南極の海をゆく(3)2016年08月09日 20時46分41秒

南極の話をしても、暑いものは暑いですね。
でも、一昨日はツクツクボウシを聞き、ゆうべはコオロギの声を聞きました。
晩夏へ、そして初秋へと、季節は舵を切りつつあります。

   ★

幻の島・エメラルド島も通りすぎると、記述はいきなり南極大陸に飛びます。
この間の情報はゼロなので、羅針盤だけが頼りですが、ひたすら南進すれば南極に至ることは確実なので、この辺は大胆に行きましょう。

説明の便のため、前回の地図をもう1度出しておきます。


今、我々は右下のマッコーリー島の南側にいて、南極大陸のウィルクスランドを目指しています。上の地図は、「ウィルクスランド」の文字がちょっと上(西)に寄りすぎているので、これまた前回掲出した1904年のドイツの地図から、ウィルクスランド付近の拡大図を載せます。

(図中の略語は、B.(Bucht ~湾 英:Bay)、K.(Kap ~岬 英:Cape)、Ld.(Land)、Sp.(Spitze ~山、~峰 英:Peak)の意だと思います。)

とはいえ、南極というのは、どこが陸やら氷やら、「私は陸地を見た」と主張する人も、実際には何を見たのかあやふやで、しかも新発見の先取権争いも絡んで、地名ひとつとっても、はっきりしないことが多く、こうして↓現代の日本で発行された地図(昭文社)と並べても、ずいぶん地名やその範囲が違います。


ここでは経緯線に注目すると、両者を比較しやすいですが、右側の日本の地図でいうと、右上の隅にチラッと東経100度の線が写っていて、その下の「ウィルクスランド」の「ル」の字を通るのが東経110度の線です。以下、時計回りに120度、130度…ときて、左端の垂直線が東経180度の線。ドイツの地図は左端が切れているので、東経160度の線で終わっています。

また、緯度の方は、それぞれ左上から南緯80度、70度、60度の線で、それと平行してほぼ南極大陸の縁に沿った点線が描かれています。これは「南極圏」を示す南緯66度33分55秒の線で、これより高緯度地帯では、夏の白夜・冬の極夜が生じます。

一見して明らかなように、100年前は、南極圏の線を超えて、大陸がはみ出して描かれている部分が多く、当時は氷舌(棚氷の端部)と陸地を見分け難く、またそれだけ今より寒冷だったのでしょう。

   ★

…と、話がくだくだしいですが、そこが未知の大陸たるゆえんです。

そんなわけで、ウィルクスランドの範囲も伸び縮みがあって、今は西につづまっていますが、昔はジョージ5世ランドあたりまで伸びていて、ウィルクスランドの名前は、この辺一帯を1840年に探査した、チャールズ・ウィルクス(米)にちなむものです。

「Wilkes は1840年1月23日南緯67度4分、東経147度30分に於て15浬に亙〔わた〕り1湾を探検せりと称す。湾は幅25浬にして、全く氷に鎖さる。彼は之を Dissapointment Bay と命名せり。」 (p.236)

Dissapointment Bay(絶望湾)とは、何と救いのない名称だろうと思いますが、それはドイツの地図にもしっかり載っています。そして、その右(西)隣の凹所――古い地図でははっきりしません――が、Commonwealth Bay (連邦湾。ここは1911~1914年に、ダグラス・モーソン(豪)がオーロラ号で精査した地域です。

Commonwealth Bay  Alden Point と Cape Gray との間、幅約27浬にして、約12浬凹入す。西側の氷崖は高さ約31米にして、後方に斜面を成す積雪は、高さ約396米まで隆起す。Alden Point の東方12浬の Cape Hunter に若干の露出せる黒色岩及南極海燕の巣窟あり(第232頁対面対景図第65参照))。」 (p.237)

その第65図が以下です。


手前のごつごつした岩のようなものは、高さ31メートルの氷の崖。その後は一面の雪の斜面で、それが400メートル近くまで盛り上がっているというのですから、恐るべき絶景です。この景色を前に停泊してみます。

錨地  Aurora号は Commonwealth Bay 内、水深18-45米(10-25尋)の処二投錨せしも、錨地は甚しく暴露し、且急深にして水深不斉なりき。Cape Hunter を距る1浬の処にて775米(424尋)の水深を測得せり。」 (同)

オーロラ号に乗ったモーソンたちは、この湾内に探検のための本部を設置しました。が、陸地については「全く氷に鎖され、其の西部以外は僅に陸岸より探検せしのみ」(p.236)という状況だったので、内陸部の地図が真っ白でも止むを得ません。

何といっても、ここは名にし負う南極大陸なのです。細心の注意を払っても、なおかつ危険に満ちた場所であり、その証拠が湾内のデニソン岬には歴然とあります。

Cape Denison 〔…〕は殆ど湾の中央に位する高さ約12米の氷河作用による堆石にして、其の両側に高さ18-46米の氷崖あり。此の角の沿岸は著しく起伏し、内陸1粁〔km〕の処にて43米迄隆起す。Cape Denison に1913年東方の探検中死亡せるDr. Mertz 及 Lieut. Ninnisの紀念の為、十字架を建設しあり。」 (同)

   ★

…という辺りで、このアウェイの話題も、そろそろ引き返した方が安穏のようです。
とりあえず、この真夏の最中、南極の端っこを望見できただけでも、今回は良しとしましょう。

(この項、尻つぼみになっておわり)

コメント

_ K.T. ― 2016年08月10日 09時52分39秒

>コオロギの声
どことなく、似てますよね。声と、あと燕尾服の裾あたりが。でも、クタビレタ、クタビレタと泣きを入れて見せつつ、それに託つけて象徴天皇制を連呼し、元首化ひいては改憲案そのものに明確な「否」を突きつけた老獪ぶり、実に痛快でありました。この国が迎えようとしている秋(とき)が如何なるものであるのか予断を許しませんが、なお緊張感をもって注視してゆこうと思います。

_ 玉青 ― 2016年08月11日 09時10分55秒

いやあ、コオロギの声と「お気持ち」を重ねるのは深読みのしすぎですけれど、それはさておき、安倍さんの毎度あまりにも空疎な発言を思い浮かべるとき、その言葉の重みにおいて、まことに鮮やかな対照をなしていましたね。

_ S.U ― 2016年08月11日 09時48分03秒

 ここ一週間はすごい暑さでしたが、南極旅行の御記事のお陰様で、多少なりとも涼しさを感じることができたのは有り難いことでした。
 
  ちょっと以前になりますが、日本人が、現代のリアルな南極旅行として、アルゼンチンかチリから南極半島に渡るというのが、アルゼンチン、チリが今も南極半島の領有を主張していることから政治的な問題があると聞いたことがあります。ただ、今、ネットを見る限り、環境省の許可を得ればよいみたいなので、外務省の問題にはならないみたいです。今や気軽にいけるようになったのでしょうか。お値段的には、単に南米に行くののそのまた倍くらいかかるようですので、気軽とは言えないようです。

 それで、南極半島に観光で行ったとして、南極大陸に上陸したなぁという実感が湧くものなのでしょうか。もし、湧くならちょっと行って見たい気もします。でも、「ちょっと」というような根性では、とても20世紀前半の探検家の気持ちを感じることはできないでしょうね。

_ 玉青 ― 2016年08月13日 08時21分22秒

実際行ってみたらどんな感じがするでしょうね。「来てみれば然程でもなし」なのか、「聞いて極楽見て地獄」なのか、まあいずれにしても、「南極は遠くにありて思うもの」かもしれませんねえ。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック