天文トランプ初期の佳品: ハルスデルファーの星座トランプ(3)2016年11月03日 06時08分03秒

昨日の記事を読み返したら、「ハルスデルファー」という人名を、自分は途中から「ハデルスファー」と書いているのに気づき、修正しました。こういうことが最近多くて、話し言葉だけでなく、書き言葉でも「ロレツが回らない」状態というのはあるのだなあ…と、身の衰えを感じます。最近は「てにをは」も一寸おかしいです。

   ★

さて、ぼやきはこれぐらいにして、昨日のつづき。

(左:へびつかい座、右:オリオン座)

これもバイエルの図そのままです。

余談ですが、これを見てバイエル星図の不思議さを悟りました。
バイエル星図は地球視点――いわゆる geocentric orientation ――で、星の配列は地上から空を見上げたとおりの形に描かれています(つまり、天球儀上の星座のように、左右が反転していません)。

それなのに、星座絵の方は、天球儀と同じく背中向きに描かれています。結果として、天界の住人は左利きが優勢になって、オリオンもヘルクレスも左手に棍棒を持ち、ペルセウスは左手で剣を構えるという、ちょっと不自然な絵柄になっています。

天球儀を見慣れた目には、背中向きの方が星座絵らしい…と感じたせいかもしれませんが、常にお尻を向けられている地上の人間にとっては、微妙な絵柄。(でも、ふたご座、おとめ座、カシオペヤ、アンドロメダは、ちゃんと正面向きです。一方、むくつけき男性陣は後ろ向き。そこには或る意図が働いているようです。)

(左:ぎょしゃ座、右:くじら座)

昨日も述べたとおり、この美しい彩色は、オリジナルのトランプにはなく、復刻版の著者であるマクリーン氏が、自ら施したものです。ただし、版画に手彩色することは、昔から広く行われたので、オリジナル出版当時も、彩色した例はきっとあるでしょう。


本の最後に登場するのは「ドングリの10」。
羽の生えた奇怪な魚が描かれていますが、これは「とびうお座(Volans)」です。
その脇を泳ぐ、これまた変な魚は「かじき座(Dorado)」。

トビウオの方は、変は変なりに言いたいことは分かります。
むしろ「かじき座」の方が、昔から今に至るまで正体のはっきりしない星座で、文字通りカジキを指すとも、本当は全然別のシイラを指すとも言われます(mahi-mahiはハワイの現地語でシイラのこと)。南海に住む巨魚は、ほとんど区別のつけようがなかった時代ですから、それも止むを得ません。むしろ、この星座絵に漂う奇怪さこそ、南の空と海に対する、当時のヨーロッパ人の<異界感>そのものなのでしょう。

   ★

一組の星座トランプも、仔細に見れば、そこにはいろいろな発見があり、大げさに言えば「時代相」を読み取れる気がします。

コメント

_ S.U ― 2016年11月03日 08時20分18秒

バイエルのウラノメトリアの星座絵を系統的に見たことはなかったのですが、これは驚きです。つまりこれは、バイエルが星座絵を製作するに当たって、正面向きの絵と後ろ向きの絵を意図的に混在させ、複数のソースから1つ1つ選んでいるということになるのでしょうか。
 後ろ向きの意匠は天球儀から取ったものでしょうが、その天球儀の絵の意匠には、前提となる前向きの絵があったはずですから、星図が天球儀の真似をしての前後反転させるのは本末転倒ということになろうかと思います。

>むくつけき男性陣
 これらの星座絵については、天球の外側から至高者が見るときを考えると、やはり問題有りとせざるをえません。

_ 玉青 ― 2016年11月04日 07時02分57秒

本当にバイエルは何だってこんな真似をしたのか、星座絵が脳内でくるくる回って、もうわけが分からないです。

>やはり問題有り

あはは。きっと至高者も苦い顔でしょうね。

_ S.U ― 2016年11月04日 08時15分50秒

>至高者も苦い顔
 神前や仏壇に供え物を置く時、どちら向きに置くのか迷うことがしばしばあります。今回の問題とは直接関係ありませんが、難しい問題として、ちょっと思い出しました。

_ 玉青 ― 2016年11月05日 09時36分16秒

>どちら向きに置くのか

うーむ、これは…と思い、古人は何と言っているかなと思って、伊勢貞丈の『貞丈雑記』を開きました。で、肝心のお供え物の問題は解けませんでしたが、その冒頭近くに、こんな記述を目にしました。

(古今の扇使いの違いに触れて)「世の風俗のかわりなり。一人ばかり故実なりとてそむきがたし。すべて何事も古今の変あり、その変を知らずしては愚かなり。故実なれども用いられぬ事は力無し、世上の風にしたがうべし」(東洋文庫版より)

小笠原流なんかと並ぶ武家故実の本家本元・伊勢流の当主が言うことですから、何となく重みがありますね。そして応用が利きます。私自身、どっちかというと「昔は」とか「本来は」とか、憎まれ口をきくことが多い傾向にありますが、逆に口うるさく言われる側に回ったら、「江戸時代の礼法家も、マナーは変るものだ、それを知らないのは愚かだ、と言ってますよ」と、反撃を試みようと思います。(笑)

(S.Uさんのコメントとも、本来の記事とも全然関係ないですが、気づいたこととしてメモしておきます。)

_ S.U ― 2016年11月05日 12時58分29秒

 うーん、故実に倣うか当代に習うか、深い思想が説かれているにも見えますが・・・「まあぶっちゃけた話、結局どっちゃでもええねん」と言っているようでもあります(笑)。

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