南極の海をゆく(2)2016年08月07日 17時45分09秒

この『南極洋水路誌』は、当然のことながらエリア別の記述になっています。

(南極近辺の地理。ウィキペディアより)

まず「第1編 総記」につづく「第2編」は、上の図の左上、サウス・ジョージア島から、サウス・オークニー諸島、サウス・シェトランド諸島を経て、「ゾウの鼻」に当る南極半島にとっつく海域を叙しています。これはヨーロッパ方面から南極に向う一番の近道であり、いわば表街道です。いきおい関連する資料も多いのか、本文264頁の本書の中で、この第2篇だけで98頁を占めています。

一方、日本からまっすぐ南進し、オーストラリアの脇を迂回して南極に至るルートは、本書第5編の、「Macquarie Island-Emerald Island-東経130度至東経160度 Antarctica 並ニ Wilkes Land、Adélie Land 及 King George V Land」に記載があります。上の地図でいえば、右下のマッコーリー島から南極大陸のウィルクスランドに至る海域です。書籍中のボリュームはわずかに11頁。こちらは南極への裏街道といったところです。

まあ、裏道とは言え、我が日の本を発ち出でて向かおうというのですから、このルートで南極に向うことにしましょう。

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まずは1810年に「New South Wales ノ総督ノ名ヲ採リテ斯ク命名」したという、マッコーリー島に立ち寄ります。

ニュージーランドの南に浮かぶオークランド諸島を足掛かりにすれば、「Auckland Islands の South-west Cape の229度〔ほぼ南東〕、340浬に位す」るのがマッコーリー島で、位置は南緯54度37分、東経158度54分。

現在はオーストラリア領で、南極へのとば口に当ります。南北18浬、幅3浬…といいますから、キロに直せば、南北33km、幅5.6kmほどの細長い島です。

その景観はというと、

「丘陵は殆ど直接海際より隆起し、僅に狭き礫浜を存するのみ。但し西岸北端の方に可なり広き平地あり。礫浜の上方に泥炭及び湿地あり。又高地には多数の小湖あり。島の概観は非常の瘠地〔やせち〕にして、樹木又は灌木なく、僅に貧弱なる苔類あるのみ」 (p.229)

であり、「島に住民なく、又規則正しく来航する者もなし」という僻遠の島ですが、

「海象〔セイウチ〕及び海豹〔アザラシ〕多く、特に10月以後は仔を生む為来るを以て、一層夥多なり。「ペンギン」鳥も多し。」 (同)

と、寒地の動物たちにとっては、一種の楽園となっています。

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『南極洋水路誌』の水路誌たる由縁は、その航海情報の精確さにあります。

では、このマッコーリー島に停泊・接岸・上陸するにはどうすればよいのか? 
本書にしたがえば、東岸北端にあるバックルス(Buckles)湾や、南端にあるルスティアニア(Lustiania)湾、あるいは島の北端にあるハッセルバラ(Hasselborough)湾が、その適地だと教えてくれます。

例えばバックルス湾から上陸を試みるとしましょう。
マッコーリー島の北端には、瘤状に突きだした半島状の地形があり、ワイヤレス・ヒル(Wireless Hill)と命名されています。

Buckles Bay   地頚〔=ワイヤレス・ヒルの付け根〕南東側に於ける沿岸の小凹入部なり。湾岸に約3鏈〔1鏈=0.1浬=約185メートル〕の間、纏布せる海藻帯の外側には、険礁なきが如し。此の著しき沿岸堆上の測得最小水深は11米(6尋)なり。」 (p.231)

そして、ここに停泊するには、

錨地   船舶は Wireless Hill 南端下の緑塗小舎を296度に見て、之に向針し、Finger and Thumb Point の外方尖岩(礁の先端に非ず)と Tom Ugly Point の外端とを一線に見て、水深21米(12尋)の処に投錨すべし。然らば十分海藻帯の外側に位置すべし。」 (同)

本書の著しい特徴は、場所ごとに記述の精粗が大きいことです。
上の記述は、最も細かい部類で、さらには上記の「緑塗小舎」が、かつてのアザラシ猟者の小屋であり、「一部破壊せるも、其の内の罐〔ボイラー〕は好目標たり」という点にまで説き及んでいます。そして、ここまで来れば、「普通の天候時には上陸容易なり。最好上陸所は海藻纏布せる岩線の内側、最北の海豹小舎直下の浜岸なり」。

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マッコーリー島を出て、さらに南方に向うと、ビショップ・アンド・クラーク諸島という小島が見えてきます。

(北北東方3鏈ヨリBishop and Clerk Islands ヲ望ム)

その脇を超えて、さらに進めば、そこに「エメラルド島」という美しい名前の島があります。上の南極周辺図には、その名が見えないので、もっと大きい地図を見てみます。


上は1904年にドイツで出た南極地図の一部。オーストラリア~南極大陸の海域です。その中央左下あたりを拡大すると、マッコーリー島とエメラルド島が見えてきます。

(たくさんの不整形な島状のものは、この近辺まで群氷がやってくることを示しています)

何と言っても、マッコーリー島では、壊れかけの緑色の小屋にまで言及しているぐらいですから、エメラルド島も楽勝だろうと思うと、さにあらず。

そもそも、エメラルド島は、複数の航海者の誤認に基づいて記載された、幻の島(phantom island)」の1つで、今では地図から抹消されています(上の1904年の地図も、よく見ると「?」が付いています)。

いよいよこの辺りから、『南極洋水路誌』に全面的に寄りかかることの許されない、謎の多い海域に入るのです。細心の注意を払って、さらに大陸に向けて南進します。

(この項つづく)


【付記】 これを書いている今は、あくまでも1940年の気分なので、安易にネットを覗き見るのはご法度ですが、ウィキペディアに載っているマッコーリー島はこんな場所でした。海岸に群れているのはペンギンたちです。



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