ストラスブールの天文時計(前編)2017年10月21日 14時20分35秒

ついでなので、さらに天文時計の話題です。
今日は、たぶんこれまで最も多くの絵葉書が作られ、天文時計としては、プラハのオルロイと並んで、史上最も有名なストラスブール大聖堂のそれです。

と言っても、この天文時計は以前も取り上げました(日付けを見ると、もう10年近く前ですから、本当に嫌になってしまいます)。

■天文時計の古絵葉書

(ほぼ10年ぶりに同じ絵葉書を撮り直しました。)

以前の記事に付け加えることは、ほとんどありませんが、その後、日本語版ウィキペディアにも、「ストラスブール大聖堂」の項目が出来て、天文時計の詳しい説明が簡単に読めるようになったのは喜ばしいです。

   ★

さて、今回新たに取り上げるのは下の品。


天文時計に憧れながら、私はその実物を一度も見たことがありません。せめて臨場感だけでも味わおうと、19世紀後半のステレオ写真を手に入れました。

でも、勇んでステレオビュアーにセットしたものの、撮影の仕方に問題があるのか、あんまり立体感がなくて一寸ガッカリ。それでもこの臨場感は、現代のそれではなく、19世紀の人の目を借りた臨場感ですから、まさに天文古玩的じゃないでしょうか。

   ★

このストラスブールでも、ちょっとした発見があったので、そのことをメモ書きします。

(この項つづく)


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▼閑語(ブログ内ブログ)

ゆっくり近づく台風は、恐るべき事態が静かに迫っていることを警告しているかのようです。

それにしても、現政権を支持する人って、どんな人なんでしょう?
ちょっと怖い顔をして、「隣国に舐められてたまるか!」と腕まくりする人とか、国家に自己を投影して、「ニッポン万歳!安倍さん万歳!」と無意味に叫んでいる人とかでしょうか。確かに、ネットで見かけるのは主にそういう人たちです。でも、実際にコアな支持層というと、「株価はやっぱり高い方がいいよね」と、もっぱらそっち方面に関心の強い人とか、「北朝鮮はこわいねー」と漠たる不安を抱えた人たちなのかな…と想像します。

結局、出口の見えない世の中で、みんな不安なのでしょう。
もっとも、近代以降、不安のない時代はこれまでありませんでした。バブルの頃は、「こんなアブクはいつか弾けるに違いない」という不安がありましたし、昭和戦前には、「こんな無謀な拡張路線が、いつまでも続くはずがない」という不安がありました。

でも、ここが歴史のパラドックスですが、不安の強い時代は、人々がその不安を打ち消そうとして、「こんなの屁でもない」とばかりに、むしろ不安の根っこにある行動や事態を、いっそう強化してしまうことがあります。いわゆる虚勢を張るというやつです。そして結果的に、「予言の自己成就」よろしく、当初の不安は的中してしまいます。

昔の不安は、<社会の右肩上がり>と<不確実な未来>を背景に醸し出された不安でした。今の不安は<右肩下がり>と<100%凋落が確実な未来>を背景にしている点が、以前とは違います。

今の日本の課題は多様ですが、すべての根っこにあるのは、人口ピラミッドの不自然な歪みです。その歪みは、10年単位で見たとき、日本という国が確実に苦境に陥ることを告げています。これは舵取りの上手い下手に関わらず必発であり、船頭が下手ならば、さらに国家経済の破綻、社会的セーフティーネットの消失、国家そのものの実質的崩壊が、かなりの確率で生じます。

ここで上記の教訓に学ぶならば、「少子高齢化なんて屁でもない」と強がるのは、最もよくないことです。この件は、不安に蓋をせず、正しく畏れなければなりません。

この件については、自民党はもちろん、私が推す立憲民主党も、十分論を展開しているようには見えないのですが、この掛け値なしの難局を前に、嘘とでたらめにまみれた人々に舵取りを任せるのは、まことに危険極まりないことだと思います。

コメント

_ S.U ― 2017年10月21日 19時28分47秒

 ストラスブール大聖堂の天文時計ですね。楽しみです。
 私が実物を見たことのある唯一の歴史的な西洋の大型の天文時計です。

>閑語(ブログ内ブログ)
 今日、本当にたまたまなのですが、坂口安吾の『戦争論』を再読しました。歴史的に見た戦争と効能と、政治の役割について、一見過激なようでまあまっとうなことが書いてあるのですが、選挙で政治家を選ぶ際にはどのくらいのタイムスパンで考えるべきかという議論をなげかけてくれました。

 歴史は、百年、千年と続き、王政ローマから、あるいは皇祖皇宗から政治はあるのでしょうが、千年王国を夢見て投票するのはやりすぎでしょう。でも、今日の北朝鮮、来年の消費税だけというのは短すぎるのではないかと思います。だいたい±5~10年くらいで、過去の実績、将来の自分の損得も勘定にいれ(←コレ私利私欲ですが個人の人生にとっては最も重要と思います)、投票するのがいいのではないかというのが、私の暫定的結論です。

_ 玉青 ― 2017年10月22日 08時42分03秒

>±5~10年くらい

「10年ひと昔」と言いますから、人間のリアルな歴史感覚や歴史的視野は、それぐらいのスパンで広がっているのかもしれませんね。

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