首都の週末(5)…博物蒐集家の応接間(前編)2016年07月30日 13時30分24秒

この1週間は、ずいぶん長く感じました。
大きな事件が世間を揺り動かし、私自身も揺さぶられました。
それでも、こうして振り返りの時間を持てるのは幸いなことです。

   ★

三省堂池袋本店でのイベントに参加したのは、ちょうど先週の今日でした。

■博物蒐集家の夏休み
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/07/16/8132654

あの日は、西荻窪から時計荘さんと連れ立って池袋に行き、西武のデパ地下をうねうねと歩いた末に会場までたどりついたのでした。書店の4階に設けられた「ナチュラルヒストリエ」の空間は、まさに日常の中に突如出現した非日常として、我々を迎えてくれました。


…と言いつつも、その非日常は同時に日常でもあって、何となればその入口に展示されているのは、私が毎日目にしていたものに他ならず、そういう見慣れたものが見慣れぬ場所にあるという奇妙な感覚が、これまた非日常的なのでした。


どうです、立派でしょう。
何と「天文古玩コレクション」ですよ。鼻が高いというか、お尻がムズムズするというか、こんな厚顔無恥ぶりも、非日常に免じて許しを乞うのみです。

   ★

とはいえ、これはいわば店先の演出に過ぎず、今回の催しの核心はこちらです。


旅する博物蒐集家の書斎をイメージした一角。


机の上も、


その脇に置かれた棚も、この部屋の主の心象風景を物語っているようです。
彼は今、旅の空にあるのか、それとも次の旅に備えて想を練っているのか、いずれにしても彼の心が、遠い風景への憧れで満たされていることは間違いないでしょう。

この空間を見れば、いやでもインターメディアテクを思い出さないわけにはいきませんが、両者の最大の違いは、池袋に並んでいる品は、その気になれば、すべてそのまま連れ帰ることができることです。

あれも、これも、そしてあれも…




私はわりと物欲を刺激されやすいので、こういう空間に長時間身を置くことは危険です。でも、人間には、あえて危険を承知で行動しなければならないときもあるのです。

(この項つづく。次回は印象深い出会いとレセプションの話。)

コメント

_ S.U ― 2016年07月31日 07時17分19秒

先週の土曜日(日本風の定義では先々週?)は有意義で長い一日だったようですね。私も当日午前中に東京を通過していたのですが、以前より予定の関西方面での所用があり、東京に1日を留まれなかったのは痛恨の極みでした。
 
 ところで、玉青さんのコレクションの一部は、見栄えよく移動展示が可能な体勢になっているのですね。美しくて夢があって宝石のように見えます。でも、近くから見るとそこに人間の歴史が刻まれていることもはっきりわかることでしょう。すばらしいと思います。

 ここで、お写真を拝見して、ちょっとした妄想が湧いてきました。
 玉青さんのご存じの通り、私の住んでいる街は科学の街と呼ばれていて、地方都市ですが、多くの研究所のほか科学館やプラネタリウムがあります。かつては科学万博もあり、いまも農村があり、科博の分館もあるので、昭和の後半以降の科学展示物は多く残っていますが、それ以前の西洋も含めた二、三百年の「『しゃれた』『美しい』科学アンティーク」というものにはあまり出会えないように思います。私自身、仕事で科学関連の展示に関わることは多いものの、こういう雰囲気の蒐集展示は、玉青さんからの情報をいただく以前には存じませんでした。

 それで、私の妄想というのは、私の住む街(=つくば)でこういう展示をしたらどうなるだろうかということです。仮定、冗談半分以上で考えるだけですが、ふだん街に潜んでいる「科学アンティーク蒐集」趣味の「科学史家」の方々が大量に採取されるということが起こるかもいれません。(科学史家が多く潜んでいることは既知) あるいは、逆に、この方面の趣味の人はほとんどおらず、展示には閑古鳥が鳴くかもしれません。私には関する人脈がほとんどないため、よくわかりません。(ここで、TOKOさん、かすてんさんなら、ご存じかもしれないと思いました。)多少の「アンティーク」展示物を所有しているとしたら、科博分館の他は国土地理院、筑波大学(旧東京高師)あたりでしょうが、すべて国立機関なので、目玉としては日本近代史に偏るものと思われます。

 というわけで、玉青さんのコレクションのご展示に絡めてどういうことがおこるか、シリアスに考えない想像として(でも本気度も多少あり)、ちょっと楽しんで見たいと思います。現在の古玩趣味と当時の学者の先端の心意気との関係から、科学史に関連するより幅の広い意義のあることが見えてくるような気がします。

_ 玉青 ― 2016年07月31日 11時50分19秒

「科学の街」が、「科学史の街」ともなったら素敵ですね。
それも官製のお仕着せではなく、「モノにこだわる科学史家」たちの自発的取り組みとしてそうなったら、本当に素晴らしいことだと思います。

ところで、つくばには研究者の方もおおぜいお住まいだと思いますが、古書店事情はどうですか?まあ理系の方だと、古書を必要としない研究分野の方も多いでしょうし、必要なら神田からすぐ取り寄せもできるのでしょうが、古書店の活況度は、その土地の尚古の気風のバロメーターでもあるので、「科学史の街」づくりの成否は、その辺から窺えるかもしれません。(でも、オックスフォードやケンブリッジでも、古書店の廃業が続いているらしいので、あまり自信はありません。)

_ S.U ― 2016年07月31日 15時54分26秒

また折りあらば、科学の街を、優雅な科学史のモノで飾っていただけることになればありがたいと思います。

 つくばの古書店は、かつてはショッピングセンターに軒を並べるほどで、学術書、趣味書合わせて10軒程度ありましたが、今は、大手チェーン店やコミック中心の店を別にすると、1、2軒になってしまったのではないでしょうか。明らかに、神田を中心とした古書店が在庫品のデータベースを合同で作り始めた時期に減少したと思います。また、以前は大学の近くに教科書の古書専門店もありましたが、そういうのもなくなったようです。というわけで、もはや古書店が多いとは言えなくなりました。

 おっしゃるように理系の場合は、たとえば量子力学を学ぶのに朝永振一郎の教科書をぜひ読む必要はなく、正確でわかりやすければ誰の教科書を読んでも結果はまあ同じことです。逆にいうと、仮に朝永の教科書が十分に優れていれば、後の人は量子力学の教科書を書く値打ちがなくなり、その場合は、朝永の教科書が何十年経っても販売され、新本が買えることになります。とにかく、高価な古書がたくさん売れることにはならなさそうです。

 研究者の中には、科学史、アマチュア科学、科学教育について一家言ある人は多いと思いますが、美的感覚主体のアンティークと科学史を結びつけられる人は限られている可能性があると思います。感覚的なものは(心理学や美学は別にして)なかなか科学的とは言えないというのが大方の見方でしょうし、感覚で教育するというのも職業的にはやりにくいことと思います。いっぽうで、科学思想や宗教との関連にウルサイ人なら大勢いるようです。たぶん、カタブツの研究者の場合は、天文、博物から何らかの民俗、宗教学の興味を経由する必要があるかもしれません(私の場合は、カタブツではないと思うものの、それに近いです)。

_ とこ ― 2016年08月01日 05時55分13秒

天文古玩@つくば…!これは魅力的な構想ですね!
私も玉青先生のコレクションに類する施設や蒐集家の存在は知りません。少し毛色の違うところで国立公文書館の分館があるくらいでしょうか。

つくばという街が、未来をとても意識しているので雰囲気的に古いものが馴染まない印象ですし、今はTXもあるので市内を探し回るよりも、少し足を延ばして東京へ行けばいいと考えてしまうのが町の文化の発展を妨げている気がします。あと子どもが多いですからね……イベントがどうしても子供向きになってしまうところがなかなか悲しい現実です。

こんな中で天文古玩イベントを開催するには、企画を相当工夫しなければならなさそうですが、でもぜひこの街にアンティークの風を吹かせてもらいたいです。最新の研究をしている人たちのも、科学の成り立ちのはじめのころはこんなに趣のあるものだったということを知ってもらいたいと思いました。

_ 玉青 ― 2016年08月01日 23時01分10秒

○S.Uさま

ご教示ありがとうございます。古書店に関しては、いずこも同じですねえ。それでも一時相当な活況を呈していたということは、御地の尚古の気風を物語るものとして、頼もしく思いました。

「博物蒐集家の応接間」は、科学史とアートの交錯領域のイベントでしょうが、強いて色分けすれば、主催されているのが「古美術商」の方たちですから、これはアートから科学史を覗き込む形になりますね。見た目は似ていても、これがインターメディアテクになると、たぶんベクトルが逆になって、科学史を軸にして、そこから更にアーティスティックな営みを展開する形ですね。仮につくばで同種の催しがあれば、当然後者のアプローチということになるのでしょう。

それにしても、筑波大学にインターメディア的な学内博物館があることを聞きませんが、東京高師由来の品々はどうなっちゃったんでしょうね?移転の際に、全部うっちゃってしまったとか?当時は、ああいう品への評価が極端に低かったので、その可能性も高いですが、でも学内のどこかにゴソッと残っていたら嬉しいですね。

○とこさま

いやあ、正確に言うと、「天文古玩的なるもの@つくば」ですね。
私がつくばに「出開帳」することはないと思うんですが、ぜひつくばの底力で「未来志向の古物趣味」を展開していただくと、未来ある子供たちと、過去をたくさん抱えた大人たちの双方にアピールする、意義深い催しになると思います。皆さんのお力で是非!

_ S.U ― 2016年08月02日 07時44分27秒

とこ様、玉青様、
 お答え、情報をありがとうございます。
 未来志向で子どもが多いということは今時の日本一般の地方都市からすると夢のような好条件なのでしょうが、シニアの科学ファンにも年少の科学ファンにも「科学アンティーク」は歴史の知識や情操を育むのに役に立つと思います。私には地元の人脈もコレクションもないのですが、機会があれば人を煽るくらいのことはしてみたいと思います。

 ご紹介いただいた国立公文書館分館は私の職場の隣ですが、ひっそり隠れた文系の大物スポットだと思います。「つくばちびっ子博士」の指定施設の一つなので、展示物が子どもの目に触れる機会もあると期待します。

(つくばちびっ子博士)
 http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/14271/14654/016931.html

 東京高師時代の教育用の文物がどこに行ったかということですが、これは聞いたことがないです。沿革によると、1952年に廃止されたときは、すでに東京教育大付属だったので当然そちらに引き継がれたはずですが、筑波移転の際が怪しいですね。今の筑波大は、特に「教育学校」という雰囲気ではありませんからね。筑波に来ていたらよろしいのですが、また追求してみたいと思います。

 筑波大の文物の展示は、新しくてきれいな「ギャラリー」にあります。展示も充実してきているようなので、また近いうちに見てきたいと思います。

(筑波大ギャラリー)
http://www.tsukuba.ac.jp/public/institution/gallery.html

 それから、付属図書館には、東京教育大図書コーナー(中二階のようなところ)があって、そこだけ昭和時代専門の古書店みたようになっています。ほかにも古い文献のコレクションもあり、図書館情報大学の財産も引き継いでいるので、お眼鏡にかなう古書があれば、また、ご来訪の機会にお寄りいただければと存じます。

(筑波大付属図書館)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/lib/ja/service/classification
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/lib/ja/collection/bunko-collection

つくば市の観光案内になりました。

_ 玉青 ― 2016年08月03日 21時03分05秒

種々の情報をありがとうございました。
やっぱり、つくばにはいろいろありますねえ。
また足を延ばす機会がありましたら、まだ見ぬつくばの魅力をぜひ見て回りたいと思います。

_ Araki Mizuho ― 2016年08月06日 03時20分17秒

お久しぶりです…医療系雑貨生みたて卵屋の荒木です。

本日、漸く展示を観に行く事ができました。
ナチュラルヒストリエは取引先でもあったので、今回の開催とレセプションの前宣伝を見て、「こんな機会は無い!」と飛びつこうとしたのですが…。
残念ながら出展イベントと丸かぶりでした。
当日行けないのならば、もうゆっくり堪能出来る時に行こう。
ということで、今日はゆっくり拝見する事が出来ました。

お恥ずかしながら全くの素人で、コメントする事も憚られるのですが…
昔の天文書って本当に凝っているなと感じました。
表現や色の組み合わせも可愛く、遊び心があり、拝見していてとても嬉しい気分になりました。
というのも、実は私は「天文」が苦手でした。
理科の授業で唯一、天文は興味が湧かなかったのです。

中学校の授業やテストで、「この空は何時の空ですか?」「方角は?」
と出て来ると、星、空が機械的な物に思えてしまい興味が無くなってしまったのです。
今でも空の様子の写真を見ると、「答えなければ」という緊張感があります。
私の中の天文のイメージはそこで終わっており、教科書に載ってる知識やテストに答えられなければ、もう星や空を楽しむ等もってのほかだと思っていました。

今年初めて、禁断の天文に触れ、自分の認識こそが機械的で有った事に気付かされました。
視覚的な楽しみと想像、刻む暦、まつわる神話。
数千年も変わらない空は、それだけ多くの謎と期待に溢れていたのだな。と、
人々の発想の豊かさに驚きました。
自分から天文に触れる事で、凝り固まった部分が少し溶けたような気がします。
自由な発想をモットーとしていた私は、この衝撃に脳みその一部を構築し直された様な感覚です。
(私がテーマとしているのは古代~19世紀なので、天文にとってもはや前史の部分です。本当の空の楽しさをまだまだ知らないのかもしれません。)

こういった脳みそで展示を拝見出来た事、とても楽しむ事が出来たのは今年一番の収穫だと感じます。
この体験を元に、今後も怖がらずに天文を楽しんで行けそうです。
本当にありがとうございました。
(自己満足溢れる文で申し訳ございません;
コメントもしづらいと思いますので、読み流して頂ければと存じます。)

_ 玉青 ― 2016年08月06日 15時01分06秒

しばらくご無沙汰をしておりました。
Arakiさんの最近の天文分野での創作の数々をネット上で拝見し、何とディープな展開であろうかと、瞠目しておりました。先日の上京の際も、こんな好機会はめったにないので、博物ふぇすを覗こうかと思ったのですが(まだ覗いたことがありません)、十分時間が取れず、残念ながら断念せざるを得ませんでした。それでも、道々zabienaさんとArakiさんのことを話題にしながら、その活躍ぶりに大いに触発されるものがありました。

仰る通り、天文は機械的な感を抱かせる学問で、実際、星はその位置だけが重要な観測事項であり、それが済んでしまえば、天文学に残された課題はもはやない…とまで、啓蒙主義の時代には思われていたようです。こうなると、天文学とは冷たく、つまらない学問だと思われても仕方ないのですが、そうした見方を打ち破ったのが、19世紀の天文学に生じた巨大な進歩であり、そこで生まれた新たな宇宙像が、多様な天文アイテム(と多くの天文ファン)を生み出し、それが今や「天文アンティーク」として享受されている…というのは、上の記事の「後編」に記したとおりです。

古物には古物の佳趣があり、新しいものにはまた新たな感動があるということで、ぜひ今後も引き続き、星の世界に取材した作品作りに取り組んでいただければ、一天文ファンとしては嬉しい限りです。

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