南極に行こうか、行くまいか ― 2016年08月03日 20時50分33秒
南極に行こうと思ったのは、ある本を手にして、何だか行けそうな気がしたからです。
しかし、積ん読状態のその本を開いたら、やっぱり南極に行くのは大変だと思いました。たとえ、それが単なる「脳内旅行」だとしてもです。
しかし、積ん読状態のその本を開いたら、やっぱり南極に行くのは大変だと思いました。たとえ、それが単なる「脳内旅行」だとしてもです。
(パラフィン紙のカバーがかかっていますが、表紙の地色は濃紺です)
その本とは、『南極洋水路誌』。
■水路部(発行)
『南極洋水路誌―南極地方沿岸及諸離島』
昭和15年(1940) 10月刊行
『南極洋水路誌―南極地方沿岸及諸離島』
昭和15年(1940) 10月刊行
水路部は海軍に付属する組織で、海洋測量や海図の作成を行っていた部局です。言うなれば、陸軍に付属した陸地測量部の海洋版。現在は、海上保安庁にその業務が引き継がれています(陸地測量部の方は国土地理院)。
(遊び紙に押された水路部のスタンプ)
そして『水路誌』は、航海のための情報をまとめたデータブックで、これは日本近海に限らず、7つの海にまたがって作られたのですが、太平洋戦争前夜の1940年、日本からは最果ての地、南極についても、ついにその水路情報がまとめられたのでした。
(本書冒頭の記載)
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こんな懇切なデータブックがあるなら、私も船を一艘借り上げて、南極に向けて帆を上げようか…と一瞬思ったものの、そこに連なる文字は、かなり手ごわいものでした。
まず本文第1ページに「注意」と書かれています。
(原文は漢字カタカナ表記ですが、以下、漢字ひらがなに改めて引用)
「航海者は本誌記述区域の航海に当りては甚深の警戒を払はざるべからず。◎極めて僅少の港湾以外は精測を経たる処なく又全記事も関係海図と同じく多数の、時として内容相違せる著書より得たる資料を編纂したるものに過ぎず。」
さらに続けて南極概説には、
「海岸線の大部は殆ど未だ探検せられずして不明なり、約14,000浬〔註:浬は‘海里’の別字。1浬=1.852km〕中探査を経しは約4,000浬、図載せられしは僅に2,500浬にして而も甚だ概略に過ぎず。Antarctica〔註:南極大陸〕海岸の諸部は常に群氷を以て鎖さるるを以て海岸に関する吾人の知識には幾多の間隙あり」
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20世紀半ば近くになっても、南極は依然として未知の大陸でした。
現在、我々が知っている南極大陸は、↓こんな形で、ちょっとゾウの横顔に似ています。
現在、我々が知っている南極大陸は、↓こんな形で、ちょっとゾウの横顔に似ています。
(ウィキペディアより)
(拾いもの画像)
しかし、この水路誌所載の南極大陸は、かなりイメージが違います。
(『南極洋水路誌』口絵図)
ちょっと見にくい図ですが、これは実物を見ても、やっぱりはっきりしない図です。
しっかり実線で描かれているのは、ゾウの鼻(南極半島)の先っちょだけで、
あとは、大きく開けた口(ロス海)も、
フサッと垂れた耳の後(ウィルクスランド付近)も、すべて点線でぼんやり描かれていて、輪郭がはっきりしません。まさに「吾人の知識には幾多の間隙あり」です。しかし、だからこそ、そこには困難を乗り越えて赴く価値がある…と当時の人は考えたに違いありません。
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この本を紐解いて(今も読んでいます)、これが単なる「航路ガイド」にとどまらず、恐ろしい氷雪の海を航破する知識の宝典であり、かつ読み物としても面白いことを知りました。
灼熱の2016年の日本を離れ、76年前の世界に降り立ち、私はやっぱり南極を目指すことにします。元より危険は覚悟の上です。
(この項つづく)
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