星空を見上げるということ…孤独な豊饒(あるいは豊饒な孤独)2015年11月03日 11時39分48秒

昨日は冷たい雨、今日はまた穏やかな秋晴れ。
三寒四温の逆みたいな感じで、季節は徐々に冬へと向っています。

   ★

そういえば、まだ暑さが厳しい頃、アンティーク望遠鏡ファンのメーリングリストに、ある投稿がありました。

それは、パリ在住のマンガ家・ブーレー(Boulet)の作品を紹介するものでした。
Wikipediaによれば、ブーレーは本名ジル・ルーセルといい、1975年生まれの人だそうです。件の作品は、彼がフランスの片田舎で暮らしていた17歳のときの思い出が下敷きになっているので、おそらく舞台は1992年頃。

   ★

作者は、古いシャンソン歌手のジョルジュ・ブラッサンスが好きでした。
ジョルジュは、1964年に出した曲の中で歌っています。
「かつてはどこにも神様がいた。酒飲みにはバッカスが、恋人たちにはヴィーナスが、死んだ人間だってプルートとカロンが世話してくれた…」
作者はジョルジュのことは好きでしたが、「科学が神様を放逐し、詩を殺してしまった」というこの歌には、引っかかるものを感じていました。

17歳のころの作者は、望遠鏡で星を見上げることが何よりも好きでした。
そして星を包み込む、無限の世界に思いを馳せることが。
そこには「数学的な空」が広がっていました。

庭に寝ころび、ポリスの曲をウォークマンで聞きながら、何時間も暗い空を眺めるうちに、突如心を満たす宇宙との接触感覚…


この縦スクロールのWEBコミックを見ていると、多くの天文ファンは(あるいは元・天文ファンは)少年少女の頃の、ある種の「気分を思い出すでしょう。

望遠鏡の視野の向うに浮かぶ巨大な存在とじかに接している感覚。
広大な宇宙の海を泳ぎながら、名前しか知らなかった天体を、自分の目で見る驚き。
月も、惑星も、恒星も、星雲も、あまりにも巨大で、ダイナミックで、永続的で、魅力に富んでいます。

そしてまた、最新の宇宙科学が解き明かす宇宙像の何と新鮮なことか。
もはや神が存在しない「数学的な空」に悲しみを覚える人もいるでしょう。
しかし、作者はそこに1枚の白地図を見ます。そこに書かれているのは唯一「テラ・インコグニタ(未知の大陸)」の文字。

これまであったどんな神話だって、これほど巨大で、これほど美しく、これほど深遠で、これほど畏怖を伴うものはなかったろう…と作者は感じます。

   ★

作品のラスト。
「うーむ…まあ、いずれにしてもだ、バッカスはまだいるんじゃないか。
 俺は奴が大好きさ。」 
「そうだな。じゃあまず『Message in a Bottle』でも歌いなよ。」

■The Police/Message in a Bottle
 https://www.youtube.com/watch?v=MbXWrmQW-OE


コメント

_ S.U ― 2015年11月03日 19時36分08秒

あぁ、この縦スクロールいいですね。
 望遠鏡の視野いっぱいに星を見て、微動ハンドルを回しても回しても延々と星が続き、そうして最後に山の稜線の木々のシルエットにたどり着きます。こんな景色を望遠鏡でよく見ていました。

 神はまだいるのか、どこかへ行ってしまったのかはわかりません。でも今も、自然も人生も日常すら不可解なことだらけです。

秋深き隣は何をする人ぞ 
いずこの秋も テラ・インコグニタ なりけり   失礼

_ 玉青 ― 2015年11月04日 22時05分57秒

宇宙の隣人のことがそぞろ気になる秋ですね。
我が人類が秋を迎えているのでなければ幸いですが…

_ S.U ― 2015年11月05日 08時36分54秒

短めの間隔で定期便をやってしまいました。秋の深まりは早いということでご容赦下さい。
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>宇宙の隣人
 生きているうちに宇宙人との交信を目にすることも出来るのではないかとずっと思っていますが、さすがにそれは難しいかもしれません。人類が秋を迎えているならなおさらそのような期待が高まります。

 芭蕉翁の俳句とともに、足穂の師匠の佐藤春夫に、「あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ」で始まる詩があったのを思い出しました。

_ 玉青 ― 2015年11月05日 20時17分06秒

(笑)秋の日は釣瓶落とし。今の時期は時の流れが速いですね。

さて、遠くの隣人に秋波が届きますかどうか。
何とか振り返ってもらえるよう、我々自身魅力的な存在でありたいものですね。

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