていて、昭和20年5月にそれまで刊行した天文書をすべて焼失したことが述べられています。また、巻末付録の星図は草場氏の「新版簡易星図」ではなく、ノルトン星図の第5図、第6図を日本語化したもの(海賊版?)にさし替わっています(元図のように2色刷りではなくモノクロ図)。おそらく「新版簡易星図」の原版も消失してしまい、復刻を断念したのではないでしょうか。
まったくの想像ですけれど、草場氏は実観測よりも、資料読解にいっそう長けていたのではないでしょうか。氏がその後天文界に名を残さなかったのは、その点が根本原因ではあるまいか…と思ったりします。
村上氏の件、本当に惜しいことをしましたね。でも、まあ世の中そんなものかもしれません。
ときに、1つ前のコメントで書いたことの結果報告ですが、1949年の再版本は、本文はまったく戦前の版と同一で、草場星図に関する新情報はありませんでした。
ただし、巻頭に土居客郎氏の「再版の辞」というのが付け加わっていて、昭和20年5月にそれまで刊行した天文書をすべて焼失したことが述べられています。また、巻末付録の星図は草場氏の「新版簡易星図」ではなく、ノルトン星図の第5図、第6図を日本語化したもの(海賊版?)にさし替わっています(元図のように2色刷りではなくモノクロ図)。おそらく「新版簡易星図」の原版も消失してしまい、復刻を断念したのではないでしょうか。
_ S.U ― 2012年04月22日 08時31分36秒
ご労作拝見いたしました。また、村上氏の著作に関するお知らせありがとうございます。戦争の影響もあるのか、少なくとも昭和20年代には草場星図を積極的に世に残そうという勢いはあまり感じられませんね。晩年に書かれた論文や回顧録のようなものに期待をかけたい気もしますが、あてもありませんので何らかの関連資料が偶然見つかるのを待つしかないのかもしれません。玉青さんのご労作をもとに、世に捜索網が広がることを期待します。
>草場氏は結局「文の人」
そうかもしれませんね。さらに想像をたくましくしますと、草場氏は「カタログ趣味」の人だったのかもしれません。たとえば、ここに星好きの人がいて、星座早見と星図と星表があったとして、星表を選ぶタイプの人です。草場氏は、中国名を含めて複数のカタログを合体させる意味で星図製作をしたのかもしれません。
ところでこの「カタログ趣味」は、その道の用語ではなんというのでしょうか。恒星にかぎらず元素でもスポーツカーでもポケモンでもいいのですが、たくさんのアイテムをリストして表とかカードとか単語帳につくって喜んでいる類の人のことですが、適切な言葉を知りません。検索すると「カタログフェチ」というのがひっかかりましたが、これは商社や販売店のラックに並んでいるカタログを対象にしているような感じでちょっと違う気がします。
>草場氏は結局「文の人」
そうかもしれませんね。さらに想像をたくましくしますと、草場氏は「カタログ趣味」の人だったのかもしれません。たとえば、ここに星好きの人がいて、星座早見と星図と星表があったとして、星表を選ぶタイプの人です。草場氏は、中国名を含めて複数のカタログを合体させる意味で星図製作をしたのかもしれません。
ところでこの「カタログ趣味」は、その道の用語ではなんというのでしょうか。恒星にかぎらず元素でもスポーツカーでもポケモンでもいいのですが、たくさんのアイテムをリストして表とかカードとか単語帳につくって喜んでいる類の人のことですが、適切な言葉を知りません。検索すると「カタログフェチ」というのがひっかかりましたが、これは商社や販売店のラックに並んでいるカタログを対象にしているような感じでちょっと違う気がします。
_ 玉青 ― 2012年04月22日 16時06分44秒
草場氏の件は、とりあえずここまでとし、新資料の発見に期待をかけたいと思います。
(その後、いるか書房の上門さんから私信でお知らせいただいた情報によると、どうも昭和20年代に入ると、草場氏は「天界」誌でもまったくその名を見かけないらしく、ひょっとしたら早くに亡くなられたのではないか?とも思っています。)
>カタログ趣味
まあ、これは「カタログ趣味」と呼ぶのがいちばん穏当ではないでしょうか。
ちょっと思いついたことを補足すると、多くの場合、カタログ好きの人は、自分の興味の対象が、一定の秩序で整然と配列されているのを見るのが何よりも好きなようです。そういった傾向の人は、いわゆるカタログ以外にも、図鑑やら、時刻表やらにも興味を示すことがあります(まあ、これらも一種のカタログでしょう)。そして、多くの場合、収集・分類癖を伴うのが普通です。カード集めなどは、いわば両者が合体したものかもしれませんね。
これはいわゆる「オタク」や「マニア」の特徴ですが、同時に自閉症やアスペルガー障害など広汎性発達障害の人々の基本症状とも連続するものであり、後者の場合、診断場面ではそれを「興味の限局」(興味の幅が極端に狭い)や「同一性保持」(自分なりの秩序を乱されるのを極度に嫌う)というタームでマーキングします。
たぶん、「カタログ趣味」にも、この「興味の限局」と「同一性保持」というのが絡んでいるのではないでしょうか。かく言う私にも、大いに認められる傾向です。
草場氏の場合は…どうなんでしょうね?その人柄をもっと知りたい気がします。
(その後、いるか書房の上門さんから私信でお知らせいただいた情報によると、どうも昭和20年代に入ると、草場氏は「天界」誌でもまったくその名を見かけないらしく、ひょっとしたら早くに亡くなられたのではないか?とも思っています。)
>カタログ趣味
まあ、これは「カタログ趣味」と呼ぶのがいちばん穏当ではないでしょうか。
ちょっと思いついたことを補足すると、多くの場合、カタログ好きの人は、自分の興味の対象が、一定の秩序で整然と配列されているのを見るのが何よりも好きなようです。そういった傾向の人は、いわゆるカタログ以外にも、図鑑やら、時刻表やらにも興味を示すことがあります(まあ、これらも一種のカタログでしょう)。そして、多くの場合、収集・分類癖を伴うのが普通です。カード集めなどは、いわば両者が合体したものかもしれませんね。
これはいわゆる「オタク」や「マニア」の特徴ですが、同時に自閉症やアスペルガー障害など広汎性発達障害の人々の基本症状とも連続するものであり、後者の場合、診断場面ではそれを「興味の限局」(興味の幅が極端に狭い)や「同一性保持」(自分なりの秩序を乱されるのを極度に嫌う)というタームでマーキングします。
たぶん、「カタログ趣味」にも、この「興味の限局」と「同一性保持」というのが絡んでいるのではないでしょうか。かく言う私にも、大いに認められる傾向です。
草場氏の場合は…どうなんでしょうね?その人柄をもっと知りたい気がします。
_ S.U ― 2012年04月22日 18時20分20秒
草場氏については、このたび将来につながる大きな仕事がなされたと思います。また次の機が熟せばさらにどっと進展するものと期待しましょう。
「カタログ趣味」についてありがとうございました。比較的わかり安い趣味かと思っていましたが、なかなか深いですね。自分も含めて思い起こしてみると、ご指摘の病的傾向のほかにも、症状の強度に幅があるとか、興味の対象が限定されているようで、一部では興味の発散や対象のゆらぎも見られるとか、一筋縄ではいかないように思えてきました。また、おいおい考察してみたいと思います。
話が吹っ飛んですみませんが、今日、科博筑波実験植物園(つくば市)の一般公開に行ってきました。、新しくできた自然史標本棟の標本室(研究者用の収蔵庫)の公開(ガイドツアー)があったのですが、それに受付開始時に300人ほどの人が並んでいました。人気ぶりに驚きました。また、黒山の人だかりをのぞいて見ると、イルカの骨格標本を作る解剖の実演をやっていて、これも度肝をぬかれました。
私は幸い、下のニュースにある哺乳類の剥製を見ることが出来ました。標本室は昆虫、液浸、岩石など数種あるみたいで、今回はほ乳類の剥製と骨格しか見られなかったので、今後公開のたびに気にしないといけないです。
玉青さんもまたご機会があればつくばの科博をご訪問下さい。
(毎日新聞ニュース)
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20120421ddlk08040115000c.html
「カタログ趣味」についてありがとうございました。比較的わかり安い趣味かと思っていましたが、なかなか深いですね。自分も含めて思い起こしてみると、ご指摘の病的傾向のほかにも、症状の強度に幅があるとか、興味の対象が限定されているようで、一部では興味の発散や対象のゆらぎも見られるとか、一筋縄ではいかないように思えてきました。また、おいおい考察してみたいと思います。
話が吹っ飛んですみませんが、今日、科博筑波実験植物園(つくば市)の一般公開に行ってきました。、新しくできた自然史標本棟の標本室(研究者用の収蔵庫)の公開(ガイドツアー)があったのですが、それに受付開始時に300人ほどの人が並んでいました。人気ぶりに驚きました。また、黒山の人だかりをのぞいて見ると、イルカの骨格標本を作る解剖の実演をやっていて、これも度肝をぬかれました。
私は幸い、下のニュースにある哺乳類の剥製を見ることが出来ました。標本室は昆虫、液浸、岩石など数種あるみたいで、今回はほ乳類の剥製と骨格しか見られなかったので、今後公開のたびに気にしないといけないです。
玉青さんもまたご機会があればつくばの科博をご訪問下さい。
(毎日新聞ニュース)
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20120421ddlk08040115000c.html
_ 玉青 ― 2012年04月23日 06時16分11秒
草場氏の件、今回の記事が少しでも呼び水になれば嬉しいです。
>病的傾向
コメント中では「症状」と書きましたが、「興味の限局」にしても、「同一性保持」にしても、それ自体は良くも悪くもなくて、ただそれによって生活上、不便を生じるかどうかが問題だ…というふうに、関係者は理解しているようです。(そうした特性が創造性と結びつく場合は大いにありそうです。)
ときに、素敵なお知らせをありがとうございました!これは大いにそそられますね。
上野の科博は、その展示(教育機能)はともかく、標本の制作・収集・分類・保管といった研究機能がはなはだ劣弱で、結局、日本には本格的な自然史博物館が、今に至るまでただの1つもない…という趣旨のことを、何かの本で読みました。つくばの科博はそれを補うための第一歩でしょうか。ぜひそうなることを期待したいです。
>病的傾向
コメント中では「症状」と書きましたが、「興味の限局」にしても、「同一性保持」にしても、それ自体は良くも悪くもなくて、ただそれによって生活上、不便を生じるかどうかが問題だ…というふうに、関係者は理解しているようです。(そうした特性が創造性と結びつく場合は大いにありそうです。)
ときに、素敵なお知らせをありがとうございました!これは大いにそそられますね。
上野の科博は、その展示(教育機能)はともかく、標本の制作・収集・分類・保管といった研究機能がはなはだ劣弱で、結局、日本には本格的な自然史博物館が、今に至るまでただの1つもない…という趣旨のことを、何かの本で読みました。つくばの科博はそれを補うための第一歩でしょうか。ぜひそうなることを期待したいです。
_ S.U ― 2012年04月23日 08時00分45秒
>「症状」~それ自体は良くも悪くもなくて
そうですね。これは人間の性格のあるパターンの延長として捕らえるべきものかもしれません。えてして人の性格というものは、本人やその周囲の人にとっては、うれしくない方向に影響を与える場合のみが問題にされるものですが、そのような性格であっても、社会全体にとっては利益になっている場合も多いと思います。
そうですね。これは人間の性格のあるパターンの延長として捕らえるべきものかもしれません。えてして人の性格というものは、本人やその周囲の人にとっては、うれしくない方向に影響を与える場合のみが問題にされるものですが、そのような性格であっても、社会全体にとっては利益になっている場合も多いと思います。
_ 玉青 ― 2012年04月24日 21時11分21秒
本当ですね。
さらにまた、局所的には善でも、大局的には不善…という場合も往々にしてあって、何をもって善と為すべきか、なかなか難しいものです。
さらにまた、局所的には善でも、大局的には不善…という場合も往々にしてあって、何をもって善と為すべきか、なかなか難しいものです。
_ S.U ― 2018年03月30日 13時17分03秒
すでに、ご存じかもしれませんが、昨年(2017年)をもって山本天文台の資料調査が一段落したようです。
「山本天文台目録」も完成したのではないかと思います。このエクセルファイルは、作成が2012/12/19、(最終)更新が2017/11/29となっています。
http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/library/shinjo/yamamoto/yamamoto.html
「草場」で検索しますと、星図関連の資料が4件ほどかかります。そんなに見つからなかったのかもしれませんが、原図もあるようで、見たいです。
「山本天文台目録」も完成したのではないかと思います。このエクセルファイルは、作成が2012/12/19、(最終)更新が2017/11/29となっています。
http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/library/shinjo/yamamoto/yamamoto.html
「草場」で検索しますと、星図関連の資料が4件ほどかかります。そんなに見つからなかったのかもしれませんが、原図もあるようで、見たいです。
_ 玉青 ― 2018年03月31日 08時48分32秒
お知らせいただき、ありがとうございます。
おお、たしかに「草場作 各種星図原図」とありますね!
一応、公開終了となり、ふたたびお蔵入りとなったようですが、すでに整理が行われ、その気になればいつでも見られるようになったことは、たいへん喜ばしいことです。いつか「貧窮スターゲイザー」完結編として、拝見できればと念じています。
おお、たしかに「草場作 各種星図原図」とありますね!
一応、公開終了となり、ふたたびお蔵入りとなったようですが、すでに整理が行われ、その気になればいつでも見られるようになったことは、たいへん喜ばしいことです。いつか「貧窮スターゲイザー」完結編として、拝見できればと念じています。
_ S.U ― 2018年03月31日 10時20分04秒
ぜひ、よろしくお願いいたします。
出版されなかった精細な草場星図の原図(昭和9年版あるいはボン星表版)が現存するのか、京大、東亜天文学会と縁が切れたように見えた後も、草場氏と山本氏の間で何らかの交渉があったのか、時間がかかっても知りたいです。
出版されなかった精細な草場星図の原図(昭和9年版あるいはボン星表版)が現存するのか、京大、東亜天文学会と縁が切れたように見えた後も、草場氏と山本氏の間で何らかの交渉があったのか、時間がかかっても知りたいです。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
玉青様のブログは興味深く珍しい話題を美しい画像ともに届けて頂けるので、それを楽しみにお出でになる方も多いと思います。せっかくの流れに水を差すような投稿になってしまったのではと恐縮しております。
草場氏の星図については大型星図の記事発掘のインパクトに比べれば他のことは些細なことに思われます。
とは言え、天文ガイドの草下氏の「神田氏の校閲で草場簡易星図として恒星社から発行された」という記述は紛らわしいですね。
「神田、草場、恒星社、星図」とくれば普通は星数約6,000の神田版の新撰全天恒星図をイメージしますが、そのタイトルとして星座早見を拡大したような星数約千個の草場簡易星図とつけてしまった訳ですから。
もっとも私も草場恒星図や草場簡易星図の実物を持っている訳ではないので、どこかで勘違いをしているかもしれず偉そうなことは言えませんが。
せめてネットオークションの画像を保存しておけば良かったと後悔しております。(形状等が神田版そっくりで説明は東亜天文協会発行、草場修、全天恒星図とあったような気がしますがかなりアヤフヤです。)